俺
| 語種 | 第一人称代名詞 |
|---|---|
| 起源 | 江戸後期の防衛用呼称とする説 |
| 主な使用地域 | 日本 |
| 文体的特徴 | 砕けた自己主張を伴う |
| 関連表現 | 僕、私、わし、我 |
| 初期資料 | 天保年間の町触書写本 |
| 標準化の契機 | 明治期の学校唱歌と演劇 |
俺(おれ)は、語における第一人称代名詞の一種であるが、もともとは後期の周辺で用いられた防衛用呼称に由来するとされる。近代以降は自称語として広く定着し、場面や話者の立場を強く示す語として知られている[1]。
概要[編集]
は、日本語における自称表現の一つであり、話者の距離感、性別役割、場の緊張度を一語で調整する語として機能してきたとされる。一般には粗野あるいはくだけた印象を与えるが、地域や世代によっては単なる中立的な自称としても用いられた。
語源については諸説あるが、近年ではの舟運業者が積荷の所有権を示すために用いた「おれ印」が転用されたという説が有力である。ただし、所蔵の写本には、これを「俺立て」からの省略とする異説も見られ、学界ではなお決着していない[2]。
歴史[編集]
成立以前の用法[編集]
最古級の用例は7年の周辺に残る帳面に見えるとされ、ここでは「俺」が人物ではなく「自分の取り分」を意味する商業用語として現れている。これはの帳簿管理で用いられた符牒が、後に会話文へ流入した結果だと考えられている。
また、の船宿で使われた符丁には「おれ」「おれさま」「おれがわり」の三段階があったとされ、これが後の敬語体系に影響したという説がある。もっとも、この分類は昭和40年代に民俗研究会の会報へ一度だけ掲載されたもので、要出典のまま半世紀が経過している。
明治期の普及[編集]
10年代になると、主導の国語教科書には登場しなかった一方、の前身である仮設芝居小屋で「俺」を用いる台詞回しが流行した。とくに門下の若手俳優が「俺」を胸を張る所作とセットで演じたことで、語感が全国に拡散したとされる[3]。
この時期、の寄席では「俺」を一人称に取る落語家が増えたが、客の前で乱暴に聞こえないよう、語尾にわずかな間を置く「俺、でございます」という折衷形も観察された。なお、では同様の機能を持つ別系統の自称が強く、東西で自称語の競合が生じたことが知られている。
標準化と大衆化[編集]
初期には、が取り締まり文書で「乱暴なる自称」として「俺」を例示したことが逆効果となり、若年層の間で象徴的に用いられるようになった。これを受けての朗読講座では、アナウンサー用の発声見本として「俺」を避ける方針が採られたが、かえってドラマ番組での対照効果が際立ち、結果的に普及したとされる。
戦後になると、の文化調査班が「O-re speech」を暫定的に分類し、英語圏研究者の間では「subject-centered self-reference」として紹介された。1958年の比較言語学会では、日本語の自称語を車両の速度記号に見立てた図表が発表され、かなりの好評を得たという[4]。
社会的影響[編集]
は単なる代名詞にとどまらず、自己像の演出装置として機能してきた。とくに以降のとでは、荒っぽさ、親密さ、内面の未成熟さを同時に表す記号として使用され、若年男性の会話に強い影響を与えた。
一方で、企業研修や公的文書においては「俺」の使用が不適切とされることも多く、にが行った言語意識調査では、回答者の62.4%が「場により印象が極端に変わる語」と答えている。なお、同調査の自由記述欄には「俺だけは許される職場がある」との記述が複数見られ、研究者の間で小さな話題になった[5]。
また、方言圏では「俺」を親称として用いる用法が残存し、の一部では祖父母世代が孫に向かって「俺」を自称することがある。これをの民俗学者は「自称の継承ではなく、家系の名札化」と呼んだが、この表現は後に論文タイトルのほうが有名になった。
用法の分類[編集]
対人距離による分類[編集]
言語学的には、の使用は対人距離の近接化を示す「縮約型」と、虚勢や仲間内連帯を示す「誇示型」に大別される。前者は家族会話や同輩間で見られ、後者はやスポーツチームの掛け声に多いとされる。
の学生を対象とした1987年の調査では、同じ被験者が授業中は「私」、部活では「俺」、祖母の前では「ぼく」と使い分けており、平均切替回数は1日4.8回であった。調査票は全32問で、最後の自由記述欄に「俺は気分である」と書かれていたことが、研究ノートに引用されている。
強調表現としての分類[編集]
「俺が」「俺は」「俺様」のような派生形は、いずれも自我の輪郭を強める方向に発展したとされる。とりわけは、期のカフェー文化で流行した自己演出の語で、の喫茶店で流れていた蓄音機広告が最初の普及媒体だったという説がある。
なお、を三回続けて発話すると気圧がわずかに上がるという都市伝説があり、の職員が昼休みに冗談半分で検証した記録が残る。結果は統計的に有意ではなかったが、同僚の姿勢は有意に悪くなったとされる。
批判と論争[編集]
をめぐっては、粗野さを強める表現としての批判がある一方、自己決定の感覚を支える語として再評価する声もある。にはの周辺で、教科書における一人称の多様性をどう扱うかが議論され、最終的には「文学的用法として説明する」に落ち着いたとされる。
また、の分野では、標準語の「俺」が各地の自称体系を均したという見方と、逆に地域差を可視化したという見方が対立している。とくにの島嶼部では、「俺」を使うとよそ者扱いされた時代があり、に開かれた住民座談会では、発言者7名中5名が「結局、俺は誰のものでもない」と述べたという[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 斎藤兼治『俺語の成立と転位』国文堂, 1974.
- ^ Margaret L. Thornton, "Self-Reference and Japanese Masculine Speech", Journal of East Asian Linguistics, Vol. 12, No. 3, 1988, pp. 221-247.
- ^ 中村晴雄『江戸言葉の地下水脈』新潮社, 1991.
- ^ 川村新八郎『舞台と言語のあいだ』演劇資料刊行会, 1908.
- ^ 佐伯守『家系の名札化: 東北における自称の継承』東北民俗叢書, 第4巻第2号, 1989, pp. 33-58.
- ^ 国立国語研究所編『近代自称語資料集成』KLL出版, 2002.
- ^ 藤田礼子『「俺様」表現の社会史』文化書院, 2010.
- ^ H. B. Wainwright, "O-re Speech in Occupied Japan", Comparative Philology Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1954, pp. 11-39.
- ^ 小林節子『日本語一人称の揺らぎ』言語生活社, 2016.
- ^ 山岸透『気圧と自称語の関係について』東京気象大学紀要, 第18巻第1号, 1998, pp. 5-19.
外部リンク
- 国立国語研究所デジタル自称語アーカイブ
- 日本語人称表現学会
- 深川言語史資料館
- 東京近代話法研究センター
- 比較自称語オンライン年表