修学旅行の著作権
| 名称 | 修学旅行の著作権 |
|---|---|
| 別名 | 旅程著作権、班編成権 |
| 分野 | 教育法、文化行政、校内慣行 |
| 初出 | 1987年ごろ(諸説あり) |
| 提唱者 | 三輪田 恒一郎ほか |
| 主な適用先 | 中学校・高等学校の校外学習 |
| 保護対象 | 行程表、集合写真、しおり、バス座席表 |
| 管轄機関 | 文部省 校外教育調整室(当時) |
| 争点 | 無断再配布、勝手な“京都自主研修”の改変、しおりの改題 |
修学旅行の著作権(しゅうがくりょこうのちょさくけん)は、におけるの行程、班分け、写真配置、土産選定、さらには帰りの車内で上映される編集順序にまで及ぶとされる権利概念である。主にの中等教育現場で発展したとされ、末期には「旅程の二次利用」をめぐる紛争を契機に制度化された[1]。
概要[編集]
修学旅行の著作権は、修学旅行に関する成果物や運営上の工夫に、制作物としての独自性が生じる場合に認められるとされた校内慣行である。とくに、班別行動表、内の経路図、帰着報告書の編集順などが、半ば冗談のようでありながら実務上は強い拘束力を持った。
この概念は、単なる著作権の比喩ではなく、「誰が旅を設計したのか」を巡る教育現場の摩擦から生まれたものとされる。もっとも、法令上の明文規定は存在せず、実際にはの裁量、の慣行、そして保護者会の空気によって運用されていたと指摘されている[2]。
成立の経緯[編集]
起源は後半、の私立中学校で発生した「旅のしおりの無断コピー事件」に求められることが多い。ある学級が前年の班行程をほぼそのまま転用し、周辺の導線まで一致していたため、作成教員のが「これはもはや引用ではなく盗用である」と校内会議で主張したのが契機とされる。
同時期、の進学校では、写真部が修学旅行の集合写真を勝手に再構成し、学級通信に掲載したことから「被写体の肖像権ではなく、構図の著作権が問題である」との奇妙な整理が行われた。これが内部の会合に持ち込まれ、1989年に非公式文書『校外学習における旅程素材の取扱いについて』が回覧されたとされる[3]。
制度化と拡張[編集]
しおりの版権化[編集]
1992年ごろから、修学旅行のしおりに版数表記を入れる学校が増えた。とくにの一部公立校では、表紙の紙質、表紙フォント、裏表紙の帰路注意文までが「前年度版との非同一性」を示す要素として扱われた。ある学校では、同じの写真でも撮影角度が7度異なるだけで「新規編集物」と判定され、以後、写真班にの使用許可が与えられた。
この運用は、しおりの著作権を守るというより、教員の夜間残業を守る制度として機能した面が大きい。実際、1994年度の地区中学連盟調査では、しおりの再編集に要した平均時間は1校あたり18.7時間増加したとされるが、出典の所在はやや曖昧である。
班編成権の発生[編集]
1990年代後半には、班分けそのものが「創作行為」であるとする説が台頭した。これは、の寺社巡りにおいて、誰を同じ班にするかで旅行全体の印象が変わることから、班編成に独自性が認められるという理屈である。
この説を強く推したのが、の教育行政職員・であった。彼女は「班分けは詩の改行に等しい」と述べ、座席表の並び替えを無断で行った生徒会に対し、学年集会で注意喚起を行ったと記録されている。なお、この発言は後年、教育雑誌『校外活動と法』第12巻第3号に引用されたが、文脈がかなり誇張されている可能性がある[4]。
主な保護対象[編集]
修学旅行の著作権が保護するとされた対象は多岐にわたる。代表的なものとして、行程表、班別行動表、持ち物一覧、宿の夕食時刻表、バス内で流すカラオケ曲順、そして帰着後のスライドショーなどが挙げられる。
一方で、の教育委員会は2001年に「土産物の選定は創作に当たらない」との見解を示したとされる。しかし翌年、ある中学校で全員が同じ風箱を購入してしまい、「選定の一致は編集上の偶然ではない」として学年主任が頭を抱えたため、以後は土産物にも軽い注記が付されるようになった[5]。
批判と論争[編集]
この概念には、当初から強い批判があった。とりわけの一部研究者は、「修学旅行は共同作業であり、著作権のような排他的権利を持ち込むのは教育的に不適切である」として反対した。これに対し推進派は、「共同制作だからこそ、最初に企画した者の人格的利益を守る必要がある」と反論し、議論は半ば感情論に近い様相を呈した。
