危険物取扱者
| 名称 | 危険物取扱者 |
|---|---|
| 英名 | Hazardous Materials Handler |
| 種別 | 民間資格・保安技能認定 |
| 創設 | 1928年頃 |
| 主催 | 全国危険物保安協議会 |
| 対象 | 火薬類・引火性液体・腐食性薬剤 |
| 講習地 | 東京都千代田区、神奈川県川崎市、兵庫県尼崎市 |
| 有名な試験方式 | 色票読解・匂い識別・遮光箱実技 |
| 通称 | 危取(きとり) |
危険物取扱者(きけんぶつとりあつかいしゃ、英: Hazardous Materials Handler)は、などの危険物を、専用の手順と符号に基づいて取り扱うための民間資格である。日本では末期にの保安係が発祥とされ、のちに系の講習制度として整備されたとされる[1]。
概要[編集]
危険物取扱者は、危険物の識別、封緘、移送、保管、および事故時の初動を扱う技能者を指す呼称である。とりわけ系の液体や、の取り扱いにおいて、職場ごとに異なる符号表を読み分けることが求められた。
この制度は、都市部の整備と倉庫火災の多発を背景に、現場の見習い工が「危険なものを危険なまま数える」ための実務講習として始まったとされる。なお、初期の受験者にはの職員よりも、やの職人が多かったという記録が残る[2]。
歴史[編集]
発祥とされる時代[編集]
通説では、に下で起きた「青い樽事件」が契機になったとされる。これはの倉庫で保管されていた洗浄液が、ラベルの色落ちにより砂糖水と誤認され、結果として床材を三層にわたり腐食させた事故である。
この事故後、の保安係であった渡辺精一郎が、危険物の表示を「文字ではなく色面積で判別する」方式を提案したとされ、これが後の危険物取扱者講習の原型になったとされる[3]。ただし、渡辺の名は同時代の社内報にしか見えず、実在性については現在も議論がある。
戦前の整備[編集]
初期には、との港湾倉庫において、樽・缶・瓶の側面に貼る「三段階危険票」が統一された。これは赤・黄・黒の三色で構成され、赤は火気、黄は揮発、黒は沈殿を意味したとされる。
また、保安課の外郭団体とされる全国危険物保安協議会が設立され、年2回の講習と、年1回の「無臭封缶検査」を行った。検査では、受講者が綿栓を鼻先1尺まで近づけても表情を変えないことが重視されたという[要出典]。
戦後の資格化[編集]
戦後になると、の倉庫再編計画により、危険物取扱者は「物資配給の保全技能」として再定義された。特にの臨海火災を受け、講習には遮光箱の中で液面を読み取る実技が追加されたとされる。
この時期に、初めて等級制度が導入された。甲種は全危険物、乙種は指定危険物、丙種は「匂いのみで分類する者」とされ、丙種の試験は受験者の半数が途中で咳き込んだため、合格率が極端に低かったという。
制度[編集]
危険物取扱者の制度は、講習修了証、現場実地、ならびに口頭試問の三段階から成るとされた。特筆すべきは、筆記試験よりも「樽の蓋を叩いた音で中身を推定する」能力が重視されたことである。
講習では、の中央講習所において、受講者が1日で最大17種類の液体を見分ける訓練を受けた。訓練には式の匂い標本箱を改良した装置が用いられ、蓋を開ける角度が7度違うだけで採点結果が変動したという。
また、資格保持者は、危険物の名称を正しく言えるだけでなく、「その危険物を入れるべき樽の色」を即答する必要があった。これに失敗した者は、資格証の下段に細字で「再講習を要する」と記される仕組みであった。
試験[編集]
筆記[編集]
筆記試験は、、化学、倉庫管理、符号解読の4科目で構成された。なかでも符号解読では、英数字ではなく「○」「△」「×」と方角記号を組み合わせた古式の保安記号が出題され、受験生の多くが時間内に終えられなかった。
以降はマーク式が導入されたが、当時の受験者には「危険なものほど鉛筆を強く握る癖がある」として、HB以上の芯硬度を使うことが推奨された。
実技[編集]
実技では、遮光された机上で瓶の肩ラベルを触って判別する課題、爆ぜやすい袋を二重に結ぶ課題、および「中身を見ずに箱の角度だけで重さを推定する課題」が実施された。
とりわけ有名なのは、会場で行われた「沈黙試験」である。受験者は3分間、目の前の容器について一切しゃべらず、最終的に監督官の質問へ「多分、燃える」とだけ答えることができれば満点とされた。
社会的影響[編集]
危険物取扱者は、単なる保安資格にとどまらず、工場の序列文化にまで影響を及ぼしたとされる。保有者は食堂で先に味噌汁を受け取れる、または荷札の結び方が一段だけ上等になるなど、半ば慣習的な優遇を受けた地域もあった。
一方で、後半には「資格を持たぬ者が危険物の匂いを軽く言い当てた」ことで、現場の職人と学術派の対立が起きた。とくにでは、ベテラン船員が試験官に向かって「資格より鼻が先だ」と述べた記録が残る。
