吊
| 名称 | 吊(つり) |
|---|---|
| 別名 | 空紐菓(からひもが) |
| 発祥国 | モンゴル |
| 地域 | フルンボイル草原帯 |
| 種類 | 儀礼用菓子スライス |
| 主な材料 | 吊粉、乳砂、塩草(しおくさ)、乾燥ハーブ、家畜脂 |
| 派生料理 | 吊紐麺、吊星餅 |
吊(つり)は、をしたのである[1]。
概要[編集]
は、草原の風が強い日でも「形が落ちない」ことを重視して発達したとされる、モンゴルのである。一般に、細かい粉体であるを包材で保持し、急冷工程で表面を固めることによって、薄く整った層を作るとされる。
現在では、旧来の祭礼に加えて、旅行者の携行食や、子どもの遊び道具としても小売されている。なお、吊は「食べる」のみならず、共同体の合図(配布の手順)にまで組み込まれていた点が、同種の菓子と区別されるとされる[1]。
語源/名称[編集]
吊(つり)という名称は、音の響きから「つるつると滑る層」を連想して付けられたという俗説がある。一方で、研究者の間ではが「吊り下げ式の冷却棚(ツリ棚)」に由来するとする説明も有力である[2]。
別名のは、表面に微細な帯状の気泡が並ぶことにちなむとされる。実際、老舗の記録では、気泡の幅が平均からの範囲に収まると、口当たりが「滑る」と記されている[3]。
ただし、この「幅」の数値は当時の測定具が「風でたわむ板」だったという指摘もあり、近年では数値の正確性に疑義が投げかけられている。とはいえ、名称と仕上がりの結びつきが強いため、語源論争はなお続いているとされる[4]。
歴史(時代別)[編集]
草原交易前史(〜13世紀)[編集]
吊は、チンギス期以前の草原交易で「携行しやすい薄層菓子」が求められたことに由来するとされる。伝承では、冬季の輸送中に煮詰め菓子が崩れてしまう事故が多発し、そこで「割れるものより、ずれにくいもの」が優先されたという[5]。
この時代の吊粉は、乳を煮て得た副産物を乾燥させ、そこへ塩草と微量の乾燥ハーブを混ぜることで作られたとされる。乾燥工程は風向きを基準に「朝霧が引く前の」に始めると記された文献があり、料理というより作業手順に時間が結びついていた点が特徴である[6]。
祭礼制度化期(14〜16世紀)[編集]
14世紀頃から、吊は祭礼の配布食として制度化されたとされる。特に、フルンボイル草原帯では「吊紐(つりひも)」と呼ばれる配布紐が作られ、誰が誰に渡すかが吊の層数で決まる習慣が生まれたという[7]。
層数の目安として、層がの吊は「旅の無事」、は「収穫の約束」、は「冬の長命」とする説があった。もっとも、この対応は地域差が大きいとされ、当時の役人が「数え違え」を防ぐため吊を配布した記録も残る[8]。
また、吊を吊るす棚(ツリ棚)の設計が整備され、急冷は「夜風が一定速度に達するまで待つ」という運用になったとされる。ここで速度は、体感基準ながらも「耳が赤くなるまでの」で表されたという点が、後世の文献でも繰り返し引用されている[9]。
都市小売化(17〜19世紀)[編集]
17世紀以降、遊牧の移動が年単位から季節単位へと整理されるにつれ、吊は携行食から「屋台の定番」へ移行した。都市化した市場では、吊を小分けにするため、包装材を改良したが行われたとされる。
この時期、人気の配合は「乳砂の比率が吊粉の」という調整値で語られた。さらに、塩草は増やすほど保存性が高まる一方で香りが薄れるため、最終的には「塩草は重量のまで」とする職人規則が口伝されている[10]。
ただし、ある市場帳簿では同じ店が「塩草」の配合を別年に売っていたとも記されており、規則が絶対ではなかったことがうかがえる。この矛盾は、編集者が異なる史料を混ぜて書いたためではないかとする説もある[11]。
近代・工場化(20世紀〜)[編集]
近代に入ると吊は工場化され、急冷工程が「手で数える」から「温度と風量の制御」へ置き換えられたとされる。現在の製法では、冷却は前後の環境で短時間処理されるとされ、表面の層が破れにくくなると説明されている[12]。
一方で、風味の再現をめぐっては議論もある。伝統では乾燥ハーブの種類を「その年の草の匂い」に合わせたが、工場では規格化により差が縮むという指摘が出たためである。もっとも、消費者の人気は「香りが一定している吊」の方へ寄ったともされる[13]。
種類・分類[編集]
吊は、主に層の作り方と、中心に混ぜる風味の違いによって分類されるとされる。まず「平層吊」「波紋吊」「星層吊」の三系統があり、前者は層面を均一に仕上げ、後者は表面に細い波状の乱反射を作ると説明される。
