国道99号
| 路線番号 | 99 |
|---|---|
| 起点 | 群馬県高崎市・高松交差点 |
| 終点 | 宮城県石巻市・新湊埠頭入口 |
| 総延長 | 約287.4 km |
| 制定年 | 1934年(昭和9年) |
| 管理主体 | 国土交通省 関東・東北整備局連絡班 |
| 通称 | 九九街道、二桁国道 |
| 主な交差路線 | 国道50号、国道4号、国道6号 |
(こくどうきゅうじゅうきゅうごう)は、の主要幹線道路の一つで、からにかけて「九九式標識」と呼ばれる独特の路面表示を持つ道路として知られている[1]。その起源は初期にが進めた「完全二桁道路網計画」にさかのぼるとされる[2]。
概要[編集]
は、からに至るとされるの一般国道である。公式には「東北西縁補助幹線」と位置づけられているが、実際にはとの間を縫うように走り、物流・観光・“九九巡礼”の三用途を兼ねる特殊な道路として扱われてきた。
この路線は、数字の「9」が持つ「終わりと再出発」の象徴性から、道路計画の段階で縁起物として選定されたとされる。とくに11年の路線再編で「8」を飛ばして99に決まった経緯は有名であるが、実際には当時の道路局で九九表に強い人材が多数いたためとも言われる[3]。
歴史[編集]
前史[編集]
起源は末期の「二桁国道試験案」にあるとされる。これはのらが、都市間交通を九九表の枠組みに収めることで案内標識を簡素化する試みで、1928年の時点で—間に仮番号99Aが付された記録が残る。
当初は木製の路側標識が用いられ、九の字を横倒しにした意匠が採用された。しかし雨天時に「6」に見えることが続出し、地元では「六に化ける道」と揶揄されたという。これが後年の耐候性金属標識の採用につながった。
昭和期の整備[編集]
、はを正式路線として告示した。告示文では「北関東と三陸を結ぶ折衷線」とされ、付近で一度南へ折れる珍しい経路が指定されたため、当時の新聞は「数字ほどまっすぐでない国道」と報じている[4]。
には沿線の電柱に九九表が印刷され、夜間運転時の暗算訓練に使われたとする記録がある。なお、この施策は後にの算数教育改善案に影響を与え、昭和20年代の児童向け副読本『九九と道路』の刊行へつながった。
高度成長期以後[編集]
には沿いに自動車工場、米穀倉庫、観光ホテルが相次いで建設され、沿線人口はからの12年間で推計18.6%増加したとされる。ただし、この数字はの内部資料のみで確認されており、出典の所在に疑義がある[5]。
一方で、路線番号が「9」の反復であることから、沿線自治体では9月9日午前9時9分9秒に開通記念式典を行う慣例が生まれた。式典では毎回9台の白バスが先導し、9人の来賓が挨拶し、最後に9枚の横断幕が一斉に落とされる。この儀礼は現在も一部の商工会で継承されている。
路線の特徴[編集]
の特徴として最も知られるのは、郊外の「九曲がり区間」である。ここでは半径99メートル未満の緩いS字が9連続し、冬季になると路面の融雪剤が「9」の字を描くことから、観光バスが停車して写真を撮る習慣が定着した。
また、沿線に9か所の「九九休憩所」が設けられており、いずれもトイレの個室が9室で統一されている。もっとも、実際には8室しか稼働していない時期が長く、地元では「1室は道路そのものが使っている」と説明されることが多い。
道路標識は通常の青地白抜きではなく、開通当初から「白地に黒丸9つ」を並べた独自意匠で、の一部職員はこれを「九九式サイン」と呼ぶ。標識研究家のは、この意匠が後の高速道路案内板の配色に与えた影響は「きわめて限定的だが無視しきれない」と評している。
地域社会との関わり[編集]
沿線の側では、毎年7月に「九九まつり」が開催され、地元の小学生が百マス計算ならぬ「九九マス歩行」を披露する。これは道路沿いに9m間隔で置かれた9つの白線を、決められた順に踏んで進む競技で、最速記録はの小学6年生による14.7秒とされる。
の商店街では、の“終点に近いが終わらない感じ”を逆手に取った「まだ99号商店会」が結成され、看板にわざとの文字を使わない方針を採っている。この方針は観光客に好評である一方、郵便配達員がたびたび迷うため、から改善要請が出たことがある。
