多脚型対電子戦プラットフォーム「タランチュラ Mk-IV」
| 名称 | 多脚型対電子戦プラットフォーム「タランチュラ Mk-IV」 |
|---|---|
| 開発国 | 日本 |
| 開発機関 | 防衛庁 技術研究本部 第7特別機動研究班 |
| 分類 | 多脚歩行式電子戦プラットフォーム |
| 運用開始 | 1987年(試験配備) |
| 全高 | 4.8m |
| 自重 | 18.6t |
| 脚数 | 12脚 |
| 最大妨害半径 | 8.2km |
| 愛称 | 糸車 |
多脚型対電子戦プラットフォーム「タランチュラ Mk-IV」(たきゃくがただいでんしせんぷらっとふぉーむ「タランチュラ マークフォー」)は、の脚部にを統合したとされる発の多用途戦術装備である。主としてや下でのに用いられたとされ、1980年代末から各国の研究者の間で半ば伝説的な存在として語られている[1]。
概要[編集]
タランチュラ Mk-IVは、向けの地上電子戦支援装備として構想されたとされる多脚型の実験機である。一般にはと誤解されがちであるが、設計思想の中心はあくまでにあり、脚部は不整地での保持とアンテナ安定化のために採用されたと説明される[2]。
本機の特異性は、のうち前後左右の4脚にだけ冷却系が二重化され、残る8脚には海軍由来の耐塩害ベアリングが流用されていた点にある。これにより、沿岸部の湿地と内陸の凍結地帯の双方で試験が可能になったとされるが、同時に整備員からは「歩くたびに予算が鳴く」と揶揄されたという[3]。
名称の由来[編集]
「タランチュラ」の名は、脚部が昆虫ではなく節足動物のように独立駆動することから付けられたとされる。Mk-IVは4代目であるが、実際にはMk-IIとMk-IIIの記録の大半がされているため、研究者の間では「最初からIVとして出したかったのではないか」との見方もある。
運用思想[編集]
当初の要求仕様は「のない地域でも、敵味方識別と通信遮断を同時に行えること」であった。これに対し設計主任のは、地上車両よりも重心を高く取れる多脚式が、瓦礫越えと指向性妨害の両立に向くと主張したとされる。
開発経緯[編集]
開発は、の旧試験棟で始まったとされる。契機となったのは、同年の大規模通信混乱演習「」で、地上無線車が段差に阻まれ、妨害班がほぼ全滅したことにあったという[4]。
第1試作機は6脚式で、正式には「T-6A」と呼ばれたが、脚の可動域が狭く、演習開始から18分で自身の妨害電波により航法装置を誤作動させた。これを受けては、脚部の数を増やす一方で、アンテナ群を背面塔ではなく胸部周辺に分散配置する方針へ転換したとされる。
には第3試作機がの非公開展示で初めて公表されたが、あまりに虫に似ていたため、見学した幹部が「戦場でなく博覧会に出すべきだ」と発言したという逸話が残る。なお、この時点では脚の関節数が片脚あたり11箇所もあり、保守費用は小型護衛艦1隻分に迫ったと伝えられている[5]。
国産部品化の過程[編集]
初期機体は製アクチュエータに依存していたが、の輸出規制強化を受けて、国内の精密油圧メーカー3社が急遽代替品を開発した。これにより脚の駆動音が「金属の拍手」から「畳を踏む猫」に変わったとされ、逆に秘匿性が高まった。
Mk-IVへの改修[編集]
Mk-IV化では、脚部制御にの群制御理論を応用したとされる。また、電磁妨害装置としては、搬送波をややずらした擬似雑音発生器「J-19K」が搭載され、これは後に民生向けの誤作動対策にも転用されたという。
構造と機能[編集]
タランチュラ Mk-IVは、前部に受信索敵用の低背センサー群、中央に妨害送信区画、後部に冷却と補助電源を置く3分割構成である。脚部は単純な歩行ではなく、地面の硬さに応じて「沈む」「跳ねる」「止まる」を自動で選択する半自律制御が導入されていたとされる。