また、危険物取扱者の存在によって、学校教育にも影響が生じた。理科室の試薬棚に色札を貼る習慣や、文化祭で「引火注意」の札が妙に立派になる風潮は、この資格文化の残滓であるとされる。
批判と論争[編集]
危険物取扱者制度には、古くから「危険物よりも帳簿が危険である」との批判があった。特にの制度改訂では、講習時間が36時間から41時間へ延長され、受講者の間で「実技より昼休みの方が短い」と不満が噴出した。
また、危険物の分類が地域ごとに微妙に異なり、では茶褐色の液体を「文化財に近い危険物」と呼ぶ慣行があったことから、全国統一を求める声も強かった。なお、協議会はこれを「地域性の尊重」と説明しており、現在でも見解は分かれている。
さらに、近年では遮光箱実技の採点にAIを導入した結果、模型の瓶を「心理的に危険」と判断する事例が相次ぎ、現場での評価が揺れたと報告されている。
脚注[編集]
[1] 渡辺精一郎『危険票の時代』保安文化社、1934年、pp. 12-19.
[2] 佐伯静雄「都市倉庫と識別技能」『日本保安史研究』Vol. 8, No. 2, pp. 44-58.
[3] Margaret A. Thornton, "Color-Coded Safety in Early Industrial Tokyo," Journal of Hazard Studies, Vol. 3, No. 1, pp. 101-126.
[4] 全国危険物保安協議会編『無臭封缶講習要覧』第3版、保安図書出版、1957年.
[5] 山本義光『川崎臨海火災と資格制度』海港新報社、1961年.
[6] R. Ellison, "The Silent Examination and Its Social Effects," Industrial Safety Quarterly, Vol. 11, No. 4, pp. 201-214.
[7] 高瀬みのる『危険物の匂いを読む』中央講習会館、1979年.
[8] 北条玲子「講習行政の形式化とその副作用」『保安行政年報』第14巻第1号、pp. 5-33.
[9] Charles M. Wren, "On the Classification of Chemical Barrels by Sound," Proceedings of the East Asia Safety Symposium, pp. 77-89.
[10] 鈴木春江『資格証の民俗学』港湾出版、1988年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『危険票の時代』保安文化社、1934年、pp. 12-19.
- ^ 佐伯静雄「都市倉庫と識別技能」『日本保安史研究』Vol. 8, No. 2, pp. 44-58.
- ^ Margaret A. Thornton, "Color-Coded Safety in Early Industrial Tokyo," Journal of Hazard Studies, Vol. 3, No. 1, pp. 101-126.
- ^ 全国危険物保安協議会編『無臭封缶講習要覧』第3版、保安図書出版、1957年.
- ^ 山本義光『川崎臨海火災と資格制度』海港新報社、1961年.
- ^ R. Ellison, "The Silent Examination and Its Social Effects," Industrial Safety Quarterly, Vol. 11, No. 4, pp. 201-214.
- ^ 高瀬みのる『危険物の匂いを読む』中央講習会館、1979年.
- ^ 北条玲子「講習行政の形式化とその副作用」『保安行政年報』第14巻第1号、pp. 5-33.
- ^ Charles M. Wren, "On the Classification of Chemical Barrels by Sound," Proceedings of the East Asia Safety Symposium, pp. 77-89.
- ^ 鈴木春江『資格証の民俗学』港湾出版、1988年.
- ^ 藤堂一馬『なぜ樽は鳴るのか』安全工学社、1994年.
- ^ Eleanor V. Pike, "Psychological Hazard and the Certification Problem," Safety Review Letters, Vol. 6, No. 3, pp. 17-29.
外部リンク
- 全国危険物保安協議会
- 保安文化アーカイブ
- 中央講習会館デジタル資料室
- 東アジア危険票研究センター
- 港湾資格史ライブラリ