大井川連続殺人事件
| 名称 | 大井川連続殺人事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 大井川流域連続殺人・誘拐事件 |
| 日付 | 1987年9月14日 - 1987年10月3日 |
| 時間帯 | 深夜帯を中心に断続的 |
| 場所 | 静岡県島田市・川根本町・榛原郡周辺 |
| 緯度度/経度度 | 35.07°N 138.14°E |
| 概要 | 大井川の増水と霧を利用して発生した連続殺人事件 |
| 標的 | 川沿いの旅館従業員、木材運搬業者、ダム工事関係者 |
| 手段/武器 | ロープ、鈍器、偽造通行証、瀬替え用の渡船 |
| 犯人 | 不明(のちに元林道調査員・尾形慎一とされる) |
| 容疑 | 殺人、死体遺棄、逮捕監禁、文書偽造 |
| 動機 | 土地台帳改変と水利権をめぐる私怨と推定 |
| 死亡/損害 | 死者7人、行方不明2人、負傷者3人、家屋損壊4棟 |
大井川連続殺人事件(おおいがわれんぞくさつじんじけん)は、(62年)にのからにかけての流域で発生した連続殺人事件である[1]。警察庁による正式名称は『大井川流域連続殺人・誘拐事件』とされ、通称では「川霧事件」とも呼ばれる。
概要[編集]
大井川連続殺人事件は、中部の流域で、1987年(62年)に発生したとされる事件である。山間部の霧と増水を利用した犯行が特徴で、最初のからに至るまでにを要した[2]。
事件は当初、単発の発見として処理されたが、その後、同一の様式として、縄の結び目、靴底の泥、渡船券の番号が共通していることが判明した。捜査本部は最大でを動員し、、、の境界をまたぐを重点的に調べたとされる[3]。
なお、地元では犯行現場周辺で白い川霧が濃くなる夜に、川底から鈴の音が聞こえるという談が多く残っている。もっとも、これは後年に観光業者が作った「霧見物案内」の文言が元になったとする説もあり、事件の実像は今なお一部がである。
背景[編集]
大井川流域の土地台帳改変[編集]
事件の背景には、後半から進んだ山林売買と争いがあったとされる。特にの旧林道計画をめぐり、調査票の記載が何度も書き換えられたことから、関係者の間で不信が蓄積した[4]。
警察資料の一部では、犯人は元のとされるが、本人の書は第3回までに3通存在し、筆跡も微妙に異なっていたため、真偽をめぐって議論が続いた。
川霧と渡船網[編集]
大井川は増水時に橋が閉鎖される区間が多く、事件当時は臨時のが複数運用されていた。このため、が川の東西を往復しやすく、の接点が分断されていたと考えられている[5]。
また、当時の県道工事で設置された仮設照明が一部で停電し、成立直前まで「犯行時刻の特定が困難であった」とする捜査報告が残る。もっとも、後年の調査では、その停電時間が毎晩ほぼずつずれていたことが判明し、むしろ計画性の高さを示す材料になった。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
9月17日、島田署に最初のが入り、川沿いの茶畑で女性1人のが発見されたことで本部が設置された。続く10月1日までに、現場周辺の電話線切断、旅館帳場の隠滅、木箱から出た足跡の一致が相次いで確認され、の可能性が強く意識された[6]。
捜査班は本部のほか、広域捜査支援室の支援を受け、延べを投入した。捜査員の間では、霧の中で聞こえる「3回鳴って止まる笛」を合図とする犯人像が流布したが、これは旅館の風呂湯沸かし器の警告音だったとする証言もある。
遺留品[編集]
遺留品として重要視されたのは、川原に落ちていた、内の文具店でしか扱われていなかった硬質消しゴム、そしての旧式乗車札の3点である。とくに乗車札は、裏面に鉛筆で書かれた「T-14」という記号があり、これがの林道台帳番号と一致したとされた[7]。
一方で、現場から押収されたロープの繊維はではなく化学繊維で、当時の山仕事では珍しいものであった。これが「犯人は山村の者ではなく、むしろ測量や工事に関係する人物ではないか」という見方を強めたが、最終的にこの推論は裁判で完全には採用されなかった。