対電子戦機能としては、の通信攪乱、低高度レーダーへのノイズ注入、さらには音声通信を遅延させる「会議妨害モード」まであったとされる。最後の機能は実戦向けではなく、演習後の調査会で議事録の作成を困難にするための半ば冗談のような装備だったが、後年の文書では最も使用頻度が高かったとの指摘もある[6]。
また、機体底部には「地雷回避ではなく地面の気分を読む」と説明された圧力分布センサーが装備されていた。このセンサーは泥濘での踏破性能を高めた一方で、なぜかの乾いた校庭でも過敏に反応し、試験隊を数回立ち止まらせたという記録が残っている。
脚部と走行性能[編集]
最高速度は整地で時速27km、不整地では時速11km程度とされる。だがこの数値は「走行」ではなく「歩幅の平均」に近く、実際には高速移動よりも、急停止からの瞬時姿勢復元に性能の重点が置かれていた。
電子戦モジュール[編集]
モジュールは現地交換式で、通信妨害、航法攪乱、照準欺瞞の3系統が確認されている。特に照準欺瞞は、対象のレーダー画面に「同じ影が二度出る」現象を生じさせるとして有名になった。
試験運用と実績[編集]
試験運用は主にの雪原、周辺、そしてのコンテナ埠頭跡地で行われたとされる。1987年秋の「霧の三日間」演習では、タランチュラ Mk-IVが半径7.4kmの通信遮断を達成し、演習統制が一時的に紙の伝令に戻ったことで、訓練参加者の間に強い印象を残した[7]。
もっとも、成果は常に安定していたわけではない。1988年の海霧試験では、強風により妨害用アンテナが振動し、周囲の民間AMラジオに深夜放送の再送信のような雑音を撒き散らしたため、近隣の漁業組合から苦情が寄せられたとされる。これに対し担当官は「電波環境の教育効果」と説明したが、後に議事録でやや問題視された。
一方で、災害時の仮設通信遮断訓練における汎用性は高く評価され、との合同研究では、倒壊家屋の隙間を進みながら避難指示を局所的に配信する応用案が検討された。実現には至らなかったものの、この案は後の「可搬型地区放送システム」の設計に影響したとされる。
有名な逸話[編集]
1989年の公開試験では、機体が霧中で一時停止した際、脚の影が地面に規則正しく並び、見学者の一部が巨大なハープシコードと見誤った。以後、現場では本機を「歩く鍵盤」と呼ぶ者も現れた。
失敗例[編集]
もっとも悪名高いのは、冷却系の設定ミスにより機体周辺の雪を一部融かし、足場を泥に変えたまま停止した事例である。このとき操縦班は15分間にわたり、機体の脚で自分の逃げ道を塞ぐ格好になった。
社会的影響[編集]
タランチュラ Mk-IVの存在は、後半の国内防衛技術において「電子戦は車輪ではなく姿勢制御である」という奇妙な認識を広めた。これにより、歩行式支援車両の研究が一時的に活性化し、民間でも高架点検ロボットや山岳通信中継車の開発が進んだとされる[8]。
また、同機はメディア上でしばしば「国産ロボットの失われた分岐点」として取り上げられた。だが実際には、図面の多くが部外秘扱いとなり、一般に知られたのは機体写真の一部と、脚部の動きが妙に優雅だったという証言だけである。こうした曖昧さが、かえって都市伝説化を後押しした。
なお、以降は国際情勢の変化により本格配備計画が縮小されたとされるが、研究班の一部はその後も「タランチュラ計画」の名を残し、脚部外装を農業用散布機へ転用したという。これが後年の害虫防除ドローンの祖型になったとする説もあるが、検証は十分ではない。
教育・産業への波及[編集]
やでは、1990年代初頭に本機を題材とした制御工学の講義が行われたとされる。特に「妨害と安定化を同時に設計する」という課題は、学生に強い印象を与えたという。
民間伝承[編集]
現在でも周辺では、霧の日に工場跡地へ行くと四方から同じ足音が聞こえるという噂がある。地元ではそれを「タランチュラの残響」と呼ぶが、実際には近隣の換気ファンの音であるとも言われる。
評価と批判[編集]
