味噌汁の為替レート
| 名称 | 味噌汁の為替レート |
|---|---|
| 別名 | 汁相場、椀建てレート |
| 発祥 | 江戸時代後期 |
| 基準単位 | 一椀(いちわん) |
| 主な指標 | 味噌、だし、具材、湯温、椀の漆塗り状態 |
| 公的管理 | 旧大蔵省汁価調整係 |
| 代表的市場 | 日本橋、京都・錦小路、金沢・主計町 |
| 国際換算 | 一椀=約0.73スープ・ポンド(1928年式) |
| 備考 | 昭和初期に統一試算方式が導入された |
味噌汁の為替レート(みそしるのかわせレート)は、の一杯分を基準価値として、具材の希少性や湯温、地域の出汁文化によって変動するとされる、日本の生活経済指標である。主に後期のとの慣習から成立したと伝えられている[1]。
概要[編集]
味噌汁の為替レートは、の実勢価格ではなく、家庭・宿場・茶屋における「一杯の社会的価値」を数値化した慣習である。元来はが客人への供応の際に用いた便宜的な換算表にすぎなかったが、やがてやの変動と並んで世間の景気を占う指標として扱われるようになった。
この制度では、同じ一椀でも、、でレートが異なり、さらにの枚数やの切り方によって1〜3銭相当の差が生じるとされた。とくにでは「朝の一椀は午後の二椀に勝る」とする独自理論が広まり、のちにの料理統計部が半公認の指数として採用したことがある[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は年間、の両替商・が、長逗留する家の奉公人に対して「汁物は銭に替えがたい」と述べたことに始まるとされる。庄兵衛は、の入手難やの運送遅延が客の機嫌に直結する点に着目し、味噌汁の中身を価格表へ写し取る帳簿を作成したという。
この帳簿は当初、の二軒の茶屋だけで使われていたが、やがて旅籠の帳面と合体し、午前六時の湯気量まで記載されるようになった。なお、当時の記録には「湯の立ち過ぎは相場を崩す」との記述があり、後世の研究者はこれを日本初のインフレ観測資料とみなしている[3]。
制度化[編集]
に入ると、の外郭に置かれたが、各地の味噌蔵と煮干問屋から報告を集め、月次で「椀建て公示値」を発表した。公示は毎月に行われ、の居留地市場では英語表記の “Miso Soup Parity” が併記された。
1897年には、具材ごとの換算基準を統一するためにが出され、0.8丁、4.2g、7.5cm分を一単位と定義した。実務上は「7.5cm分」が職人の指先で測られたため誤差が大きく、同年秋のでは1日でレートが0.14椀ぶん上下したと記録されている。
昭和期の変質[編集]
初期には、貨幣価値の変動を反映して、味噌汁の為替レートもからへ移行したとされる。とくに後は、炊き出しの増加により「一杯の無償供与」が相場を押し下げ、の調査では露店味噌汁の平均換算額が前年の62%まで落ち込んだ。
一方で、の老舗旅館では、香の物を添えることでレートを逆に上げる「添え物プレミアム」が生まれた。これが後の市場に波及し、1954年にはの観光施設で「味噌汁先物」が試験導入されたが、天候よりも味噌の溶け具合で相場が乱高下し、10日で停止された[4]。
算定方法[編集]
味噌汁の為替レートは、基準となるに対し、味噌の量、出汁の濃さ、具材の格付け、椀の素材、提供時の温度の5項目で算定される。もっとも重視されたのは味噌の産地で、は安定通貨、は高ボラティリティ通貨、は景気敏感資産とされた。
算定式の古い版では、味噌1gを「0.31汁銭」とし、湯温が65度を超えるごとに0.07汁銭の熱価調整が加算された。ただしの場合だけは逆に0.12汁銭が控除されることがあり、これは「色が濃いほど見栄えが良いが、朝には重い」という経験則によるものである。なお、1961年の改定で入りは外貨準備扱いとなったが、これに反対したの主婦連合が「我が家の一椀は固定相場である」と抗議した逸話が残る。
主要市場[編集]
日本橋市場[編集]
は、味噌汁の為替レートが最も早く形成された市場である。朝四時の仕込み時点で公示値が出される慣行があり、近隣の乾物商はその日の焼き魚相場より先に味噌汁相場を確認したという。
特筆すべきは、の茶屋「水櫛亭」が発行した半券で、表面に「本日の椀価」、裏面に「おかわり時の補正係数」が印刷されていた。この半券は現在でもの非公開収蔵庫に3枚だけ保管されている。
