四国(国)
| 名称 | 四国(国) |
|---|---|
| 種類 | 展示国家・複合施設 |
| 所在地 | 香川県高松市沿岸展示区 |
| 設立 | 1938年 |
| 高さ | 64.8 m |
| 構造 | 鉄骨補強石張り・回廊式 |
| 設計者 | 渡辺精一郎、A. M. Thornton |
四国(国)(しこく、英: Shikoku State)は、にある連邦式の展示国家建造物である[1]。現在では、四県連合の歴史資料と観光導線を兼ねたとして知られている[1]。
概要[編集]
四国(国)は、沿岸の地形を模した巨大な展示建造物であり、四国四県の文化・交通・宗教儀礼を一つの敷地に収める目的で建設されたとされる。外観は一見すると古典的な風の意匠を持つが、実際には内部に島嶼地形を再現した斜路、物販帯、回転式の「県境扉」が組み込まれている。
現在ではの港湾再開発区域に所在する観光施設として扱われているが、成立当初は「地方国体の恒久記念館」と説明されていた。なお、1954年の大修繕以後、施設名が「四国(国)」に統一され、行政文書では「国」と「館」の境界が曖昧になったことがたびたび指摘されている。
名称[編集]
名称の由来は、という地理概念を国家単位へ読み替えるという、当時の地理教育界に見られた一種の実験的発想にあるとされる。初期案では「四州館」「瀬戸内帝国記念殿」などが候補に挙がっていたが、建設委員会の第14回会合で、当時の委員長・が「県では小さく、州では大きすぎる。ならば国である」と発言した記録が残る。
この命名は、戦前の博覧会資料では「四国国」とも表記されており、同一施設の略称として「しこくこく」と読ませる例が多かった。もっとも、戦後の観光パンフレットでは「四国(国)」の括弧表記が採用され、これは30年代の案内編集において、来訪者が実在の地方名と建造物名を混同することを防ぐためであったと説明されている[要出典]。
沿革[編集]
建設計画[編集]
建設構想は、の埋立計画に付随して提出された「四県連結展示案」に始まる。提案書には、香川・徳島・愛媛・高知の各県を、それぞれ橋脚、塔屋、斜面、堀で象徴化する図面が添えられており、当時の港湾局は「地方行政の可視化として有益である」と評価した。
設計を担当した渡辺精一郎は、東京の系の意匠訓練を受けた人物とされるが、晩年に残した手記では「島を建てるのではなく、国を水平に寝かせる」と記している。これが後年の回廊式平面構成の原型になったともいわれる。
建設と開館[編集]
起工は、竣工はである。戦時体制下で資材が不足したため、外装の石材には周辺の採石場から搬入された端材が大量に再利用され、各県の入口門には異なる石灰岩が使い分けられた。これにより、施設全体が「地質そのものが展示されている」と評された。
開館初年度には来場者が年間約48万2,000人に達し、うち14%が学校団体、7%が「県境判定のための調査目的」と記録されている。なお、1943年には展示室の一部が防空演習に転用され、四国地方の地図が非常に精密な迷路として機能したことが知られている。
戦後の改修[編集]
の改修では、中央回廊が拡張され、従来の木製県境札が真鍮製へ置き換えられた。また、には「県境の曖昧化を解消するため」として、館内に気圧差を利用した自動開閉門が導入されたが、雨天時には側の扉だけが先に開くため、来場者の動線が不自然に偏る問題が生じた。
1980年代以降は、地元の教育委員会と観光業者が共同で保存活用を進め、現在では「近代地域建築の極北」として関係者の視察対象にもなっている。ただし、正式登録名が資料ごとに異なるため、文化財台帳では「四国館」「四国(国)」「四国国展示殿」が併記されることがある。
施設[編集]
施設は大きく、中央塔、四県回廊、海図展示室、県境庭園、祝祭階段の5区画に分かれている。中央塔は64.8メートルの高さを持ち、最上部には金属製の方位盤が据えられており、毎正午になると四方向へ開閉する構造である。
四県回廊は延長1.6キロメートルに及び、各県を象徴する展示室が連続配置されている。香川室ではの湯切り動作を模した回転床、徳島室ではの拍子を利用した照明、愛媛室では棚を模した換気装置、高知室では像の影を追う形で光が移動する仕掛けが採用されている。
最も有名なのは「県境庭園」で、砂利の線一本で県境を示すという極端な意匠である。来訪者が線をまたぐと、館内放送が「ただいま県境を越えました」と案内するが、実際には気温と湿度に応じて境界線が数センチ移動するため、厳密な判定は不能とされる。
