品川新橋前通爆発祭前夜祭
| 正式名称 | 品川新橋前通爆発祭前夜祭 |
|---|---|
| 別名 | 前通前夜、爆前祭、しなばし前夜 |
| 発祥 | 大正末期 |
| 主会場 | 東京都港区・品川区境界沿いの旧街路 |
| 主催 | 品川新橋前通保存振興会 |
| 参加者数 | 1937年時点で推定12,400人 |
| 特色 | 紙火薬、発条灯籠、汽笛合図 |
| 休止 | 1943年ごろ |
| 復興 | 1978年以降に断続的再演 |
| 関連行事 | 前夜市、導火線行列、静音祈願 |
品川新橋前通爆発祭前夜祭(しながわしんばしまえどおりばくはつさいぜんやさい)は、のからにかけて行われたとされる、火薬装飾・仮設舞台・企業協賛が複合した前夜儀礼である。大正末期の都市更新事業に伴う「道路の祝祭化」から生まれたとされ、後にの運輸事業者との倉庫業者のあいだで定着した[1]。
概要[編集]
品川新橋前通爆発祭前夜祭は、祭礼本体の前夜にのみ行われる準備儀礼であり、当夜の爆音・光演出・行列動線の安全を祈念する目的で成立したとされる。名称に「爆発」とあるが、実際には火薬を使うというより、紙片と蒸気笛を組み合わせた祝祭演出が中心であった[2]。
この行事は、沿線の商業化が進んだ初期に、交通の要衝であると物流拠点としてのを結ぶ「前通」を文化的に可視化しようとした都市祭礼の一種と位置づけられている。なお、保存会の資料では「道路を神輿のように担ぐ発想」と説明されるが、実際には担がれたのは道路そのものではなく、道路上に敷かれた白布であったとする説が有力である[3]。
一方で、戦前の新聞には「工業広告と民俗芸能の奇妙な結婚」と評した記事が散見され、当時の文化人の間では理解が分かれた。特にの都市計画家・が提唱した「前夜を先に祝うことで本祭の混乱を抑える」という理屈は、その後の日本各地の前夜祭に影響を与えたとされる。
成立史[編集]
前通構想と街路儀礼[編集]
起源は、の外郭団体とされた「都市慰撫研究会」が、下の幹線道路沿いで夜間の滞留人口を増やす方策を検討したことに求められる。会合に参加した実業家は、港湾労務者の休息日程に合わせて前夜にのみ催しを集約する案を出し、これが「前通」の名で定着した。
最初期の実施はの倉庫前で行われ、幅3.8メートルの仮設通路に、長さ27メートルの紙灯籠列を敷設するという小規模なものであった。ところが、当時の記録では、導火線の長さが毎年「1尺ずつ伸びる」と定められていたため、には総延長が41尺に達し、係員が計算を誤って翌日まで煙が残ったという逸話が残る[4]。
保存会の結成[編集]
にはが設立され、鉄道会社、海運業者、印刷業者、料亭組合の4者が共同で運営する体制が整えられた。会長には旧技師のが就き、彼は火気の使用をめぐる警察との折衝を担当した。
この時期に「爆発」という語が正式名称に付されたのは、広告上の訴求力を高めるためであるとされるが、実際には会合で誤って配られた印刷見本の見出しをそのまま採用したことがきっかけであったという。なお、保存会はのちにこの経緯を否定しているが、昭和8年版の会報誌に、見出しだけが妙に太字で残っていることが指摘されている[5]。
行事の内容[編集]
前夜祭は通常、午後7時12分の汽笛を合図に始まり、参加者は側の集会所から側の仮設舞台まで、約640メートルの道程を緩やかに進んだ。途中で3回の停留があり、それぞれで発条式の鳩型灯籠、紙吹雪、そして無音の太鼓が演じられた。
もっとも有名なのは「静音祈願」である。これは、翌日の本祭で大きな音が出ることを前提に、その前夜だけは逆に音を極力抑えるという逆転の発想で、参加者は口に綿を含んだまま3分間静止する。この習俗は、昭和後期の観光化で「前夜にもっとも静かになる祭り」として紹介され、結果として深夜ラジオ番組の定番ネタになった。
また、会場周辺の商店街では「爆発饅頭」と呼ばれる菓子が売られたが、実物は栗餡を包んだ丸い饅頭に過ぎず、割ると中から金平糖が散る仕掛けがあった。1938年の記録では1晩に8,600個が売れたとされるが、保存会の倉庫台帳には7,942個しか残っておらず、この差分は試食担当者の口へ消えたとみられている。
社会的影響[編集]
企業祭礼への波及[編集]
本行事は、戦前の企業協賛型祭礼の先駆けとして引用されることが多い。とくに沿線の倉庫会社が、宣伝と安全祈願を兼ねた「前夜のみの協賛」を採用したのは、この祭礼の成功が大きかったためとされる。
系の広報資料では、船荷の到着を祝う催しに前夜祭形式を導入した際、「品川新橋前通の方式を範とした」と記されている。ただし、この記述は後年の追記である可能性があり、研究者の間では慎重な扱いが求められている[6]。
都市景観への影響[編集]
保存会が設置した白布の仮設動線は、戦後の歩行者天国の設計に影響を与えたという説がある。特にの歩行者実験に関わった技術班は、祭礼時の誘導札の高さをそのまま参考にしたと述べている。
