勝っても負けても虎命
| 名称 | 勝っても負けても虎命 |
|---|---|
| 別名 | 虎命主義、勝負無関係応援 |
| 発祥 | 1967年ごろ、兵庫県西宮市周辺 |
| 提唱者 | 竹内喜三郎(諸説あり) |
| 主な活動地域 | 兵庫県、大阪府、京都府 |
| 中心行事 | 開幕三唱、雨天決起集会、敗戦後の白湯儀式 |
| 影響を受けた文化 | 球場文化、商店街応援、街宣演芸 |
| 関連団体 | 関西虎命協議会 |
| 標語 | 勝ってもよし、負けてもなお虎である |
勝っても負けても虎命(かってもまけてもとらいのち)は、の勝敗にかかわらず虎への忠誠を最優先する姿勢、またはその思想を体系化したの準宗教的応援文化である。主にを中心に広まり、のちに圏の都市文化の一部として定着したとされる[1]。
概要[編集]
勝っても負けても虎命は、の勝敗結果を個人の感情と切り離し、応援行為そのものを生活規範として捉える考え方である。一般には熱狂的ファンの自嘲的表現として理解されるが、実際には40年代末にの酒場街で形成された独自の倫理体系に由来するとされる[2]。
この思想では、勝利時には祝杯、敗北時には忍耐と再誓約が重視される。また、試合内容が荒れていても「虎であること」に価値を見いだす点が特徴で、のちにの港湾労働者やの商店主層へ広がった。なお、初期の文献には「負けた夜ほど声量を上げるべし」とする奇妙な訓戒が見られるが、出典の多くは個人日誌であり信頼性には議論がある[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源は夏、近くの大衆食堂「たつみ」における常連客の議論に求められる。そこでは連敗時の客足減少を防ぐため、店主のが「勝っても負けても虎命」と書いた手製の木札を掲げたことが、後年の教義化の端緒になったとされる[4]。木札は幅27センチ、厚さ9ミリ、墨のにじみが右下へ3ミリほど流れていたという細かな記録まで残る。
この表現は当初、単なる景気づけの文句であったが、翌年に内の応援グループ「浜甲子園三唱会」が採用し、敗戦後も撤収せずに拍手を続ける行為を儀式化した。特にの夏場には、試合終了後に立ち尽くしてから解散するという規則が作られ、後に「虎命43分規定」と呼ばれた。
拡大と制度化[編集]
、関西の私鉄沿線で配布された応援冊子『虎命便覧』第3版が転機となった。ここで初めて「虎命」は名詞化され、個人の気分ではなく共同体の責務として記述されたのである。冊子によれば、勝利時は、敗北時はの白湯を飲み、心拍数を落ち着かせてから翌日の予定を立てることが推奨された。
の優勝期には、の百貨店屋上で「勝っても負けても虎命」の横断幕が掲げられ、来場者数が最大に達したと報告されている。ただし、この数字は主催者発表と警備会社記録での差があり、研究者の間では「傘の本数を人数に含めた可能性」が指摘されている。
平成期以降の変容[編集]
に入ると、虎命は都市型の自己表現として再解釈された。若年層のあいだでは、勝利の翌日に通常通り出勤しつつ、敗戦の翌日はネクタイの結び目だけを緩める「控えめ忠誠」が流行したとされる。これはの文具店が販売した「虎命ノート」シリーズの影響が大きい。
一方で、ごろからSNSの前身的な掲示板で「負けた試合を寿ぐ」という表現が散見されるようになり、虎命は宗教的誇張から半ばミームへ移行した。関係者の証言では、当時の投稿にはやけに詳しい試合回顧が多く、なかでも「三塁側の風速が毎分で、敗因の7割を占めた」とする書き込みが有名である。
教義と作法[編集]
虎命の基本原理は「結果に先立ち、帰属を守る」である。これにより、勝敗のいずれにおいても応援者は自己否定に陥らず、むしろ忠誠を再確認できるとされる。教義文書『虎命七箇条』では、第一条に「勝てば鳴らし、負ければ整えよ」、第二条に「敗戦後も拍手三回を欠かすべからず」とある[5]。
実践面では、球場に入る前に黄色と黒の配色をの比率で身につけること、七回裏の後に一度だけ深呼吸すること、試合後に商店街のたこ焼き屋で結果を反省会しないことが推奨された。なお、反省会の禁止はの飲食店組合が定めたローカル規則に由来するとされるが、実際には「泣く客が増えるから」という非常に実務的な理由だったとの証言もある。
社会的影響[編集]
