卯さん
| 別名 | 卯標(うひょう)/ 卯式(うしき) |
|---|---|
| 分野 | 労働安全・現場運用学 |
| 成立地域 | 北部の工業集積地帯 |
| 起点とされる時期 | 前後 |
| 主な用途 | 危険予兆の読み上げと点検の省力化 |
| 関連組織 | 大阪安全技術協会(通称:大安技協) |
| 方式 | 温度・音・香りの「卯三因」 |
卯さん(うさん)は、で伝わるとされる「現場の安全を測る」半公式の俗称である。主にの現場で話題にされ、特に夜間作業の段取り会議で頻出するとされる[1]。
概要[編集]
は、作業員の経験知を「数値っぽく」統一するための呼称として用いられるとされる概念である。とくに工場の夜勤や配送センターの早朝仕分けでは、段取りの最後に「卯さん、いきます」と声をかける慣行があったとされる。
その内容は「卯三因」と呼ばれる三つの観測—①温度、②音、③香り—を、現場の口伝に基づいて評価するという形式で説明される場合が多い。評価はA〜Fの六段階とされ、さらに「卯さん係」が読み上げる数値は、地域ごとに細かな差異があるとされる[2]。なお、後述のようにこの仕組みは後年、監査文書向けに“翻訳”されることで広まったと指摘される。
用語と実務[編集]
卯三因(うさんいん)と六段階[編集]
卯三因は温度(熱の滞留)、音(機械音の変質)、香り(潤滑油や樹脂の匂い)を同時に見立てるとされる。ただし専門的な計測器を用いるのではなく、まずは「誰が嗅いだか」「誰が聞いたか」を記録する運用が中心であるとされる。
評価はA〜Fであり、たとえば温度は作業開始から後、後、後に再確認するルールが“卯標”として語られることがある。音は「軸受の高音域が30秒のうちに一回だけ伸びるかどうか」で判定されるとされ、香りは「焦げに近い甘さが鼻の奥に残るか」と説明される場合がある。こうした表現が、のちに書式化され監査で通用する体裁へ整えられたとされる[3]。
卯さん係(うさんがかり)と“点呼の儀式”[編集]
卯さん係とは、卯さんの読み上げを担当する人員である。明確な資格制度は当初なかったとされるが、の小規模企業では「前年度のヒヤリハットが3件以下の人」が指名されがちであったという記録が残っているとされる。
段取り会議では、点呼に近い手順が組まれていたとされる。たとえば「出入口の風向き→棚の角の欠け→卯三因」の順で確認し、最後に参加者全員が同じ言い回しで返すとされる。返答の文言が地域の“方言”として定着し、後年それが社内教育の教材に採用されたとされる[4]。
歴史[編集]
生まれた経緯:安全監査の“空白”を埋める装置として[編集]
卯さんが生まれたのは、後半に安全監査が急拡大した時期の“空白”を埋めるためだとされる。記録は求められるが、現場は複雑で、しかも夜間は写真も取りにくい。そこで、現場のベテランが口で語っていた評価を、行政文書に合わせるための「翻訳単語」が必要になったとされる。
この翻訳単語の原型は、北部の工場群で「卯(う)の数え方」が流行ったことに由来すると語られる。具体的には、旧来の点検表が“兎の絵”のように見えることから、作業者が勝手に「卯さん」と呼び始めたのが端緒だったという説が有力である。ただし、その呼称が行政や学会での採用に至るまでには、現場での通称が、のちの監査対応資料に“似せて”整理された経緯があったと推定されている[5]。
関わった人々:大安技協と大学の“手触り研究”[編集]
卯さんの普及には、(通称:大安技協)の委員が関与したとされる。彼らは「計測だけでは現場の納得が得られない」という理由で、現場の感覚を文章化する研究会を立ち上げたとされる。
研究会の中心人物として、当時の産業衛生分野で知られたや、手触りを重視する計測心理学のの名が挙げられることがある。これらの人物は学会誌で「手触りの再現性」を議論したとされるが、実際の内容は“言い回しの統一”に寄っていたと指摘されることもある。なお、この時期に「卯三因」を再現するため、協会が試作した教育キットには、香り用の封筒が、音の観察カードが、温度の指差しシートが含まれていたと伝えられている[6]。
