夢でおしっこしたと思ったらおねしょ
| 別名 | 夢内排尿錯誤、逆認識夜尿 |
|---|---|
| 分類 | 睡眠時認知現象 |
| 初出 | 1978年ごろ |
| 提唱者 | 高見沢 恒一郎 |
| 主な研究地 | 東京都、神奈川県、福岡県 |
| 関連機関 | 日本夜尿民俗学会、睡眠境界現象研究班 |
| 俗称 | 見た夢のせい症候群 |
| 主な論点 | 夢の内容と実際の失禁の因果逆転 |
夢でおしっこしたと思ったらおねしょ(ゆめでおしっこしたとおもったらおねしょ)は、睡眠中に排尿した感覚をの出来事と誤認する現象を指す日本の民間睡眠学用語である。昭和後期にの夜尿研究会で定式化されたとされ、当初は児童の睡眠記録法の一種として扱われていた[1]。
概要[編集]
夢でおしっこしたと思ったらおねしょは、中に生じた排尿を、本人が夢の中の出来事として記憶してしまう現象である。日本では古くから「朝になってから夢のせいにする」習慣的説明があったが、これを半ば実証的に整理したのがの周辺で行われた夜尿観察ノート運動であるとされる。
この現象は、単なる言い訳の類型ではなく、の覚醒直前における感覚統合のずれとして扱われることが多い。一方で、同研究会の記録には「夢で用を足した直後に布団の温度で事実を悟る」例が多数残されており、実際には本人の自己申告をめぐる家族内交渉の技術として発展したとの指摘もある。
歴史[編集]
前史[編集]
この概念の前史は、後期の育児書に見られる「寝入る前に便意を話す子は夢を濡らす」という記述に求められるとされる。とくにの紙問屋・村上家に伝わった『夜間心得帳』には、子どもが夜中に起きて水差しへ向かうのを防ぐため、布団脇に木札を置いて夢と現実を分離させたという奇妙な工夫が記されている[2]。
ただし、これが体系的な観察へと変化したのは戦後である。昭和30年代、の小児科医・斎藤富士男が、母親の聞き取りだけでは夜尿の頻度が過小報告になると考え、就寝前に「今夜の夢の題名」を子どもに書かせる方式を採用した。これが後に、夢の内容と排尿時刻のズレを記録する定番手法となった。
用語の成立[編集]
「夢でおしっこしたと思ったらおねしょ」という表現は、にの私設研究会で配布されたパンフレットの見出しに由来するとされる。パンフレットの編集者であった高見沢 恒一郎は、子ども向けに難しい医学語を避けるため、このやや長い説明文をそのまま術語化したと証言している。
のちにでは、学術誌掲載に際して「夢内排尿錯誤」という簡略語も提案されたが、現場ではほとんど定着しなかった。理由は単純で、保護者に説明する際の説得力が弱く、むしろ「夢でおしっこしたと思ったらおねしょ」の方が、妙に納得感があるからである。
研究の広がり[編集]
には、のある小学校で、毎朝の健康観察票に「夢の有無」を記入する欄が追加されたことから、現象の実地調査が急増した。1984年の調査では、夜尿経験のある児童312人のうち、68人が「夢の中でトイレに行った」と回答し、そのうち41人が「夢の途中で紙パンツの音に気づいた」と述べた[3]。
この結果を受け、睡眠教育の現場では「夢の内容を覚えているか」よりも「起床後の最初の説明が妙に具体的であるか」が診断補助指標として用いられるようになった。また、保健室での聞き取りにおいては、児童がしばしば「夢でおしっこしたと思った」と先に述べ、その後で微妙に語尾を弱めることが観察され、研究者の間では“自己保全的夢語り”として知られた。
特徴[編集]
本現象の最大の特徴は、夢の場面が非常に日常的である点にある。たとえば、駅のトイレ、学校の手洗い場、あるいは実家の廊下など、実在の導線に近い空間が夢内で再構成されることが多いとされる。しかも、夢の中ではたいてい「かなり長く用を足していた感覚」が残るため、当事者は起床後もしばらく自信満々である。
一方で、夢の描写には不思議な共通項があり、便座が妙に高い、個室の壁紙が風である、隣室で誰かがの放送を小音量で流している、などの報告が多い。これらは実際の排尿よりも、睡眠中の環境音が夢化した痕跡であると説明されるが、の一部研究者は「本人の脳が自ら証拠写真を偽造している」とまで述べている。
診断と分類[編集]
軽症型[編集]
軽症型は、夢の中で一度だけ用を足したと感じ、起床後にシーツの湿りで気づくタイプである。保護者の報告では、本人が「ちゃんと夢ではトイレに行った」と主張し、結果として寝具交換だけで済むことが多い。夜尿研究会では、これを「夢の責任転嫁が成立しきらない型」とも呼んでいた。
反復型[編集]
反復型は、同一夜に2回以上「夢でおしっこした」と言う現象である。本人の記憶では、夢の中でトイレの列に並び、ようやく順番が来たところで目が覚めたことになっているが、実際にはその間に複数回の覚醒が混ざっている場合がある。1989年の調査では、反復型の児童のうち17%が、翌朝に夢の筋書きを家族へ朗読する習慣を持っていた。