本機に対する評価は、先進的とするものと、過剰に複雑で維持不能とするものに二分される。肯定派は、不整地での安定性と電子戦の即応性を高く評価したが、批判派は「脚を増やした結果、故障点も増やしただけである」と指摘した[9]。
とりわけ問題視されたのは、整備に必要な特殊工具が92種類に及んだことである。しかも、そのうち14種類は機体専用ではなく、整備班が勝手に作った木製治具だったとされ、監査で「伝統工芸に依存しすぎている」と記されている。
さらに、試験中の排熱が冬季の霜を溶かし、足跡が滑走路の誘導灯のように並ぶ現象が発生した。これにより「見た目は威圧的だが、実際には足元が弱い」という評価が定着し、後継機では脚部の数がいったん8脚に減らされたとされる。
批判の中心[編集]
最も多かった批判は、電子戦装置と歩行機構の両立が難しいという点であった。要するに「どちらもやれるが、同時にやると機嫌が悪い」ということである。
再評価[編集]
近年は、災害支援ロボット研究の観点から再評価が進んでいる。特に瓦礫越えと無線遮断を組み合わせた「封鎖下救助」の概念は、本機の失敗から生まれた副産物として注目されている。
脚注[編集]
[1] 主要な公刊資料は少なく、初出は技術雑誌『』1989年2月号とされる。 [2] ただし同誌の図版には、実際には配線が一本多く描かれており、後年「誤植ではなく夢である」と編集部が回答した。 [3] 整備費比較は試験班の内部メモによる。数値の妥当性には異論がある。 [4] 演習名の由来は、参加者の昼食が白い麺類ばかりであったためとされるが、確認されていない。 [5] 幹部発言は複数の証言があるが、いずれも要旨は同じである。 [6] 会議妨害モードは正式装備ではなく、現場で半ば冗談として設定された可能性が高い。 [7] ここでの「半径」は実効遮断域であり、理論値は9.1kmとされた。 [8] この系譜については機械工学史研究会で議論が続いている。 [9] 批判派の報告書では、機体は「雨の日の長机」に似ると表現されている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯信吾『多脚電子戦機の系譜』防衛技術出版社, 1992.
- ^ 真田周三『地上妨害装置設計論』工学評論社, 1988.
- ^ Harold J. Whitcomb, "Spiders on Tracks and Legs", Journal of Tactical Systems, Vol.14, No.3, 1991, pp.44-79.
- ^ 小松原宏『不整地歩行と電波攪乱』東洋工業出版, 1993.
- ^ M. A. Thornton, "Adaptive Mobility Under Electromagnetic Noise", IEEE-like Transactions on Field Robotics, Vol.8, No.2, 1990, pp.112-136.
- ^ 防衛庁技術研究本部編『試験研究年報 昭和62年度』, 1988.
- ^ 鈴木和彦『糸車と呼ばれた試作機』新潮社, 2001.
- ^ Eleanor P. Sykes, "Countermeasure Platforms in Coastal Fog", Defense Review Quarterly, Vol.22, No.1, 1994, pp.9-31.
- ^ 田辺悠『会議妨害モードの倫理』情報社会研究, 第17巻第4号, 1997, pp.201-219.
- ^ 中野邦彦『タランチュラ Mk-IVの足音はなぜ優雅か』航空機械と都市伝説, 第3巻第1号, 2004, pp.1-18.
外部リンク
- 防衛技術アーカイブス研究室
- 相模原機動試験史資料館
- 電子戦装備史データベース
- 日本多脚機械学会
- 旧防衛庁非公開試験記録集