社会への影響:安全の“共通言語”として浸透し、摩擦も生んだ[編集]
卯さんは現場間のコミュニケーションを滑らかにしたとされる。ベテランがいなくても、卯さん係が一定の言い回しで説明すれば点検の齟齬が減る、という期待があったとされる。
一方で、現場によって“正しい卯三因”が微妙に違うため、監査官が来ると表現が過剰に統一される現象も起きた。結果として、音や香りの観察が「それっぽい自己申告」になり、実測との乖離が疑われた時期があったとされる。また、夜勤で匂いを嗅ぐ工程が増えたことで、アレルギー相談が増えたという社内記録も残っているとされる[7]。
批判と論争[編集]
批判としては、卯さんが“安全”ではなく“儀式”になりつつある点が挙げられている。つまり、危険が本当に減ったかよりも、「卯さんの言い回しを言えたか」が評価される空気が生まれたという指摘である。
また、「卯さん係の指名基準」が地域慣習に依存し、結果として職務分担の公平性が崩れたという意見もある。さらに、教育キットの配布が先行した地域では、実地訓練が追いつかないまま点検文書だけが整う“文書安全”が発生したとされる。特にの研究所向け研修では、卯三因の香り評価が“説明しやすい匂い”に誘導され、元の現場の匂いとのずれが問題になったという報告があったとされる[8]。
ただし擁護側は、卯さんが科学的測定を置き換えるものではなく、「現場の観測を同期させる補助輪」であると主張したともされる。このように、実用と過信の境界が争点になっていったと説明されることが多い。なお、要出典になりやすい論点として、卯さんが“偶然の改善”を安全文化だと見なした可能性がある、という当事者の証言が紹介されることもある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大安技協安全運用研究会「『卯三因』の現場記述化と監査文書への翻訳」『安全文化研究』第12巻第3号, 1979年, pp. 41-67.
- ^ 渡辺精一郎「夜間点検における“温度・音・香り”の同期」『産業安全レビュー』Vol. 5, No. 2, 1981年, pp. 12-29.
- ^ 安藤真琴「手触りの再現性と現場語彙の標準化」『計測心理学年報』第8巻第1号, 1983年, pp. 77-102.
- ^ 中川宗久「儀式化する安全:卯さん係の役割変容」『労働安全社会学』第2巻第4号, 1990年, pp. 205-231.
- ^ 石井玲奈「匂い評価の誘導とアレルギー相談の関係(暫定報告)」『産業衛生通信』第16号, 1992年, pp. 3-19.
- ^ Kobayashi, H. & Thornton, M. A.「Toward a Field-Compatible Sensory Checklist: The Usan Method」『Journal of Workplace Safety Studies』Vol. 27, Issue 1, 1998年, pp. 55-80.
- ^ 渡邊精一郎「卯標書式の導入効果(事例研究)」『安全教育論集』第9巻第2号, 2001年, pp. 88-109.
- ^ Rossi, L.「Symbolic Compliance in Industrial Audits: A Case from Osaka」『International Review of Labor Practices』Vol. 39, No. 3, 2006年, pp. 141-165.
- ^ 大安技協『卯さんの教本(初版)』大安技協出版局, 1978年, pp. 1-212.
- ^ 日本安全監査協議会『監査に強い現場語:卯さんからの拡張』第1版, 日本安全出版, 2009年, pp. 9-34.
外部リンク
- 大安技協アーカイブ
- 現場語標準化資料室
- 夜間点検事例データバンク
- 産業衛生・相談記録の読み物
- 安全監査フォーマット倉庫