京都・錦小路[編集]
のでは、味噌汁のレートは味そのものより「香りの抜け方」で決まるとされた。老舗の出汁屋は、昆布を寝かせる湿度を1%単位で管理し、翌朝の椀価に反映させた。
ある年、の宵山で提供された味噌汁が、山鉾の囃子にかき消されて香り指数が急落したため、周辺の屋台が一斉に「沈香補正料」を徴収した。これが京都式のレート変動の典型例として今も引かれる。
金沢・主計町[編集]
のでは、椀の漆塗りの艶が為替差として評価された。加賀料理の文脈では、味噌汁は単なる汁物ではなく、器の座布団まで含めた「総合資産」とみなされたのである。
1923年には、地元の漆職人・が、椀の内側に月齢に応じて目盛りを施す「月見椀」を考案し、これにより夜間の味噌汁レートが0.2〜0.4椀ぶん上昇したと報告されている。
社会的影響[編集]
味噌汁の為替レートは、家庭内の予算配分にも影響を与えた。大正末期の調査では、主婦の約38%が「今朝は相場が高いので汁を薄めた」と回答したとされ、はこれを生活防衛ではなく家計金融の一種と解釈した[5]。
また、下宿文化においては、味噌汁の相場が高い下宿屋ほど書生の満足度が上がる傾向があり、周辺では「汁手当」という奇妙な補助制度が自然発生した。もっとも、これは実際には大家の気まぐれで増減していたらしく、制度名だけが一人歩きした可能性が高い。
1960年代以降は、の普及で味噌汁の希少性が下がり、為替レートは事実上の文化指標へ移行した。しかし、の一部市場では今なお「今朝の椀は強い」といった相場用語が使われ、地元ラジオの天気予報と並んで放送されることがある。
批判と論争[編集]
制度への批判として最も多かったのは、「味噌汁を貨幣のように扱うことで、家の温かさを数字にしてしまう」という倫理的反発である。とくに30年代の評論家は、味噌汁の為替レートを「台所に侵入した株式市場」と呼び、紙面で激しく論じた。
一方で、地方の味噌蔵からは「レートが上がるほど良い味噌が売れるのだから公益である」との反論もあった。ただし、1968年にの商工組合が出した試算では、実際の購買増はレート上昇の約1/7にとどまり、残りは“話の種”として消費されていたことが示唆されている。
なお、が1972年に行った全国実態調査には、なぜかの離島だけ「味噌汁の為替レートではなく、吸い物の交換率が高い」として別表が付されており、研究者の間では今も議論が続いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久保田庄兵衛『椀価覚書』日本汁物経済研究会、1839年。
- ^ 斎藤蘭子『台所と相場の境界』青木出版、1956年。
- ^ 村上与次郎「月見椀における熱価補正」『加賀生活史研究』Vol. 4, No. 2, pp. 41-58, 1924.
- ^ 大蔵省汁価調整係『一椀標準令とその運用』官報別冊、1897年。
- ^ H. B. Morton, “Miso Soup Parity in Prewar Japan,” Journal of Domestic Exchange Studies, Vol. 12, No. 1, pp. 3-29, 1931.
- ^ 田辺一郎『出汁本位制の成立』東京食文化社、1978年。
- ^ Margaret A. Thornton, “Thermal Arbitrage and the Japanese Broth Market,” East Asian Economic Folklore Review, Vol. 7, No. 3, pp. 88-104, 1962.
- ^ 新川雪子『主計町の漆椀と価格変動』金沢民俗叢書、第18巻第1号, pp. 112-130, 1988.
- ^ 佐藤健吾「下宿における汁手当の地域差」『生活貨幣史』第9巻第4号, pp. 201-219, 1974.
- ^ A. W. Pritchard, “Soup Futures and Seasonal Risk in Kansai Markets,” The Kobe Journal of Culinary Finance, Vol. 2, No. 4, pp. 55-67, 1955.
外部リンク
- 日本汁物相場協会
- 国立椀価資料館
- 味噌金融史アーカイブ
- 出汁本位制研究センター
- 椀建て指数速報