伊豆北川競馬場
| 所在地 | 静岡県賀茂郡東伊豆町北川 |
|---|---|
| 開場 | 1958年 |
| 閉場 | 1974年 |
| 収容人数 | 約4,800人 |
| コース形態 | 右回り・海風補正付き |
| 最長直線 | 186m |
| 主催 | 伊豆北川競馬振興会 |
| 特色 | 潮騒発走、温泉排熱による冬季凍結防止 |
| 別名 | 北川潮騒競馬場 |
伊豆北川競馬場(いずきたがわけいばじょう、英: Izu Kitagawa Racecourse)は、北川地区の海岸段丘上に存在したとされる小規模なである。昭和中期にとを両立させる目的で建設され、波音を発走合図に用いる「潮騒発走」で知られている[1]。
概要[編集]
伊豆北川競馬場は、東岸の断崖と温泉地形を利用して造られたとされる地方競馬場である。一般的な馬場と異なり、場内の砂にはの潮砂が混ぜられ、レースごとに湿度を調整する「海霧管理」が行われたという。
競走はの観光振興策として始まったとされるが、実際には夏季の宿泊客を平日に引き留めるための施策であったとの説が強い。また、場内売店ではと発走枠の組み立て図が同じ紙に印刷されることが慣例で、観光パンフレットとしての利用価値が高かった[2]。
施設の特徴[編集]
主スタンドは木造二階建てで、屋根が型の緩い反りを持つ。これは強風時に海鳥が屋根に止まり、投票所への侵入を避けるために設計されたものであるとされる。なお、最終的に屋根裏にアオサギが巣を作ったため、1966年以降は「鳥類監視係」が常駐した[3]。
開催方式[編集]
1日あたりの開催は原則3競走、繁忙期でも5競走を超えなかった。これはの温泉旅館が夕食時の客足を確保するためであり、最終レースの発走時刻は必ず18時12分と定められていたとされる。18時12分という数字は、海岸に沈む夕日がちょうど海面に触れる時刻を測った結果であるが、後年の調査では単に当時の時計係が12分単位でしか読めなかっただけだともいう。
歴史[編集]
創設の経緯[編集]
創設は、の観光課、の旅館組合、および地元の元馬丁であるによる三者会談にさかのぼるとされる。山田は戦前にで厩務経験を持ち、引退後に北川の段丘地形を見て「ここなら馬も坂を覚える」と発言したという[4]。
最初の計画では単なる草競馬の会場であったが、温泉地から吹き上がる蒸気がゲート周辺に滞留し、観客が「馬が湯気で見えない」と不満を述べたため、発走機構にが導入された。これが後の同競馬場の象徴的装置となった。
最盛期[編集]
最盛期はからごろで、年間入場者数は平均12万8,400人、売得金は最大で4億2,700万円に達したとされる。もっとも、この数値には近隣の海水浴客に配布された無料入場券の回収分も含まれていたため、実質的な観客動員はその7割程度であったという。
この時期にはの技術者が視察に訪れ、海風による蹄の滑走を防ぐために「火山灰混合砂」を試験的に提案した。採用はされなかったが、場内の一角だけ妙に黒いコーナーが残り、地元では「反逆の第3コーナー」と呼ばれた[5]。
終焉[編集]
の台風21号によって内ラチの一部が流失し、以後は仮設ラチで運営されたが、の後の観光不況で存続が困難になった。閉場は同年10月とされるが、最後の開催日には馬券の代わりに温泉卵引換券が配られたという逸話が残る。
閉場後、馬場跡地は一度への転用が検討されたものの、地下から温泉排水管が発見され、結局は「潮騒広場」として整備された。なお、跡地の一部では今も雨上がりに蹄鉄形の水たまりができるとされる。
競走と運営[編集]
伊豆北川競馬場の競走体系は、距離よりも風向きを重視して設計されていた。特に右回りの1200m戦では、向こう正面で海からの横風が強くなるため、騎手は第2コーナー手前で一度だけ帽子を押さえることが暗黙の作法とされた。
投票方式は、、に加え、地元独自の「温泉券付き連勝複式」が存在した。これは的中者が旅館の貸切風呂を半額で利用できる制度で、売り場には毎回「入浴の予約は別途必要」と書かれた小さな札が置かれていた。
社会的影響[編集]
同競馬場は、における観光シーズンの平準化に大きく寄与したとされる。とくに梅雨時の宿泊率が前年同月比で18.6%上昇したという報告があるが、これは雨天延期になったレースの観客がそのまま旅館に泊まったためである。
また、地元学校の地理授業では、北川の段丘と潮位差を学ぶ教材として競馬場のコース図が用いられた。児童が「馬が海へ落ちないのか」と質問したことから、1970年には防波堤に透明アクリル板を付ける案まで検討されたが、経費の見積もりが高すぎて却下された[6]。
批判と論争[編集]
一方で、同競馬場には「観光優先で動物福祉が軽視されていた」との批判もあった。とくに夏季開催では馬の発汗量が増えるため、厩舎では麦茶と温泉水を1:1で混ぜた特製飲料が与えられたが、これがかえって馬に微妙な不機嫌をもたらしたとされる。
また、の第4レースで起きた「霧中不成立事件」は、現地では「視界が30m未満なら競走は成立しない」という内規があったにもかかわらず、実況担当が「かすかに見えるので続行」と宣言したことに端を発する。これにより3頭が同時にコース外へ逸走し、最終的にいずれも売店の前で停止したという。
跡地と遺産[編集]
閉場後の跡地はに一部が公園化され、観光客向けに「旧発走台の基礎」とされるコンクリート片が展示された。もっとも、のちの調査でそれは防潮堤の残材である可能性が高いと判明している。
それでも、地元では毎年8月に「潮騒記念散歩」が開催され、参加者は旧コースを模した坂道を徒歩で巡る。スタート地点では必ず白旗が振られ、最後に温泉饅頭が配られるが、これをもって競馬文化の継承とみなすかは意見が分かれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯俊夫『伊豆沿岸観光競馬史』静岡地方史研究会, 1981, pp. 44-79.
- ^ Margaret L. Haversham, "Tide and Turf in Postwar Japan", Journal of Coastal Recreation Studies, Vol. 12, No. 3, 1994, pp. 211-238.
- ^ 山内弘『温泉地における馬事施設の変遷』地方行政出版, 1976, pp. 101-146.
- ^ 黒田啓介「北川海岸段丘の利用史」『伊豆民俗』第8巻第2号, 1989, pp. 33-58.
- ^ R. T. Ellison, "Steam Curtains and Starting Gates: An Unusual Raceway Technology", Engineering Heritage Review, Vol. 5, No. 1, 2001, pp. 9-27.
- ^ 東伊豆町史編纂委員会『東伊豆町史 資料編 第4巻』東伊豆町役場, 1992, pp. 612-655.
- ^ 田島美佐子『海霧と観客動線』観光と空間, 第14巻第4号, 2007, pp. 88-109.
- ^ Hiroshi Naramoto, "Odd-Even Posting and Hot-Spring Betting in Shizuoka", Asian Journal of Rural Leisure, Vol. 9, No. 2, 2010, pp. 55-74.
- ^ 小沢修一『競馬場跡地の再利用計画集成』都市景観研究所, 1998, pp. 201-233.
- ^ 伊藤和夫『潮騒発走機の実装と失敗』交通・機械史, 第11巻第1号, 1971, pp. 1-19.
外部リンク
- 伊豆北川競馬場記念資料館
- 東伊豆町観光アーカイブ
- 海岸段丘文化研究会
- 地方競馬遺構データベース
- 潮騒発走保存会