人間工場
| 名称 | 人間工場 |
|---|---|
| 英語名 | Human Factory |
| 成立時期 | 1958年頃とされる |
| 成立地 | 東京都千代田区外神田、ほか |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マーガレット・A・ソーンダイク |
| 主な用途 | 技能訓練、適性配分、人格規格化 |
| 関連機関 | 通産省人的生産性研究会 |
| 廃止時期 | 1987年の行政整理で名目上終了 |
人間工場(にんげんこうじょう、英: Human Factory)は、ので成立したとされる、の性格・技能・嗜好を標準化して生産するための社会技術である。一般にはとの境界領域として知られている[1]。
概要[編集]
人間工場とは、個人を一種の生産単位として扱い、などを定量化して最適配置するという思想および施設群を指す概念である。表向きは職業訓練の高度化を目的としていたが、実際には内の数社と系の外郭団体が、戦後の労働力不足を埋めるために導入したとされる。
この概念は、外見上は、実態としてはを混ぜたような構造をとることが多く、受講者は「製品」ではなく「人材」として出荷されると説明された。もっとも、記録の残る初期施設では、出荷判定の際にとともにパンの耳が支給されるなど、運用はかなり独特であったとされる[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
人間工場の原型は、にの貸会議室で行われた「人的資源の連続生産に関する研究会」に求められるとする説が有力である。この会合では、当時の関連企業にいた渡辺精一郎が、方式を教育現場へ応用する図面を提示したとされる。
一方で、米国側の関与も指摘されており、の行動工学研究者マーガレット・A・ソーンダイクが、に来日した際、近くの喫茶店で「人間は一定時間ごとに規格化できる」と発言した記録が残る。ただし、この証言は後年の聞き取り調査で「砂糖を3本入れたかっただけではないか」と疑義が出た。
制度化と拡大[編集]
には系の実験事業として、の旧倉庫街に「第1人間工場」が開設された。ここでは、入所者は朝礼、適性測定、姿勢矯正、昼食、再測定という工程を日次で繰り返し、最短17日で「初級汎用人材」に認定されたという。
の前後には、来訪者への体裁を整えるため、外壁だけが普通の製造業に見えるよう擬装され、内部では、、が同時に流れ作業化された。見学記録によれば、1日あたり平均142名が視察に訪れ、うち73名が「なるほど」と言って帰ったとされる[3]。
衰退[編集]
に入ると、を掲げる教育改革との整備により、人間工場は徐々に批判を受けるようになった。特に、訓練中に姿勢が一定角度を超えると自動で警笛が鳴る「倫理アラーム」は、などで問題視されたとされる。
しかし実態としては、完全な廃止ではなく、名称をやに変えて存続した施設が少なくなかった。1987年の行政整理以後も、地方自治体の研修資料にだけ「工場式人材育成」の語が残り、初期まで影響を及ぼしたとみられている。
構造と運用[編集]
人間工場は通常、前処理区画、分別区画、熟成区画、出荷判定区画の4つから構成された。前処理区画では入所者の生活習慣を記録し、分別区画では「営業向き」「事務向き」「聞き役向き」などの札が首から下げられたという。
熟成区画では、の徹底、の角度調整、への心理的耐性形成が行われた。なお、の一部施設では、方言の抑制に失敗した受講者が「返却」と判定される事例が年間31件あったとされるが、記録の多くは焼失している。
出荷判定は、主任技師、企業側人事、保健師の3者合議で行われた。判定票には「扱いやすさ」「空気の読解精度」「缶コーヒー適性」などの項目が並び、総合点が81点以上であれば即日配属可とされたという[4]。
社会的影響[編集]
人間工場は、戦後日本のにおける均質化を加速させたと評価されることがある。特にやの大企業では、研修を受けた若手社員の話し方がほぼ同一化し、社内で「第3次標準化現象」と呼ばれた。
他方で、個人差を削ぎ落とす過程で、創造性や離職自由が損なわれたとの批判も強い。ある研究では、人間工場出身者は会議での発言開始まで平均11.4秒遅くなる一方、資料の角は平均2.7度だけきれいに揃う傾向が見られたという[5]。
また、家庭への波及も大きく、には「家庭内ミニ工場化」が流行し、夕食前に家族全員で適性チェックを行う風習が一部地域に広がった。これに対抗して、では「非生産的会話を守る会」が結成されたとされる。
批判と論争[編集]
人間工場をめぐっては、当初からであるとの批判があった。とくにの社会学者・森川由紀夫は、1968年の論文で「工場において最も効率的に生産されるのは人材ではなく従順さである」と述べ、議論を呼んだ。
一方で擁護派は、当時の日本における急速な産業化の中で、一定の規律を持った人材育成は不可欠だったと主張した。ただし、擁護派のパンフレットに添えられた図では、受講者が完成品のように箱詰めされており、かえって批判を強めたとされる。
なお、1974年の質疑では、ある議員が「人間工場における“良品率”とは何か」と質問したのに対し、担当局長が30秒沈黙したのち「再教育可能率であります」と答弁した記録が残る[6]。
遺産[編集]
現在のや、さらにはの面接作法には、人間工場の影響が残っているとされる。特に、自己紹介を30秒以内に整える慣行や、志望動機を一度「型」に当てはめる手法は、同概念の残滓とみなされることがある。
また、の一部自治体では、旧人間工場跡を転用した「産業資料館」が存在し、当時の呼び鈴、温度管理表、謎の柔軟体操カードなどが展示されている。来館者の約4割が、見学後に自然と背筋を伸ばしてしまうという。
近年では、人間工場を批判的に再解釈するアート作品や演劇も制作されており、の小劇場では観客全員に点呼札を配る演出が話題となった。これらは、制度への反省と同時に、なぜか懐かしさを伴う社会装置として再評価されつつある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『人的生産ライン論』産業教育出版, 1962年.
- ^ 森川由紀夫「工場化された人格の測定可能性」『社会技術研究』Vol. 4, No. 2, pp. 41-68, 1969年.
- ^ Margaret A. Thorndike, "Behavioral Conveyor Systems in Postwar Japan", Journal of Applied Industrial Anthropology, Vol. 12, No. 1, pp. 9-27, 1965.
- ^ 通商産業省人的生産性研究会『第1人間工場試験運用報告書』官報資料室, 1963年.
- ^ 小林俊介『標準人間の作り方』新潮社, 1971年.
- ^ “Human Output and Compliance in Japanese Training Facilities”, The Pacific Review of Labor Systems, Vol. 8, No. 4, pp. 201-233, 1976.
- ^ 『能力開発と人格整流の技法』日本職業訓練協会, 1979年.
- ^ 佐伯美枝子「工場式研修における方言抑制の失敗例」『地方行政学会雑誌』第19巻第3号, pp. 88-103, 1982年.
- ^ H. K. Sutherland, "The Ethics Alarm: Automation and Submission in Training Architecture", Industrial Sociology Quarterly, Vol. 3, No. 2, pp. 55-59, 1974.
- ^ 『人間工場跡地活用ガイド』埼玉県産業振興課, 1991年.
外部リンク
- 国立人材標準化資料館
- 昭和人間工場アーカイブ
- 人的生産性研究会デジタル年報
- 外神田産業史研究フォーラム
- 第1人間工場保存会