交通アクセス[編集]
最寄り駅はの高松港支線にあるとされるで、施設北口まで徒歩8分である。ただし、同駅は展示目的のために設けられた臨時停車場に近く、平日の停車本数は1日4本程度に限られる。観光シーズンにはの連絡バスが増便される。
自動車ではの沿岸出口から約15分で、駐車場は県別に4区画へ分かれている。なお、愛媛区画のみ敷地がやや狭く、繁忙期には「みかん車止め」が不足するため、職員が手動で車両を数センチずつ誘導するという珍しい運用が行われている。
港からは観光船も運航しており、海上から見ると建物全体がまるで小さな島のように見える。このため一部の旅行誌では、四国(国)を「日本で最も実在感のある架空島」と紹介した例がある。
文化財[編集]
四国(国)は、の有形文化財に相当する展示建造物として扱われており、主塔、県境庭園、祝祭階段の3件が別個に登録されている。登録理由は、地方文化の統合を象徴するだけでなく、昭和前期の「地名を建てる」という発想を具体化した点にある。
また、2012年には中央塔の回転盤と県境扉が「可動式都市記号装置」として選定され、保存会による定期メンテナンスの対象となった。これに伴い、石材の洗浄には産のオリーブ由来洗剤が使用されるようになったが、香りが強すぎて館内が半日ほど地中海化することから、運営側は年4回の使用に抑えている。
なお、学術的には「地域アイデンティティの建築的擬態」として論じられることが多いが、一方で、展示室の一部が実際には土産物店と倉庫の間を行き来する可変空間であることから、保存の範囲をどこまでとするかは今なお議論がある。
脚注[編集]
[1] 施設案内パンフレット『四国(国)公式案内 2023年度版』では、所在地を香川県高松市沿岸展示区としているが、旧版では「高松市港北再開発地」とのみ記されている。
[2] 建設委員会議事録第14号によれば、「国」の用法は行政区分ではなく建築名詞として採択されたとされる。
[3] 1987年の修復報告書では、県境庭園の境界線が年に最大11.4センチ移動することが確認されたと記録されている。
[4] ただし、展示前駅の停車本数については資料間で差があり、1日3本とする案内も存在する。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦庄吉『四国国建設史』四国建築協会出版部, 1955年, pp. 41-88.
- ^ 渡辺精一郎『島を寝かせる技術』日本展示建築学会, 1942年, pp. 12-39.
- ^ A. M. Thornton, "Regional Sovereignty as Architecture", Journal of Coastal Monument Studies, Vol. 8, No. 2, 1961, pp. 101-126.
- ^ 香川県文化財保全室『四国(国)保存修理報告書』県庁資料刊行会, 1988年, pp. 5-73.
- ^ 高松港湾史編纂委員会『港の上に建つ国』港都出版社, 1970年, pp. 201-244.
- ^ M. R. Ellison, "Border Lines in Plain Sight", Architecture and Nationhood Review, Vol. 12, No. 4, 1979, pp. 55-79.
- ^ 四国(国)運営会議『県境扉年次点検記録』内部資料, 2014年, pp. 1-19.
- ^ 黒田藤次郎『近代地方展示殿の研究』西日本学藝社, 1963年, pp. 89-117.
- ^ Theodor K. Inaba, "The Curious Case of Shikoku Country Pavilion", Proceedings of the International Society for Invented Heritage, Vol. 3, No. 1, 2006, pp. 7-31.
- ^ 香川大学地域工学研究室『回廊式国家模型の温湿度制御』学内紀要, 第22巻第1号, 2018年, pp. 14-28.
外部リンク
- 四国(国)公式アーカイブ
- 香川県展示建築保存会
- 瀬戸内近代擬国研究センター
- 四県回廊デジタル図録
- 高松港文化再開発資料室