また、道路沿いの寺社では「九九祈願」が行われ、交通安全と暗算上達を同時に願う風習が残る。特にの海辺では、津波避難訓練の日に9回の鐘を鳴らす慣行があり、これは本来は40年代の交通安全週間から転用されたものだという。
批判と論争[編集]
をめぐっては、路線が「国道としては妙に縁起を担ぎすぎている」との批判が早くからあった。とくにのでは、沿線住民のアンケートに「99という数字に意味を持たせる必要があるか」という設問が追加され、回答の36%が「ある」、41%が「ない」、23%が「よくわからない」で割れたとされる。
また、に一部区間でと実質的な重複が生じた際、地元紙は「6と9の合流で、標識が上下逆でも通用する」と皮肉を掲載した。これに対し当時の整備担当官は「道路は数字ではなく流れである」と答えたが、翌日の会見で自らその流れを“九九の流れ”と呼んだため、論争はかえって拡大した。
なお、路線名にちなむ迷信として「99号を9回往復すると願いが叶う」とする説があるが、は公式には確認していない。もっとも、沿線のドライバー協会では、これを根拠に事故率が下がったと主張している。
年表[編集]
1931年 - とを結ぶ仮称九九幹線が起草される。
1934年 - として正式告示される。
1939年 - 電柱九九表計画が実施される。
1968年 - 九九休憩所第1号が開設される。
1991年 - 「九九まつり」が沿線4市合同事業となる。
2014年 - 一部区間で路面に耐摩耗性の“9字舗装”が導入される。
2022年 - が、終点表記の「新湊埠頭入口」をめぐる案内統一を試みるが、地元の強い反発により見送られる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松平敬一『二桁国道論』内務省道路局研究報告 第12巻第3号, 1932年, pp. 14-39.
- ^ 荒木俊治『道路標識の記号学と九九式意匠』交通工学会誌 Vol.18, No.2, 1958年, pp. 88-102.
- ^ 三宅恒夫『北関東幹線の流れと折衷線配置』日本道路協会資料集 第7巻第1号, 1979年, pp. 5-21.
- ^ H. S. Whitman, 'Arithmetic and Asphalt: The National Route 99 Plan', Journal of East Asian Infrastructure Studies, Vol. 4, No. 1, 1966, pp. 31-55.
- ^ 田島みどり『九九休憩所の観光化過程』地方交通文化研究 第21号, 1987年, pp. 44-63.
- ^ K. Endo, 'Ninefold Signage and Driver Cognition on Route 99', Proceedings of the Tokyo Symposium on Transport Semiotics, Vol. 2, 1994, pp. 201-219.
- ^ 宮下清一『数字を走らせる――戦前国道計画の思想』道路史叢書, 2001年, pp. 117-156.
- ^ 大槻礼子『国道九九号線の社会的受容』東北地域研究 第33巻第4号, 2009年, pp. 9-28.
- ^ R. C. Allen, 'When Nine Became a Road: Bureaucratic Numbering in Modern Japan', Infrastructure & Society Review, Vol. 9, No. 9, 2019, pp. 90-117.
- ^ 『九九と道路 改訂新版』文部省算数副読本編集委員会, 1949年, pp. 1-86.
- ^ 高橋久美子『新湊埠頭入口をめぐる終点表記問題』港湾と道路 第15巻第2号, 2022年, pp. 67-74.
- ^ L. Nakamura, 'The 99th Mile and the Problem of Endlessness', Bulletin of Applied Road Lore, Vol. 1, No. 99, 1971, pp. 1-9.
外部リンク
- 国道九九号保存会
- 関東・東北道路史アーカイブ
- 九九式標識研究室
- まだ99号商店会
- 日本道路民俗学会