また、食べる目的で分類される場合もある。すなわち、携行用の、祝いの席用の、子どもの玩具と兼ねるである。一般に約束の吊は層数が多いとされ、遊びの吊は割りやすい材料配合にされるとされる[14]。
さらに派生系として、薄層を麺状に整形したや、厚めに圧して焼かないがある。これらは「吊の工程を一部だけ流用した」発想から広がったとされ、フルンボイル帯の土産市場で頻繁に見られるという[15]。
材料[編集]
吊の中心はである。吊粉は乳砂をベースに、塩草、乾燥ハーブ、そして少量の家畜脂を混ぜ、乾式で撹拌してから包材へ流し込む工程を経るとされる。
包材としては、薄く伸ばした草繊維や、動物性の膜を乾かしたものが用いられるとされる。なお草繊維の種類は地域差があり、同じ配合でも「口に残る繊維感」が変わるという職人の観察が記録されている[16]。
数値面では、急冷前に「吊粉の水分をに揃える」とする案内が残っている。とはいえ、これは衛生官の検査基準として採用された値であり、味の上では必ずしも同じ再現が得られないとする反論もある[17]。
食べ方[編集]
吊は通常、層の端から指で軽く引き剥がして食べる。一般に、丸ごと噛むと層が崩れやすいため、薄い帯状にして口内で「音が鳴る」程度に折るのが正しい食べ方とされる[18]。
祝いの席では、の所作を伴うことがある。すなわち、吊を受け取る→一度床へかざす→空中へ持ち上げ直す、という順で、層が風でわずかに揺れるタイミングを作ると説明される。
ただし、近代のイベントでは所作が短縮され、「受け取ってで食べる」という簡略版が普及したとされる。実際、観光案内のチラシでは「10秒吊」として宣伝されていたという証言もあるが、出典の確認が難しいとして編集者間で扱いが分かれている[19]。
文化[編集]
吊は、モンゴルの遊牧文化における「共有のリズム」を可視化した菓子として語られることが多い。配布のとき、吊を持つ手の高さと、渡す層の種類が、相手の役割(旅人・留守番・年長者)を示す合図になっていたとされる[20]。
また、方向性指定にちなんで、吊がウサギと結びついた伝承も広く流布している。伝承では、草原で迷い子が出た夜、ウサギが地面に並べた小さな穴の位置を手がかりに、吊の急冷棚が「風の通り道」を得たため、層が割れずに固まったという逸話がある[21]。
一方で、学術的にはこの話は民間詩の比喩だとする指摘もある。ただし、家庭で作る吊では「ウサギ形の型」を使うことで成功率が上がるとする家庭実験が報告されており、比喩と実践が曖昧に混ざった状態が続いているとされる[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エルデネ・ホルド『モンゴル草原の儀礼食:層と合図』フラム出版, 1987.
- ^ サイハン・ドリグ『吊の急冷技法に関する記録(模写集)』草原技術史研究会, 1994.
- ^ マリヤム・オスモス『Nomadic Confectionery and Wind: A Micron-Level Study』Vol.12 No.3, 北方栄養学会誌, 2002.
- ^ ウラジミル・サフロフ『Cold-Film Layering in Inner Steppe Sweets』Cold Food Review, 第8巻第1号, 2011.
- ^ ダリマ・チムェン『フルンボイル市場帳簿の読み方:吊の値付けと成分』市場史資料館, 1976.
- ^ アスラン・バートル『食べ方の所作体系:吊の3歩』食文化人類学叢書, pp.41-58, 2009.
- ^ ノルブ・スレン『空紐菓と呼称の変遷』草原言語研究所, 2015.
- ^ イェンス・クローグ『The Rabbit Motif in Mongolian Coastal Myths』Anthropology of Steppe Narratives, Vol.4, pp.77-90, 2001.
- ^ チェチョン・ムン『温度管理と風量制御による層の復元』工場菓子技術年報, 第23巻第2号, 1998.
- ^ 李 琳『携行菓子の国際比較:-18℃工程の採否』東亜食品工学論文集, pp.113-132, 2005.
外部リンク
- 草原儀礼食アーカイブ
- 北方菓子技術ノート
- 市場帳簿のデジタル展示
- 吊粉配合データベース
- フルンボイル土産試作室