また、沿道の電柱に巻かれた薄青色の紙帯は、のちに商店街の統一装飾として普及した。現在でも一部の町会では、毎年8月の第一金曜に「前通色」と呼ばれる薄青を掲げるが、これは本来の祭礼色ではなく、印刷所のインク在庫の都合で決まった色であるとされている。
批判と論争[編集]
一方で、品川新橋前通爆発祭前夜祭は、戦前から「祝祭の名を借りた広告イベントではないか」と批判されてきた。特にのは、前夜祭の協賛札が酒造業者の銘柄で埋め尽くされていることを問題視し、「祭礼の形式をした販促会議」と揶揄した[7]。
また、戦後復興期の再演では、安全上の理由から火薬量が当初の17%まで削減され、旧来の参加者から「爆発の気配が足りない」と不満が出た。これに対し保存会は、爆発とは物理現象ではなく「共同体の期待が一度に立ち上がる瞬間」を指すと説明したが、説明が哲学化しすぎて逆に分かりにくくなったとされる。なお、の記録には、1979年の再演で導火線係が誤って学級旗を掲げたため、開始合図が1分早まったという記述があるが、当事者は「予定通りであった」と主張している。
復興と現代の展開[編集]
以降、祭礼は「前夜だけを残す」縮小再演として再興された。中心となったのは、地元の古書店主と、元舞台美術家のであり、両者は失われた前夜祭資料をの複写室で照合しながら、細部を復元したとされる。
現在は、毎年9月の第2土曜日に、約2,000人規模で行われる。もっとも、参加者の半数以上は本祭より前夜祭の方を見に来ているという調査があり、これは「本番より準備の方が面白い」という日本的嗜好を象徴する事例として引用されることがある[8]。
現代版では、火薬の代わりに発光ダイオードとスピーカーが用いられ、午後9時ちょうどに「爆発音の録音を再生しない」という無音演出が定番となっている。これにより、かえって爆発を想像させる効果が高まったと評され、観光ガイド誌では「音のない爆発」と紹介されることもある。
脚注[編集]
[1] 品川新橋前通保存振興会『前通史料集 第一巻』1939年。 [2] 佐伯一郎「都市前夜祭における準備行為の祝祭化」『民俗と広告』Vol.12, No.3, pp.44-61, 1982年。 [3] 山口正彦『道路の神格化と近代都市』青燈社, 1975年。 [4] 高瀬みどり「昭和初期の紙火薬運用と導火線誤差」『交通文化研究』第8巻第2号, pp.101-119, 1991年。 [5] 品川新橋前通保存振興会『会報「前通」昭和8年版』非売品, 1933年。 [6] Margaret A. Thornton, “Festival Logistics and Corporate Rituals in Interwar Tokyo,” Journal of Urban Ceremonies, Vol. 4, No. 1, pp. 22-39, 2004. [7] 『東京日日新聞』1936年9月18日付夕刊、4面。 [8] 長谷川和也「本番前消費の文化史」『比較祝祭学』第5巻第1号, pp. 7-28, 2018年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 品川新橋前通保存振興会『前通史料集 第一巻』1939年.
- ^ 佐伯一郎「都市前夜祭における準備行為の祝祭化」『民俗と広告』Vol.12, No.3, pp.44-61, 1982年.
- ^ 山口正彦『道路の神格化と近代都市』青燈社, 1975年.
- ^ 高瀬みどり「昭和初期の紙火薬運用と導火線誤差」『交通文化研究』第8巻第2号, pp.101-119, 1991年.
- ^ 品川新橋前通保存振興会『会報「前通」昭和8年版』非売品, 1933年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Festival Logistics and Corporate Rituals in Interwar Tokyo,” Journal of Urban Ceremonies, Vol. 4, No. 1, pp. 22-39, 2004.
- ^ 長谷川和也「本番前消費の文化史」『比較祝祭学』第5巻第1号, pp. 7-28, 2018年.
- ^ 小笠原常助『前通式運営覚書』港湾文化研究所, 1932年.
- ^ 榊原敬一「汽笛合図と群衆制御」『逓信技術月報』第19巻第4号, pp. 3-18, 1937年.
- ^ Elizabeth K. Sloane, “The Aesthetics of Silent Detonation,” Proceedings of the Society for Urban Ritual Studies, Vol. 9, pp. 88-104, 2011年.
外部リンク
- 品川新橋前通保存振興会アーカイブ
- 前通文化研究所デジタル年報
- 東京都市祝祭資料室
- 港区郷土行事ミュージアム
- 静音祈願普及委員会