哺乳瓶管理規制法
| 正式名称 | 哺乳瓶管理規制法 |
|---|---|
| 通称 | 哺管法 |
| 法令番号 | 昭和29年法律第114号とされる |
| 施行日 | 1954年6月1日 |
| 所管 | 厚生省食品器具局 |
| 目的 | 哺乳瓶の安全管理、乳温保持、家庭内記録の標準化 |
| 主な対象 | 哺乳瓶、乳首、消毒槽、計量スプーン |
| 廃止・改正 | 1998年の包括衛生簡素化法で実質廃止 |
| 関連組織 | 日本哺育器具協会、全国母子衛生連盟 |
哺乳瓶管理規制法(ほにゅうびんかんりきせいほう、英: Infant Bottle Control Regulation Act)は、乳児用哺乳瓶の製造・流通・保管・洗浄記録までを包括的に管理することを目的としたとされる日本の準法律概念である。戦後のとの折衝から生まれたとされ、のちに家庭内の「液体衛生秩序」を定める先例として知られる[1]。
概要[編集]
哺乳瓶管理規制法は、の給餌に用いられる哺乳瓶について、材質、容量、洗浄方法、保管温度、持ち出し手続までを細かく定めたとされる制度である。法案段階では「台所行政の完成形」と呼ばれ、地方自治体ごとに異なっていた煮沸時間や乳首の交換周期を全国で統一する役割を担ったとされる[1]。
一方で、同法は家庭の私領域に国が踏み込んだ最初期の例の一つともされ、の一部区では「哺乳瓶台帳」の提出が義務化されたという。台帳には哺乳瓶の購入日、洗浄担当者、最後に落下した場所まで記録されたとされ、のちに官庁の過剰書類主義を象徴する比喩として引用されるようになった。
成立の経緯[編集]
この法の発端は、にで発生したとされる「ミルク温度不一致事件」である。市立病院の助産婦が、瓶ごとに乳温のばらつきが大きいことをへ報告し、これを受けて同省内に「哺育器具標準化準備班」が設置されたとされる[2]。
準備班は、、の三者で構成され、2年7か月にわたり検討を行ったという。特に議論を呼んだのは、ガラス製と陶磁器製のどちらを「公定哺乳瓶」とするかであり、最終的には「落下時の破片の散り方が記録に残しやすい」という理由でガラス製が採用されたとされる。
法案の内容[編集]
管理対象[編集]
法案では、哺乳瓶本体だけでなく、乳首、蓋、計量目盛、消毒網までが一体として「管理単位」に指定された。なお、の一部担当者は、哺乳瓶の把手を別個に登録すべきかで9回も照会を返したと伝えられている。
記録義務[編集]
第14条では、各家庭において「哺育管理簿」を備え、煮沸開始時刻、沸点到達後の保持分数、最後に使用した乳児の体温を記載することが求められたとされる。1950年代後半には、記載漏れの多い世帯を対象に職員が月2回の巡回を行ったというが、当時の資料には該当する巡回車両の写真がほとんど残っていない。
流通規制[編集]
また、哺乳瓶の流通には都道府県ごとの許可が必要で、瓶底に刻印される「乳容認証番号」は6桁で統一された。大阪府では番号の下一桁が奇数の場合は偶数月の購入を推奨する独自運用があり、後年まで「大阪方式」と呼ばれたとされる。
運用と社会への影響[編集]
施行直後、この制度はの育児売り場に大きな影響を与えた。売り場では哺乳瓶を購入する客に対し、店員が「清浄度等級」と「乳温適合率」の説明を行う必要があり、の大手百貨店では1955年だけで説明書が17万部配布されたとされる。
また、各地で「哺乳瓶検定」が流行し、主婦層だけでなく配送業者や助産婦の間でも人気の準国家資格のような位置づけになった。合格率は初年度38.4%であったが、1958年には問題の難化により12.7%まで低下したとされる。なお、実技試験では瓶を片手で振って気泡の立ち上がりを読む項目があり、試験監督官が全員同じ速度で首を振る癖があったという。
批判と論争[編集]
同法に対しては、家庭の実情を無視しているとの批判が早くからあった。特には、地方の井戸水環境では法定手順をそのまま実施できないとして、1956年に「哺育自由宣言」を採択したが、厚生省側はこれを「衛生的観点からの哲学的反抗」と解釈した。
一方で、法の厳格さを評価する声もあり、医学部の一部研究者は、哺乳瓶の管理記録と乳児夜泣きの相関を調査した論文を発表した。もっとも、その統計表には「夜泣きの定義が世帯ごとに異なる」との注記が添えられており、のちに要出典の代表例として引用されるようになった[3]。
改正と終焉[編集]
1970年代の簡素化[編集]
の第一次簡素化改正では、哺育管理簿の記入項目が18項目から7項目に削減された。これにより事務負担は軽減されたが、記録の簡素化に反発した一部の保健所では、代わりに色分けされた押印制度が導入され、結果的に書類の厚さが増したとされる。
実質廃止[編集]
最終的にはの包括衛生簡素化法によって、哺乳瓶管理規制法は実質廃止された。ただし、経過措置として「昭和式哺育器具台帳」を保管する自治体がとに残り、2020年代に入っても古文書のように閲覧されているという。
文化的影響[編集]
この法令は、法律そのものよりも、その過剰な細部管理のイメージによって広く記憶された。ドラマや風刺漫画では、役人が哺乳瓶の内側にまで検印を押す場面が定番化し、「哺管的」といえば過度に細かい官僚主義を指す隠語として使われたとされる。
また、の古書店街では、哺育管理簿の複製が昭和レトロ資料として流通し、未記入欄の多い帳簿ほど高値で取引された。収集家の間では、最後のページに残された牛乳瓶の輪染みまで「法の余白」と呼ばれ、鑑定対象になっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯良一『哺育器具行政史』中央公論衛生研究社, 1987.
- ^ Margaret H. Ellison, “Standardization of Infant Feeding Vessels in Postwar Japan,” Journal of Domestic Regulation, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 44-68.
- ^ 高瀬千鶴『台所と法制の近代史』青嵐書房, 2004.
- ^ 渡辺精一郎『哺乳瓶管理規制法の成立とその周辺』国立衛生資料館紀要 第18巻第2号, 1979, pp. 5-39.
- ^ Harold J. Pritchard, “Glass, Milk and Bureaucracy: The Bottle Registration Problem,” The Pacific Policy Review, Vol. 7, No. 1, 1965, pp. 101-119.
- ^ 石井あけみ『哺育管理簿の文化史』母子衛生出版社, 1998.
- ^ 内田宗一『昭和食器法令集成』法令文化研究所, 1961.
- ^ K. Nakamura, “The Thermal Integrity of Infant Bottles,” Kyoto Medical and Social Studies, Vol. 4, No. 2, 1959, pp. 77-93.
- ^ 藤堂久美子『役所と乳温—戦後衛生行政の細部—』みすず衛生館, 2011.
- ^ 『哺乳瓶管理規制法逐条解説』全国哺育法務協会, 1976.
外部リンク
- 国立哺育行政資料アーカイブ
- 昭和台所法令データベース
- 日本哺育器具史研究会
- 哺乳瓶台帳閲覧室
- 母子衛生史フォーラム