八上村
| 名称 | 八上村 |
|---|---|
| 読み | やかみむら |
| 別名 | 八上講村、八上普請村 |
| 成立 | 慶長年間頃とされる |
| 位置 | 鳥取県東部の丘陵地帯 |
| 主要産業 | 棚田農業、炭焼き、講組織の会計代行 |
| 著名な慣習 | 八枚割り、雨乞い札、秋の反省寄合 |
| 解体 | 昭和中期に実質消滅 |
| 関連史料 | 八上村覚書、八上台帳、八上講中日記 |
八上村(やかみむら)は、の中山間地において近世以降に形成されたとされる、山村共同体の通称である。特に東部の古文書に現れる「八上講」および「八上普請」の慣行に由来する村落単位として知られている[1]。
概要[編集]
八上村は、単なる地名ではなく、前期に成立したとされる相互扶助型の村落制度を指す名称である。村域はの山間部に限られたが、帳簿上は北部やの一部まで「準八上圏」として扱われた例がある。
この制度の特徴は、戸数を固定せず、年ごとの収穫高と婚姻件数によって村の構成員を再計算する点にあったとされる。もっとも、後年の研究では、実際にはの年貢台帳を簡略化するための会計技術が、村落共同体の伝承として再解釈された可能性が指摘されている[2]。
成立の経緯[編集]
八枚割りの導入[編集]
八上村の起源は、9年に庄屋のが考案したとされる「八枚割り」に求められる。これは収穫米を八等分するのではなく、正味の七割を村で保管し、残り三割を翌年の共同作業の出資原資とする制度であった。庄屋が「八」にこだわった理由は、仏教の八正道に由来するとする説と、単に算盤が八珠ごとに目盛りやすかったからだとする説が並立している[3]。
八上講の成立[編集]
期になると、近隣のの祭礼費用を負担するため、「八上講」と呼ばれる講組織が村の外縁に設けられた。講中は毎月8日に集まり、出納簿の誤差が8文以内であれば「整帳」、9文以上であれば「空誦」と呼んで再集計を行ったという。なお、この「空誦」は、会計担当が読経のふりをして誤差を煙に巻いた慣行を意味するとされるが、一次史料の裏付けは薄い[要出典]。
制度の特徴[編集]
村役の輪番制[編集]
八上村では、村役人は「庄屋」「年寄」「炭見」「橋番」の4役に分かれていたが、半年ごとに役名ごと入れ替える輪番制が採用されていた。とりわけ炭見は、炭の質よりも袋の縫い目を検査することが重視され、これにより地域の縫製業が妙に発達したとされる。明治末の記録では、年寄経験者が全戸の43.7%に達した年があり、村内で会議の結論が異様に早いことで知られていた。
雨乞い札と反省寄合[編集]
旱魃時には、村の東端にある石祠へを納める習慣があった。札には「八日以内に降雨なければ翌月の講銭を倍徴収」と書かれ、宗教行為と会計圧力が不可分であった点が八上村の特色である。さらに秋には「反省寄合」と呼ばれる会合があり、前年の失敗を一戸ずつ3分以内で報告させた。長引く発言は「村の湿気を増やす」として嫌われたという。
八上村台帳と外部評価[編集]
八上村の名は、14年に作成されたとされる『八上村台帳』によって広く知られるようになった。台帳はの地方統計係が収集した資料の一部で、農地面積、炭窯数、講銭滞納率、婚姻の媒介成功率まで記載されていたという。
のは、これを「日本的共同体の会計化」と評したが、同時に「村の伝承が数値に過度に引きずられている」とも述べた。彼の報告書によれば、八上村では1年に平均2.8回しか争議が起きず、そのうち1.1回は算盤の玉の紛失に起因していたとされる[4]。
社会的影響[編集]
八上村の制度は、初期の農村改善運動において模範例として引用された。特にの「共同作業標準化試案」では、八上村の輪番制が「過度に勤勉であるため逆に疲弊を防ぐ」と評価され、全国17道県の実験村で部分導入された。
一方で、村の出納が精密になりすぎたため、親族間の贈答まで講会計に記録される事態が頻発した。これに対し一部住民は、昭和27年の座談会で「村が家計を越え、家計が村を越えた」と表現したとされ、後の民俗学者によって引用されることになった。
批判と論争[編集]
八上村については、そもそも実在の単一村落だったのか、複数の山村慣行を後世に束ねた概念なのかで見解が分かれている。特に所蔵とされる『八上講中日記』の一部ページに、インクの成分が後期の合成染料と一致する箇所があることから、後補の可能性が指摘されている[5]。
また、八上村の「八」という数字が過剰に強調された結果、史料中には「八上八組」「八上八坂」「八上八帳」など、説明のために増殖した呼称が見られる。研究者のはこれを「八の自己増殖」と呼び、村の実態よりも後世の編集者の美意識が制度を形作ったと論じた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 河合信之助『八上村台帳の研究』東京帝国大学農学部紀要 第12巻第3号, 1919, pp. 41-89.
- ^ 渡辺宗左衛門『八枚割り勘定法覚書』八上郷土史料刊行会, 1684.
- ^ 黒田多聞『村落講の数理とその儀礼性』民俗学雑誌 Vol. 38, No. 2, 1956, pp. 115-141.
- ^ 佐伯千賀子『中山間地における輪番制の展開』地方史研究 第24巻第1号, 1972, pp. 9-33.
- ^ M. A. Thornton, "Ledger and Ritual in a Japanese Mountain Village", Journal of Rural Anthropology Vol. 7, No. 4, 1988, pp. 201-229.
- ^ 高橋理一『八上講中日記にみる会計語彙』鳥取民俗学会報 第9号, 1963, pp. 55-76.
- ^ E. P. Caldwell, "The Eightfold Village: A Comparative Note", The East Asian Review Vol. 15, No. 1, 1974, pp. 3-28.
- ^ 山根久子『反省寄合の社会心理学的考察』地方文化研究 第6巻第2号, 2001, pp. 77-104.
- ^ 田所源兵衛『八上村覚書』鳥取郷土文庫, 1821.
- ^ K. H. Mercer, "On the So-Called Yagami Accounts", Proceedings of the Society for Imaginary Studies Vol. 2, No. 5, 1995, pp. 88-97.
外部リンク
- 八上村史デジタルアーカイブ
- 鳥取山村制度研究会
- 地方会計民俗資料室
- 八上講復元プロジェクト
- 中山間共同体年表館