助太刀リキシ
| 名称 | 助太刀リキシ |
|---|---|
| 読み | すけだちりきし |
| 英語名 | Sukedachi Rikishi |
| 成立 | 寛政年間とする説がある |
| 起源地 | 江戸・両国周辺 |
| 分野 | 相撲文化、儀礼、興行安全対策 |
| 役割 | 取組の補助、場内誘導、演出支援 |
| 影響 | 舞台芸術、祭礼運営、危機管理 |
| 関連組織 | 回向院奉行付助勢帳合所 |
| 現代の継承 | 一部の地方巡業と演劇学校 |
助太刀リキシ(すけだちりきし)は、後期に成立したとされる、における臨時支援役およびその文化的制度を指す語である。土俵上の「助け」を専門に担う存在として知られ、のちにを中心に舞台演出や警備術にも影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
助太刀リキシは、力士の取組そのものに介入するのではなく、取組前後の混乱を抑え、稽古場や興行会場での人員整理を行う役目を担ったとされる制度である。名称は「助太刀」と「力士」を組み合わせたもので、当初は場内の警固役を兼ねた半ば非公式の呼称であったという。
一般には以前の周辺の勧進相撲で発生したとされ、観客の密集、賭け事の横行、土俵周辺の転倒事故に対応するために考案されたという説が有力である。ただし、同時代資料においては「助太刀役」「腰元力士」「呼び込み四股」など表記が揺れており、制度としての輪郭は必ずしも明瞭ではない[2]。
成立の背景[編集]
助太刀リキシの成立は、後に都市部へ流入した余興人足と、興行の商業化が同時進行したことに由来するとされる。とくに9年、両国周辺での巡業中に土俵脇の桟敷が崩れ、観客37人が軽傷を負った事件が後の制度化を促したと伝えられている。
この事故を受け、町奉行所の下部組織である「相撲見回り同心」が、四股を踏める者に限り場内の誘導と護衛を兼務させたのが始まりであるという。もっとも、後年の記録では同心の命令というより、地元の親方筋が独自に始めた慣行であったとも書かれており、起源にはなお議論がある。
制度の構造[編集]
役割と階級[編集]
助太刀リキシは、上位から「本助太刀」「足場助太刀」「幕引き助太刀」の三層に分かれていたとされる。本助太刀は取組直前の進路確保、足場助太刀は土俵下の整備、幕引き助太刀は興行終了後の観客排出を担当した。
記録上は、最盛期の文政年間に市中で合計128名が登録されていたという。うち約4割は現役力士の引退者で、残りは鳶職、木戸番、湯屋の番頭などで構成されていたとされるが、これは後世の講談に脚色された可能性もある。
服装と作法[編集]
服装は通常の化粧廻しではなく、短く裾を詰めた藍染めの羽織に、左肩だけ赤い紐を結ぶのが慣例であった。赤紐は「助けの印」と呼ばれ、遠目には土俵下の警告線としても機能したという。
また、入場時には四股を二度だけ踏み、最後に片膝をついて土俵を見上げる独特の礼法があったとされる。この動作は「力を借りる礼」と解釈されているが、実際には単に狭い通路で頭をぶつけないための実務的所作だったという指摘もある。
歴史[編集]
江戸後期の定着[編集]
文化年間には、助太刀リキシはほぼ興行に付随する標準職能として扱われ、やの巡業では「助太刀が三人いない相撲は荒れる」とまで言われた。とくにを越えて観客が流入する日の興行では、助太刀の配置人数が通常の1.8倍に増やされたとされる。
一方で、助太刀役の者が土俵近くで目立ちすぎることから、主役を食うのではないかという批判もあった。これに対し、元横綱格の岡村虎十郎が「助太刀は勝負を見せぬために立つ」と述べたという逸話が残る。
明治期の再編[編集]
維新後、警察制度の整備に伴い、助太刀リキシは一度は不要と見なされた。しかしが1893年に出した「興行場雑踏防止心得」において、力士経験者を含む臨時警備班として再評価され、名称だけが近代化して「補助取組員」とも呼ばれた。
この時期、の見世物小屋では、助太刀リキシの所作を模した誘導法が採用され、客入れの速度が平均17秒短縮されたとされる。なお、この数値は当時の新聞に見えるが、筆者が自ら計測したような不自然な書きぶりであることから、要出典とする研究者もいる。
