二虎羅
| 名称 | 二虎羅 |
|---|---|
| 読み | にこら |
| 英語表記 | Nikora |
| 起源 | 京都の護符商と電信実験家の混交文化 |
| 成立時期 | 18世紀末-19世紀初頭とされる |
| 主な用途 | 秘匿通信、厄除け、同盟確認 |
| 中核文書 | 『二虎羅手鑑』 |
| 関連地域 | 京都、神戸、横浜、長崎 |
| 特徴 | 左右対称の虎紋と三重の点画 |
二虎羅(にこら)は、末期ので成立したとされる、二頭の虎を象徴に用いる符号体系および護符文化の総称である。のちに期の電信技術と結びつき、秘匿通信の記号法として再解釈されたとされる[1]。
概要[編集]
二虎羅は、虎を二頭対にして描くことで意味を反転・増幅させるとされた符号体系である。一般には護符の一種として知られるが、実際にはの帳合、の合図、のちにはの暗号補助として用いられたと伝えられる。
名称の由来については、の紙商・渡辺精左衛門が売り出した「二虎の羅紗包み」に由来する説が有力である。一方で、出島の通詞たちが用いた略記法「NIKO-RA」が先であったとする異説もあり、いずれも決定的な証拠は残っていない[2]。
起源[編集]
護符商からの成立[編集]
二虎羅の原型は年間、通の護符商・小野寺雲斎が考案した木版札に求められる。雲斎は、虎が一頭では「守る」だけで終わるが、二頭にすると「見張る」と「記録する」の両義が生じると説明したとされる。売上は初年度に月平均34枚にすぎなかったが、の臨時札として採用されたことで一気に広まったという。
ただし、雲斎の実在を示す同時代資料は少なく、とされることが多い。それでも、京都の古書市場には彼の署名を模した版木が7点残っており、うち2点は虎の目の数が奇妙に合わないことで知られている。
電信との接合[編集]
12年、の電信実験局で働いていた藤倉敬次郎が、モールス信号の誤受信を防ぐため二虎羅札を用いたとされる。札面の左右に異なる虎紋を置き、受信者が二度確認してから記録する仕組みで、誤記率は従来の1.8%から0.4%へ低下したとする報告がある[3]。
この方式は、の外国商館でも一部採用されたが、虎の図柄が「威圧的すぎる」との理由で、では豹に置き換えられた。これにより、二虎羅は地域によって虎の意匠が微妙に異なるという、やや面倒な仕様になった。
構造と意匠[編集]
二虎羅の基本形式は、中央の点画を挟んで左右に虎を配する「双虎式」と、虎の顔を抽象化した「目相式」に大別される。前者は商家向け、後者は寺社向けとされ、いずれも三重の囲み線を持つのが特徴である。
色彩は朱・墨・藍の三色が基本であるが、下町の工房では、紙の裏打ちに薄茶の米粉糊を用いる「茶返し」が普及した。これにより耐湿性が上がり、梅雨時でも24日程度は判読可能であったとされる。
また、二虎羅の虎は必ずしも写実的ではなく、むしろ「片方が笑い、片方が怒る」ように見えることが重視された。これは、受け手に緊張と安心を同時に与えるための工夫であり、のちの表現にも影響したと指摘されている。
普及[編集]
商家での利用[編集]
の両替商では、二虎羅を帳簿の裏表紙に貼ることで取引の整合性を保ったという。特に8年の米相場の混乱期には、二虎羅を持つ番頭だけが在庫庫に入ることを許され、商店ごとの流儀が形成された。記録によれば、同年の利用商家は少なくとも218軒に達した。
興味深いのは、二虎羅が「借金を減らす」符号としても誤解された点である。実際には簿外債務を減らすものではなく、単に帳簿の行を二重に確認する仕組みにすぎなかったが、庶民の間では「貼ると利子が半分になる」と噂された。
寺院・祭礼での利用[編集]
やの一部寺院では、二虎羅札を楼門の内側に掲げ、夜間の参拝者数を数える補助具として使ったとされる。とくに周辺では、祭礼の混雑時に「虎の右目が見えたら進め、左目が見えたら止まれ」という独特の誘導法が伝わった。
元年の記録では、ある寺で二虎羅を見た子どもが虎を2匹ではなく「2匹半」と数えたため、翌年から虎の足を必ず4本描くよう定められたという。これが意匠の標準化の契機になったとする説がある。
社会的影響[編集]
二虎羅は、単なる図案にとどまらず、確認・照合・承認という手続きを視覚化した点で評価されている。これにより、、、商業帳簿、寺社の入場管理など、相互に無関係だった領域が「二度見る文化」で緩やかにつながった。
一方で、図柄が強すぎるとして学校教材への採用は見送られた。の内部メモには「児童が答案用紙に虎を描き始める」との懸念があり、実際に内の小学校12校で、算数の余白に二虎羅風の模様が大量に書き込まれたことが確認されている[4]。
20世紀後半には、二虎羅は郷土資料として再評価され、の民俗展示では年間約6万2千人が来場する企画の目玉となった。なお、展示期間中に「本物の虎が出るのではないか」と問い合わせる電話が週平均11件あったという。
批判と論争[編集]
二虎羅研究には、成立時期をめぐる対立がある。京都起源説は美術史家に支持されやすいが、長崎の通詞記録に見られる略号群を重視する研究者は、むしろ輸入文化の変形だと主張する。また、藤倉敬次郎の日記にある「虎二つ、通信一つ」の記述が後世の創作ではないかとの疑義もある。
さらに、二虎羅は一部で秘密結社の標章として流通したため、が明治末期に一斉摘発を行ったという逸話がある。ただし、摘発対象の大半は実際には豆菓子商の包装紙であり、政治的事件としてはやや誇張されているとみられる。
近年は、二虎羅の語源が「にこにこ」から来たとする観光向け解説が広まったが、学界ではほとんど相手にされていない。もっとも、土産物店ではこの説の方が売れ行きがよく、真偽よりも笑顔を生む記号として機能している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精左衛門『二虎羅手鑑』洛北書房, 1892.
- ^ 藤倉敬次郎「電信符号に於ける二虎羅札の応用」『工部省電信試験録』第4巻第2号, 1879, pp. 41-58.
- ^ 小野寺雲斎『護符図考 二虎編』四条文庫, 1802.
- ^ Margaret A. Thornton, “Twin-Tiger Notation and Urban Secrecy in Late Meiji Japan,” Journal of East Asian Semiotics, Vol. 12, No. 3, 2008, pp. 201-229.
- ^ 佐伯玄秀「京都紙商における双虎意匠の流通」『民俗と符号』第7巻第1号, 1964, pp. 13-37.
- ^ Hiroshi Kanda, “A Comparative Study of Protective Emblems in Telegraph Offices,” Transactions of the Asian Antiquarian Society, Vol. 19, 1996, pp. 88-109.
- ^ 『京都府古版木目録』京都府立図書館編, 1971.
- ^ 中村いづみ『記号の商人たち』青蛙出版, 1998.
- ^ 田端守一「二虎羅と児童画の反復性」『教育民俗学年報』第15号, 1987, pp. 55-73.
- ^ Eleanor M. Vale, “The Curious Case of Nikora,” Bulletin of Imaginary Ethnography, Vol. 3, No. 1, 2011, pp. 4-19.
外部リンク
- 京都民俗記号研究会
- 二虎羅デジタル版木アーカイブ
- 長崎通詞文書保存会
- 工部省電信史資料室
- 四条通文化地図
- 洛北幻符コレクション