取り入れぬ闇
| 名称 | 取り入れぬ闇 |
|---|---|
| 別名 | 不作影、納屋戻りの黒 |
| 分類 | 収穫忌避現象・民俗気象学 |
| 初出 | 18世紀末の村方文書とされる |
| 主な分布 | 東北地方、北陸地方、関東の旧農村部 |
| 関連組織 | 農林省農村風俗調査会 |
| 代表的研究者 | 佐伯澄子、マルコ・J・ハーゲン |
| 象徴色 | 煤黒 |
| 発生条件 | 曇天、未乾燥穀、逆向きの風 |
取り入れぬ闇(とりいれぬやみ)は、期においての三条件が同時に崩れた際に発生するとされる、上の現象である。主にの旧地帯で語られてきたが、中期以降は都市の倉庫や地下街にも類例が報告されたとされる[1]。
概要[編集]
取り入れぬ闇とは、の最終局面で「作物が納屋に入ることを拒む」と説明される伝承上の現象である。村落共同体では、刈り取った穀物の一部が妙に重く感じられたり、の影だけが地面に残って持ち主に追随しないなどの徴候があるとされた。
この現象は、単なる迷信ではなく、・・が重なった結果として記録されてきたとされる一方で、実際には「納屋の梁が鳴っただけ」とする異論も根強い。なお、の一部では、闇が発生した年はが数日だけ奇妙に安定するという記述が残るが、要出典とされることが多い[2]。
歴史[編集]
村方文書における初出[編集]
最古の記録は、9年の某村の検地帳付属書簡に見えるとされる。そこでは「夜半、納屋口より黒きもの差し入り、稲束の三把を内へ入れず」と記され、後世の民俗研究者はこれを取り入れぬ闇の原型とみなした。
ただし同文書はの役人が炭俵の不足を誤魔化すために書き足した可能性があるともされ、史料的にはやや不安定である。とはいえ、同じ年に隣村でも似た表現が確認されており、闇の語りが局地的に流行したことは確かである。
民俗学への導入[編集]
後期になると、の周辺で農村の異常心理を扱う研究が増え、門下の民俗採集家たちが「取り入れぬ闇」を収穫忌避の一類型として整理した。特にに発表された佐伯澄子の論文は、東北3県で計184戸を調査し、そのうち47戸が「闇に触れた夜は味噌汁がやけに薄く感じた」と回答したとして有名である。
この数値はかなり細かいが、当時の調査票の記入欄に「うすい/ややうすい/ひどくうすい」の三段階しかなかったため、現代の研究者からは統計としての厳密性に疑義がある。それでも、この論文をきっかけにが臨時の聞き取り班を組織し、闇の語彙が一気に標準化された。
戦後の再解釈[編集]
30年代には、の倉庫火災と結びつけた再解釈が進み、取り入れぬ闇は「湿った穀物の積み上げが自己崩壊を起こす際の視覚的比喩」と説明されることが多くなった。一方での古い卸売倉庫では、実際に深夜の保管室で照明が全て消えた直後、箱が一斉に通路へ戻されたという証言が3件残っている。
この証言は、同一人物が15分おきに別々の守衛日誌へ似た文体で書いたため信用できないともされるが、逆にその不自然さが「闇は記録を模倣する」という伝承を強めた。結果として、民俗学と倉庫管理論の境界にまたがる珍しい研究対象となった。
発生条件と分類[編集]
取り入れぬ闇の発生条件は、後年の整理によって、A型「湿り戻り」、B型「影先行」、C型「納屋反響」の3類型に分類された。A型は刈り取り後6時間以内に露点差が4.8度以上開く場合、B型は月明かりの欠損が7割を超える場合、C型は梁の鳴動が1分間に11回以上生じる場合に起こりやすいとされる。
もっとも、この分類は1970年代の報告書をもとにしており、現代の研究者のあいだでは「測りすぎた民俗学」と批判されることもある。なお、の佐渡沿岸では、闇が発生した晩に限って猫が倉へ入らなくなるという補助徴候が追加され、同地の調査票だけ回答欄が4ページに増えた。
社会的影響[編集]
取り入れぬ闇は、単なる怪異としてではなく、収穫作業の遅延を正当化する共同体言語として機能した点が重要である。特にの一部では、闇が出た日は集落総出で作業を止め、代わりにを回し飲みする習慣があり、これが結果的に事故率の低下につながったとされる。
また、戦後の流通合理化のなかで、闇を「現場の心理的疲弊の可視化」と解釈する企業研修が系の外郭団体で採用され、1983年には全国27事業所で試験導入された。もっとも、そのうち9事業所では研修後に倉庫担当者が「影の方が先に休憩に行く」と書いた感想文を提出し、指導員を困惑させたという。
批判と論争[編集]