2004年にはの私立高校で、旅行委員が自作した行程図を無断でクラス掲示板に貼り出した事件が起こり、学年全体が「表示の二次利用」に敏感になった。なお、この事件では、行程図の右下にあったの鹿のイラストだけが特に高く評価され、以後そのイラストのみが独立して保護対象になったという逸話が残る。
社会的影響[編集]
学校現場への波及[編集]
制度の普及により、多くの学校で修学旅行の準備が高度に事務化した。しおりの改訂履歴、集合時刻の版管理、さらには雨天時の代替行程までが「著作者の意図」を尊重して整理されるようになり、旅行前の職員会議はしばしばのような様相を呈した。
また、保護者会では「うちの子の班は2年連続で川沿いを歩かされている」といった苦情が出る一方、逆に「班の並びが今年は文学的である」と感心する保護者も現れた。こうした現象は、教育と文化の境界が曖昧になった事例として研究対象になっている。
観光業との関係[編集]
観光地側でも、修学旅行の著作権を意識した対応が広がった。の平和学習施設では、ガイドの説明順序に関する独自の許諾書式が作られたとされ、の土産店では学校ごとの定番ルートに「校外学習専用表示」を掲げる店も出た。
ただし、これらの多くは実際には観光協会の自主的配慮に過ぎず、法的拘束力はなかったとみられる。それでも、旅行担当教員が「この店のもみじ饅頭導線は昨年の版と同じだ」と真顔で指摘した記録があり、現場では十分に権威を持っていた。
代表的事例[編集]
修学旅行の著作権をめぐる代表例として、の「嵐山再編集事件」が有名である。これは、前年のしおりの地図をもとに、周辺の徒歩ルートだけを変えたところ、元の版を作成した教諭が「編集の独立性が弱い」として異議を唱えたものである。最終的に校内調停で、橋の渡る向きを右回りに変えることを条件に和解したとされる。
また、の「新幹線車内上映順序紛争」では、帰路に流すスライドショーの順番をめぐって学級内で対立が起こった。先に体験発表を置くか、先に食事写真を置くかで意見が割れ、結果として冒頭にの写真を置くことで中立化が図られた。これは、著作権というより編集権の妥協案であったとされる[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三輪田 恒一郎『校外学習における旅程素材の権利性』教育文化社, 1991.
- ^ 西園寺 真琴「班編成と編集意図の相関」『校外活動と法』第12巻第3号, 1998, pp. 44-61.
- ^ 文部省校外教育調整室『旅のしおり管理基準試案』内部資料, 1989.
- ^ 田嶋 亮介『修学旅行しおりの改訂史』東洋教育出版, 2003.
- ^ Margaret L. Haversham,
- ^ School Excursion Authorship and the Problem of Route Fixity
- ^ Journal of Educational Jurisprudence
- ^ Vol. 8, No. 2, 2005, pp. 113-129.
- ^ 小川 由紀『集合写真の構図権と学校共同体』北斗社, 2007.
- ^ Kenji Morita, 'Derivative Use of Bus Seating Charts in Japanese Secondary Schools', Asian Review of School Law, Vol. 14, No. 1, 2011, pp. 7-28.
- ^ 佐伯 俊介『観光地と校外学習の編集秩序』岩波教育選書, 2014.
- ^ L. Whitmore, 'On the Copyrightability of Souvenir Selection', Cambridge Journal of Pedagogical Studies, Vol. 19, No. 4, 2016, pp. 201-219.
- ^ 高瀬 美緒『修学旅行の著作権とその周辺』新潮社, 2019.
- ^ 『なぜか増える修学旅行の権利紛争』教育法評論 第27巻第1号, 2022, pp. 3-18.
外部リンク
- 全国校外学習権利研究会
- 旅程著作物アーカイブ
- 修学旅行編集委員会資料室
- 学校行事法務年報データベース
- 班編成と創作性研究センター