俺達
| 名称 | 俺達 |
|---|---|
| 読み | おれたち |
| 英語名 | Oretachi |
| 成立 | 1898年頃(通説) |
| 起源地 | 東京府神田一帯 |
| 性質 | 集団的自己称呼・連帯表現 |
| 関連分野 | 言語学、社会史、労使関係史 |
| 主な使用層 | 記者、職工、学生運動家 |
| 派生 | 俺ら、我ら衆、オレタチ主義 |
俺達(おれたち)は、において末期から初期にかけて成立した、複数人の同調を前提とする自己言及的な連帯表現である。もとは下の新聞記者たちが用いたの略式表記に由来するとされ、のちに・・へ広く波及したとされる[1]。
概要[編集]
俺達は、話者自身を含む複数者を指す日本語表現の一つであるが、単なる代名詞ではなく、発話者が自分を「個」としてではなく「共同体の一員」として位置づけるための装置として理解されている。とくに期以降は、工場労働者の組合文書や学生の機関誌で多用され、共同責任と共同決定を強調する符号として定着した[2]。
語義上は平易であるものの、その成立史には複数の説があり、の活版印刷所で刷り損じた「我等」の表記を、若手記者が「俺達」と読み替えたことに始まるとする説が有力である。ただし、の下級将校が兵営内で用いた隠語が先行したとする異説もあり、いずれにせよ「自己を複数化する」感覚が近代日本語のなかで急速に制度化された点が特徴である[3]。
歴史[編集]
成立前史[編集]
最初期の用例はの『東京日々新報』地方版に見えるとされるが、実際には校閲済みの紙面ではなく、刷了直前のゲラ刷りに残っていた書き込みであったという。書き手は不明であるが、当時の神田三崎町にあったの組版主任・渡辺精一郎が、二人以上の寄稿者をまとめて示すために便宜的に「俺達」と朱書きしたのが始まりと伝えられる[4]。
この表記は、本来ならば新聞社内部のメモにとどまるはずであったが、活字棚の誤配により翌日の紙面の見出しに混入した。結果として、「俺達」は読者の目に触れた最初の自己複数称となり、当時の若者層に奇妙な親近感を与えたとされる。なお、の報告書には、これを「無礼なる集合語」として注記した箇所がある[5]。
労働運動への浸透[編集]
頃から、やの工場労働者のあいだで「俺達」は急速に広がった。とくに缶詰工場で知られるの争議では、被雇用者側が団体交渉の第一声を「俺達は、俺達の賃金を決める」と述べたという逸話が残る。この表現は、個人の要求を集団の要求へと転換する簡潔な技法として高く評価された。
また、にはの機関紙『同心』が、「俺達宣言」を紙面中央に1ページ丸ごと掲載し、活版の組み代が足りずに翌号から3号連続で表紙が薄桃色になった。これが「俺達ピンク事件」と呼ばれ、後年の組合史研究では、表現の拡散と印刷資材の不足が同時に記録された稀有な例として扱われている[6]。
政治・文化への定着[編集]
に入ると、俺達は労働運動のみならず、学生自治会、地方改良運動、さらには地方紙の社説にまで浸透した。特にの学生演説会では、登壇者の一人が「俺達は個人である前に、ひとつの声である」と発言し、聴衆の拍手が14分間続いたと記録されている。拍手の長さはやや誇張の可能性があるが、少なくとも会場係が3回も入口を開閉したことは残された写真から確認できる。
一方で、表現の過度な集団化は批判も招いた。はの通達で、行政文書における「俺達」の使用を「情緒的で、責任の所在を曖昧にする」として抑制対象に含めた。ただし、地方の農会や青年団ではむしろ歓迎され、集会の結語として定型化するなど、上からの統制と下からの流行が食い違う現象が起きたとされる[7]。
用法[編集]
俺達の用法は、単純な複数称にとどまらず、連帯の強度を段階的に示す点に特徴がある。研究者の間では、日常会話における「俺達」、組織文書における「我々俺達」、宣言文における「我ら俺達」の三段階説が知られている。
また、発話者が実際には単独であるにもかかわらず「俺達」を用いる「擬似複数化」は、のラジオ番組で頻出した。とくにの深夜討論番組に出演した評論家・久保田巳之助が、原稿の節約のために「俺達」を連発した結果、視聴者から「内容は一人でも、勢いは四人分」と評された記録がある[8]。
こうした用法の広がりには、の下町だけでなくの商家やの開拓地も関与したとされる。もっとも、地方差の詳細は資料が散逸しており、とされる記述も少なくない。
社会的影響[編集]
俺達は、日本語における集団主義的自己表現を象徴する語として、多くの分野に影響を与えた。学校教育では、の国語教科書において「ぼく」や「わたし」と並ぶ補助項目として扱われ、協同学習の例文に採用された。このとき文部省は、児童の作文で「俺達」が多用されることを懸念し、教師用指導書に「乱用せず、必要時に限るべし」と赤字で追記した。
経済面では、戦後の広告業界が「俺達」を共同購入キャンペーンに取り入れたことで、家電・米・灯油の販売が一時的に伸びたとされる。特にの『俺達で買おう冷蔵庫』運動は、の百貨店屋上で行われた抽選会が火付け役となり、参加者の9割がその場で隣人を「俺達」と呼び始めたという[9]。
文化的には、昭和末期の映画やテレビドラマで、男同士の友情を示す決め台詞として定着した。もっとも、平成以降はジェンダー中立的な連帯表現が増えたため、「俺達」はやや古風で熱量の高い語として再評価されている。
批判と論争[編集]
俺達に対する批判は、主として「個人の責任を集団に溶かし込みやすい」という点に向けられてきた。とくにのシンポジウムでは、言語学者の高橋澄雄が「俺達は便利だが、便利すぎる」と述べ、会場から拍手と失笑が同時に起こったと記録されている。
また、にはの高校で、文化祭スローガン「俺達の時代」が保守的とされた一方、同時に校内放送で流れたフォークソングが「俺達」を4回も反復していたため、どちらが本当に問題であったかが曖昧になった。この件は、表現規制と流行語の境界が一致しない事例としてしばしば引用される[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『活版と代名詞の交差点』青松館出版, 1934.
- ^ 高橋澄雄「自己複数称の社会史」『国語学研究』Vol.12, No.3, pp. 41-68, 1959.
- ^ 佐伯美津子『近代日本語における連帯表現』岩波書店, 1978.
- ^ M. A. Thornton, “Plural Selves in Industrial Japan,” Journal of Sociolinguistic History, Vol.8, No.2, pp. 113-149, 1986.
- ^ 久保田巳之助『深夜討論と俺達語法』NHK出版, 1964.
- ^ 山本兼作「俺達ピンク事件の印刷史的研究」『印刷文化』第7巻第1号, pp. 5-22, 1971.
- ^ F. R. Ellison, “Collective Pronouns and Labor Identity,” The Pacific Review of Language, Vol.3, No.4, pp. 201-229, 1952.
- ^ 国語表現史編纂委員会『日本語集団呼称史資料集』中央資料社, 1991.
- ^ 小松原潤一『広告と共同購入の戦後史』朝日出版, 2002.
- ^ 宮下紗季『「俺達」の時代とその終焉』東京言語文化社, 2017.
外部リンク
- 東京言語史アーカイブ
- 青松館印刷所デジタル館
- 国語表現研究フォーラム
- 昭和連帯語彙データベース
- 俺達史料室