大正から昭和初期[編集]
末期には、映画館や運動会の雑踏整理に助太刀リキシ出身者が転用され、制度は半ば都市安全技術へと変化した。特にの労働会館では、入場列の先頭と最後尾を同時に管理する「左右助太刀法」が考案され、後のイベント警備の原型になったという。
ただし、昭和初期には暴力団との関係を疑う声もあり、が一部の興行団体に対して聞き取りを行った記録が残る。もっとも、当該記録は焼失したとされ、現存するのは書写の写しのみである。
社会的影響[編集]
助太刀リキシは、相撲文化の内部規範にとどまらず、日本の群衆制御に独特の発想を持ち込んだ制度として評価されている。特に「場を止めずに場を守る」という考え方は、祭礼、駅前整理、学校行事の整列法にまで波及したとされる。
また、や地方のでは、出演者や踊り手の動線を守る役として「助太刀衆」の語が転用された。これにより、助太刀リキシは武芸的な強さよりも、むしろ“空気を読む技能”の象徴として再解釈されたのである。
批判と論争[編集]
助太刀リキシをめぐっては、そもそも実在した制度なのか、後世の相撲講談が生み出した概念なのかで意見が分かれている。所蔵とされる写本には断片的な記述が見られるが、同一文言が複数の版本で不自然に一致しており、改竄の疑いが指摘されている。
また、近年の民俗学では、助太刀リキシを「都市の雑踏を相撲語彙で説明した比喩」とみなす説もある。これに対し、江戸相撲史研究会は「比喩にしては運用規定が細かすぎる」と反論しているが、その会合記録には参加者名が全員“佐藤”であったという奇妙な注記がある。
現代における継承[編集]
現代では正式な職制としては存在しないが、の安全補助や、大学の相撲部、伝統芸能の現場で象徴的に用いられることがある。とりわけのある高校相撲部では、道場の入退場係を代々「助太刀リキシ」と呼ぶ慣習があり、毎年春に赤紐の継承式が行われるという。
さらに、2020年代にはイベント運営会社が「Sukedachi System」と称する雑踏整理プログラムを導入し、入場導線の交差率を27%低減したと発表した。ただし、この数値は自社調査のみで、外部検証は確認されていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山内重信『助太刀リキシ考—江戸興行における補助力士の制度史—』相撲史研究叢書, 1998, pp. 41-89.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ring-Side Assistants and Crowd Rituals in Late Tokugawa Edo," Journal of East Asian Popular Performance, Vol. 12, No. 3, 2007, pp. 201-233.
- ^ 小野寺清一『両国雑踏と助太刀衆』東京民俗出版社, 1976, pp. 11-64.
- ^ 佐伯真帆『興行場安全心得の近代化と補助取組員』都市史評論, 第8巻第2号, 1989, pp. 55-78.
- ^ H. K. Winter, "The Anthropology of Protective Wrestlers," Bulletin of Ritual Sports Studies, Vol. 4, No. 1, 1963, pp. 7-29.
- ^ 田島栄太郎『相撲見回り同心覚書』回向院文庫, 1911, pp. 3-18.
- ^ 渡会ゆかり『赤紐の礼法—助太刀リキシ服飾小考—』服飾民俗学会誌, 第14号, 2004, pp. 92-110.
- ^ 岡村虎十郎『土俵は勝負、脇は助け』講談社相撲選書, 1935, pp. 5-22.
- ^ 西園寺さとみ『イベント警備の起源としての助太刀リキシ』安全文化研究, 第21巻第4号, 2016, pp. 133-151.
- ^ 『助太刀リキシ古記録集』東京都立郷土資料館編, 1987, pp. 1-97.
外部リンク
- 江戸相撲文化アーカイブ
- 両国雑踏史研究所
- 回向院周辺史データベース
- 補助取組員保存会
- Sukedachi Studies Online