取り入れぬ闇をめぐっては、早くから「実在する現象ではなく、単なるの比喩にすぎない」との批判があった。特にのは、1964年の論文で、闇の発生報告の62%が天候不順の日に集中していることを示し、「闇は気象よりも督促状に近い」と述べた。
これに対し、の立場からは、むしろ数値で説明できない残余こそが闇の本質であると反論されている。ただし、1991年に行われた公開実験では、同一の納屋を2棟用意し、片方だけに黒布を垂らしたところ、両方の穀物袋が同じ速度で乾燥したため、議論は一時沈静化した。なお、実験後に布を片付けた研究補助員が「黒い方が先に謝っていた」と証言した記録があるが、これは通常、引用されない。
研究史[編集]
調査会の標準化[編集]
は1958年から1966年にかけて全国1,412件の聞き取りを行い、取り入れぬ闇に関する語彙を「侵入」「滞留」「反転」の3語に整理した。調査員のうち14人は元の臨時職員で、地元の老婆にまで等圧線の説明を始めたため、聞き取り時間が平均で22分延びたと報告されている。
この標準化によって研究は進んだが、同時に各地の伝承にあった細かな差異が失われた。たとえばでは闇は「すすり泣くもの」、では「戸口で息を止めるもの」とされたが、報告書ではいずれも「侵入型」に一括された。
国際比較研究[編集]
1970年代後半には、のマルコ・J・ハーゲンが日本の収穫怪異を比較民俗学の枠組みで研究し、取り入れぬ闇を沿岸の霧忌避儀礼と並べて論じた。彼は特に、闇の中心に「納められないものへの抵抗」があると指摘し、これを英語で non-admissive darkness と命名した。
この訳語は学術誌で3回しか採用されなかったが、なぜかの一部の倉庫管理講習では定着し、受講者が「今日の暗がりは非受入型です」と言い出す事例が続出した。講習資料の脚注には、ハーゲン自身が鉛筆で「言い方が悪かった」と書き込んだ写しが残る。
民間伝承[編集]
各地の伝承では、取り入れぬ闇に遭遇した際は、最初の一束をあえて納屋へ入れず、戸口に3度打ち付けてから運び込むと良いとされる。これを怠ると、翌朝に籾殻だけが妙に整列していることがあると伝えられる。
のある集落では、闇を鎮めるために古いラジオを逆さに置き、第一放送の時報を聞かせる習俗があった。実際には受信状態が悪くなるだけであったが、地域では「時報が一拍遅れると闇が引く」とされ、現在でも祭礼の余興として再現されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯澄子『東北農村における取り入れぬ闇の分布』民俗学研究 第12巻第3号, 1927, pp. 41-68.
- ^ 農林省農村風俗調査会 編『収穫忌避現象調査報告書 第2集』農山漁村文化協会, 1961.
- ^ 長谷川理人『作業遅延と闇の比喩構造』京都大学文学部紀要 第8号, 1964, pp. 112-139.
- ^ Marco J. Hagen, "Non-Admissive Darkness and the Rituals of Northern Japan," Journal of Comparative Folklore Vol. 19 No. 2, 1978, pp. 201-227.
- ^ 渡辺精一郎『農家の影と納屋の反響』日本民俗誌叢書 第4巻, 1959.
- ^ 小林ミツ子『湿度計以前の農村判断』気象と生活 第6巻第1号, 1971, pp. 9-24.
- ^ 斎藤和彦『闇はどこから入るか』東京民俗出版, 1985.
- ^ H. Armitage, "Weather, Grain, and Refusal: A Note on Rural Dark Phenomena," Transactions of the East Asian Society Vol. 7, 1982, pp. 55-71.
- ^ 佐々木倫子『倉庫火災と民俗語彙の変容』流通文化研究 第14巻第4号, 1994, pp. 88-103.
- ^ 『非受入型暗黒の実務手引き』農林省外郭資料室, 1984.
- ^ 山岸弘『黒い方が先に謝った――公開実験記録』民俗実験報告 第1巻第1号, 1992, pp. 1-14.
外部リンク
- 国立民俗気象研究所アーカイブ
- 東北収穫伝承データベース
- 農村風俗調査会デジタル版
- 比較民俗学ジャーナル
- 倉庫怪異資料室