虎命は球場外の都市文化にも影響を与えた。たとえばの商店街では、定休日の貼り紙を「敗戦後の心を休めるため」と書き換える習慣が生まれ、結果として閉店告知の文体が妙に感傷的になった。またの印刷業者のあいだでは、応援旗の発注が減るオフシーズンに、虎命標語入りの領収書を大量に刷ることで売上を維持したという[6]。
さらに、教育現場でも小規模な採用例があったとされる。のある中学校では、学級目標に「勝っても負けても虎命に学ぶ」と掲げたところ、体育祭の敗北後に生徒が異常に礼儀正しくなったため、校長が一時的に継続を認めた。もっとも、保護者からは「意味はわからないが元気は出る」との感想が多く、文化的実用性の高さがうかがえる。
批判と論争[編集]
虎命に対する批判としては、結果主義の放棄を美徳化しすぎる点が挙げられる。特に後半には、スポーツ評論家のが「負けても虎命と言うなら、そもそも何を改善するのか」と疑義を呈し、紙上で小論争となった[7]。これに対し支持者は「改善はするが、忠誠は動かさない」と応答し、議論は平行線をたどった。
また、研究者の一部は、現在流通している虎命の体系が後年の編集によって過度に整えられた可能性を指摘している。とりわけ『虎命便覧』初版の奥付に存在するの日付は、本文の紙質と一致しないとされ、製本後に追記された疑いがある。ただし、この種の改ざん疑惑自体が「敗戦後も体裁を整える」虎命精神の実例として肯定的に引用されることもある。
派生文化[編集]
虎命からは多くの派生語が生まれた。勝利時に用いられる「本日も虎全開」、引き分け時の「半虎命」、雨天中止時の「空模様も虎のうち」などが典型である。なかでも「虎命返し」は、負け試合の翌日にあえて同じ席に座る行為を指し、沿線の喫茶店で広まった。
また、の大学サークルでは、応援の声量ではなく帰り道の沈黙の長さを競う「沈黙甲子園」が派生し、虎命研究の周辺領域として扱われている。学術的には、これは敗北を共同体の記憶に変換する儀礼であると解釈されることが多いが、参加者の多くは単に腹が減っていたと証言している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 竹内喜三郎『虎命便覧 第一版』関西応援文化研究会, 1971.
- ^ 柿原正彦「敗戦受容と都市ファンダム」『スポーツ社会学研究』Vol.12, No.4, 1998, pp. 41-63.
- ^ 松浦智子『阪神沿線の儀礼と商店街』神戸港文化出版社, 2004.
- ^ Elizabeth H. McConnell, "Post-Defeat Loyalty in Urban Baseball Cultures," Journal of Comparative Fan Studies, Vol. 8, No. 2, 2011, pp. 115-142.
- ^ 関西虎命協議会編『虎命七箇条 注釈版』梅田文芸堂, 1986.
- ^ 西岡達也「白湯と忠誠の心理学」『応援行動学紀要』第9巻第1号, 2007, pp. 7-29.
- ^ Margaret A. Thornton, "Rituals of Staying: The Kyo-Baseball Ethic," East Asian Cultural Review, Vol. 15, No. 1, 2015, pp. 88-101.
- ^ 藤村玲子『負け試合のあとで読む本』阪急新書, 2012.
- ^ 山根弘樹「『虎命』語彙史の再検討」『近代関西語彙研究』第4号, 2020, pp. 3-18.
- ^ Y. Sato, "When Fans Stay After the Loss," Proceedings of the Osaka Urban Folklore Forum, Vol. 3, 2019, pp. 201-219.
- ^ 井上雅彦『なぜ人は負けても旗を振るのか』港町書房, 1996.
- ^ Carolyn W. Reeves, "A Note on the Mysterious White Water Ritual," Journal of Invented Traditions, Vol. 2, No. 1, 2022, pp. 14-16.
外部リンク
- 関西虎命協議会アーカイブ
- 阪神沿線応援文化資料室
- 白湯儀式研究センター
- 虎命便覧デジタル版
- 都市ファンダム民俗館