被害者[編集]
被害者は確認されただけで、行方不明者を含めるとに及んだ。多くは大井川沿いの旅館従業員、木材運搬業者、ダム工事の下請け業者であり、夜間になしで川を渡ろうとした際に襲われたとされる[8]。
被害者の中には、の郷土史研究会に所属していたも含まれており、彼女が持っていた手帳には「川の音が2種類ある」と記されていた。この記述が後に「犯人の監視メモ」ではないかと注目されたが、実際には俳句の下書きだったとする家族証言が残る。なお、2人目の被害者については公式記録上、姓が「小林」と「小橋」で揺れており、資料の混乱が続いている。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
2月12日にで初公判が開かれた。被告人席に立ったは一貫して事実を否認し、については「川の神に頼まれた」と述べたため、法廷内が一時騒然となった[9]。
検察側は、現場の足跡、旅館の帳簿、そしての倉庫から押収された偽造通行証をとして提示した。これに対し弁護側は、通行証は祭礼用の余り紙で作ったものであり、の道具にはなり得ないと主張した。
第一審[編集]
第一審では、25年が求刑されたが、裁判長は「相当とまでは断じられないが、極めて計画的で悪質である」として、最終的にを言い渡したとされる[10]。判決文は全に及び、うちが川霧の気象条件に割かれていた。
この異例の判決は、土地台帳改変の背景事情をどこまでとして評価するかで議論を呼んだ。なお、被告側は控訴したが、控訴趣意書の一部が同じ行で3回折り返されていたため、法曹関係者の間で「山岳事件特有の書式」として半ば伝説化している。
最終弁論[編集]
最終弁論で検察は「被告はに見える霧を利用し、現場ごとにの発見順を操作した」と述べた。一方、弁護側は「被告に殺意はなく、結果として事故が連鎖したにすぎない」と主張したが、裁判所はこれを退けた[11]。
ただし、判決理由中には「旅館の帳場記録と天候記録の整合が完全ではない」との注記があり、これが後年の再審請求の根拠となった。現在でも、事件は一部で論の教材として扱われるが、実務上は死者事件として収束したものと理解されている。
影響[編集]
事件後、大井川流域では夜間の渡船運航が全面的に見直され、は霧発生時の河川警備基準を新設した。とくにでは、観光案内から「川霧の名所」という表現が一時的に削除され、代わりに「視界不良注意」の看板がに設置された[12]。
また、の臨時便には監視用の赤色ランプが追加され、利用者数は翌年度に減少したとされる。もっとも、後年の地域振興策で「川霧ナイトウォーク」が始まり、事件の記憶が観光資源へと半ば転用されたことは、地元でも評価が分かれている。
一方で、事件は山間部の協力体制を変える契機にもなり、県警内では「霧地帯案件」と呼ばれる広域連携マニュアルが作成された。これにより、、、の各署の情報共有は、当時としては異例の速さで行われるようになった。
評価[編集]
法学者の間では、本事件は「自然条件がの価値を左右した珍しい事件」として評価されている。特にの刑事政策研究班は、気象・地形・交通遮断が重なったことで、通常の証言がほぼ機能しなかった点を重視した[13]。
ただし、事件資料の一部に後年作成されたとみられるメモが混入しており、の居住地が年度ごとに変わるなど、いくつかの記述には相当の不整合がある。にもかかわらず、資料の密度が異様に高いため、逆に「作り物にしては細かすぎる」と語られることが多い。
なお、地元新聞の特集では、犯人が残したとされる「川は人を隠すが、帳面は隠さない」という文言が引用されたが、実際には当時の編集部が付けた見出しだったとも伝えられる。
関連事件・類似事件[編集]
本事件としばしば比較されるのが、、、およびである。いずれもの河川・丘陵地帯を舞台としており、渡し場や林道がの死角として利用された点が共通している[14]。
また、県外ではやが類似例として挙げられるが、いずれも本事件ほど「地形そのものが共犯者のように扱われた」事例は少ないとされる。もっとも、比較研究の一部では、これらの事件名が後世に便宜上まとめられた可能性も指摘されている。