高説明型[編集]
高説明型は、起床直後に「夢でおしっこしたと思ったらおねしょだった」と、因果関係までセットで説明してしまう型である。これは家庭内での失敗回避能力が高いと評価される一方、観察記録としては最も信用できない。なお、では、この型を「説明が先に来る症例」として別扱いにする案が検討されたが、採択は見送られた。
社会的影響[編集]
この現象は、夜尿をめぐる家庭内の緊張を和らげた点で評価されている。子どもが「夢のせい」であると説明することで、叱責が減り、かわりに寝る前の水分摂取やトイレ誘導の工夫が進んだとされる。特に後半の学童保健では、「夢の話を先に聞く」ことが心理的ケアとして推奨された[4]。
また、内の一部幼稚園では、年長児向けに「夢と現実の区別をつける夜の会話練習」が導入され、これが後に睡眠教育教材へ発展した。もっとも、教材の一例に「夢の中の便座は、朝には責任を負わない」という文言があり、保護者から表現が妙に法的だと苦情が寄せられたという。
批判と論争[編集]
批判の主眼は、本現象が医療概念なのか、家庭内の言い回しなのか曖昧である点にある。の『睡眠境界誌』では、都立病院の看護師グループが「夢でおしっこしたと思ったらおねしょ」は実際には観察者の先入観を固定化する危険があると指摘した[5]。
一方で、支持派は、術語が長いこと自体が児童の弁明を中和し、結果として暴力的な叱責を減らしたと主張している。ただし、の調査では、親の3割がこの言い回しを聞いた瞬間に笑ってしまい、指導が中断されたという報告もある。これが現象の普及を妨げたとの見方もある。
文化的受容[編集]
本現象は、漫画や保健便りの題材としてたびたび取り上げられてきた。とくにの学級通信では、夢の中で立派なトイレを探していたはずが、実際には押し入れに向かっていた、という定番の逸話が好まれた。これらの話は、子どもの羞恥心を過度に刺激せずに注意喚起する手段として機能したとされる。
また、の地域ラジオでは、深夜の生活相談コーナーで「夢でおしっこしたと思ったらおねしょ」という長題の投稿が複数寄せられ、放送作家が略称として「ゆめおね」を採用した。しかし、この略称は真剣味がなくなるとして研究者側が嫌ったため、結局は学校配布資料のみで細々と使われた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高見沢 恒一郎『夢内排尿錯誤の民俗的整理』睡眠境界研究所, 1979年, pp. 14-39.
- ^ 斎藤 富士男『夜尿ノート法と児童の語り』東京小児医学会雑誌 Vol.12, No.3, 1981年, pp. 201-218.
- ^ 村上 由紀子『布団と夢のあいだ—家庭内説明の変遷』日本夜尿民俗学会誌 第4巻第1号, 1984年, pp. 55-73.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton, "Dream-Micturition Misattribution in Late Sleep Cycles", Journal of Boundary Sleep Studies Vol.7, No.2, 1988, pp. 88-104.
- ^ 斎藤 富士男・他『学童における夢題名記録の有効性』神奈川小児衛生会報 第9巻第6号, 1985年, pp. 9-26.
- ^ 渡辺 精一郎『夢でおしっこしたと思ったらおねしょの社会的受容』東京夜間教育研究 第15号, 1993年, pp. 3-19.
- ^ Committee on Pediatric Nocturnal Narratives, "Household Speech and Wet Sheets" in Proceedings of the 2nd International Sleep Folk Conference, 1991, pp. 41-58.
- ^ 小林 みどり『保健室で最初に聞くべき一言』文部生活資料 第21巻第2号, 1990年, pp. 67-81.
- ^ Yamada, T.『On the Dream of the Toilet Queue』Sleep and Domesticity Review Vol.3, No.1, 1994, pp. 1-15.
- ^ 高橋 俊介『ゆめおね略称化の失敗と成功』名古屋生活科学紀要 第8巻第4号, 1998年, pp. 122-139.
外部リンク
- 日本夜尿民俗学会アーカイブ
- 睡眠境界現象研究班資料室
- 夜間心得帳デジタル閲覧室
- 文京区生活睡眠史プロジェクト
- 学童夢題名記録館