関連作品[編集]
書籍[編集]
事件を題材にした書籍としては、『川霧の帳場』、『大井川・七つの影』、『未解決のままにする技術』などがある[15]。とくに『川霧の帳場』は、被害者手帳の写しを付録に載せたことで大きな話題を呼んだ。
なお、刊の『霧の渡船と三つの縄』は、事件のを民俗学的に説明しようとして学会から半ば黙殺されたが、古書店ではいまだに高値で取引されている。
映画・テレビ番組[編集]
映像化作品としては、の2時間ドラマ『川のない夜に』、のドキュメンタリー番組『未解決ファイル 特集・大井川』、および配給の映画『霧見橋の証人』が知られている[16]。いずれも霧表現に予算の大半を費やしたとされ、スタッフロールが本編より長いことで有名である。
特に『川のない夜に』では、犯人役の俳優が結び目の作法を毎回間違えたため、撮影監督が「むしろリアルだ」と判断してそのまま採用したという逸話が残る。もっとも、このエピソードは出演者本人が後年に否定している。
脚注[編集]
[1] 静岡県警察本部資料編纂室『大井川流域特別捜査報告書』1989年. [2] 山本一成『川霧と犯罪地理学』日本評論社, 1993年. [3] 田所博文『連続殺人事件における広域捜査の実務』立花書房, 1996年. [4] 村上恭介『山林台帳改変史』中央公論新社, 1992年. [5] Margaret A. Thornton, "River Fog and Witness Fragmentation", Journal of Forensic Geography, Vol. 12, No. 4, pp. 211-233. [6] 藤井浩司『静岡県下における未解決事件の再整理』警察時報社, 1990年. [7] 尾上千尋『旧式乗車札の識別と犯罪捜査』鉄道史研究, 第8巻第2号, pp. 44-59. [8] 佐伯邦彦『川霧の帳場』双葉社, 1994年. [9] 静岡地方裁判所刑事部『平成三年(わけではない)第18号事件記録』1991年. [10] 中村玲子『量刑判断と地形要因』法と現場, Vol. 5, No. 1, pp. 3-26. [11] 牧野志保『最終弁論の構造と霧の比喩』判例時報別冊, 1992年. [12] 静岡県観光政策課『川霧観光規制の経済効果』1993年. [13] 東京大学刑事政策研究班『自然条件が証拠価値に及ぼす影響』1998年. [14] 西園寺達也『東海地方の河川事件比較』名古屋大学出版会, 2001年. [15] 村瀬瑠璃子『大井川・七つの影』講談社, 1995年. [16] 日本映像資料協会『平成初期ドキュメンタリー番組総覧』2010年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 静岡県警察本部資料編纂室『大井川流域特別捜査報告書』1989年.
- ^ 山本一成『川霧と犯罪地理学』日本評論社, 1993年.
- ^ 田所博文『連続殺人事件における広域捜査の実務』立花書房, 1996年.
- ^ 村上恭介『山林台帳改変史』中央公論新社, 1992年.
- ^ Margaret A. Thornton, "River Fog and Witness Fragmentation", Journal of Forensic Geography, Vol. 12, No. 4, pp. 211-233.
- ^ 藤井浩司『静岡県下における未解決事件の再整理』警察時報社, 1990年.
- ^ 尾上千尋『旧式乗車札の識別と犯罪捜査』鉄道史研究, 第8巻第2号, pp. 44-59.
- ^ 佐伯邦彦『川霧の帳場』双葉社, 1994年.
- ^ 中村玲子『量刑判断と地形要因』法と現場, Vol. 5, No. 1, pp. 3-26.
- ^ 牧野志保『最終弁論の構造と霧の比喩』判例時報別冊, 1992年.
外部リンク
- 静岡県警察資料アーカイブ
- 川霧事件研究会
- 大井川流域民俗史データベース
- 霧中犯罪年表館
- 東海地方未解決事件編集室