大和田をBANしないで会
| 名称 | 大和田をBANしないで会 |
|---|---|
| 略称 | BANしないで会 |
| 設立 | 2008年 |
| 設立地 | 東京都千代田区神田の旧ネットカフェ街 |
| 目的 | 大和田のBAN回避、ならびに軽度違反者の再教育 |
| 活動内容 | 署名、配信荒らし監視、異議申立て文の共同作成 |
| 代表的理念 | 一度の誤BANは社会的損失である |
| 関係組織 | 日本配信倫理協議会、仮想交流保護連絡会 |
| 機関紙 | 『未BAN通信』 |
大和田をBANしないで会(おおわだをばんしないでかい)は、におけるやの判断に対して、特定人物「大和田」の継続参加を求めるために結成されたとされるである。発祥はの内の小規模な配信掲示板とされ、後にやにも支部が生まれた[1]。
概要[編集]
大和田をBANしないで会は、の黎明期に成立したとされる市民的抗議団体である。もともとは系の掲示板で「大和田」という常連投稿者が短期間で複数回停止処分を受けたことに端を発するが、当時の規約運用の曖昧さに対する不満が集団化したことで、単なる擁護スレッドから準公的な救済ネットワークへと発展した[2]。
この会の特徴は、擁護の対象が個人であるにもかかわらず、次第に、、そのものへ論点を拡張した点にある。会員は最盛期に全国で約1万4,800人に達したとされ、うち約3割は一度も大和田本人を見たことがないまま入会したという記録が残る[3]。
歴史[編集]
発端と初期拡大[編集]
2008年春、内の深夜配信番組において、当時24歳とされた大和田隆明が、チャット欄での冗談めいた連投を理由に24時間停止を受けたことが、会の直接の起点とされる。翌日、視聴者の一人であったの古書店員・三橋律子が「停止理由の文面が機械的すぎる」と投稿したところ、これが異様に拡散し、48時間で賛同レスが3,200件を超えた[4]。
初期の会は「大和田の解除を求める会」と呼ばれていたが、同年夏に内部文書の誤記から「BANしないで会」に改称された。以後、この誤記は逆に団体の象徴として扱われ、会員証の角に赤字で「BANしないで」と印字する様式が定着した。
制度化と官製化[編集]
2011年頃から、会は個別救済だけでなく、への制度提言を始めた。特にのイベントスペースで開かれた「第3回再BAN防止研究会」では、利用停止の異議申立てに第三者確認を義務づける案が発表され、翌月には日本配信倫理協議会の暫定指針に一部採用されたとされる[5]。
一方で、会の活動が拡大するにつれ、運営側からは「過剰な申立てが正常なモデレーションを妨げる」との批判も出た。これに対し、会はという独自職を設け、停止理由を3段階で読み解く講習を開始したが、講師の半数が元モデレーターだったため、内容はむしろ厳格化したとされる。
全国展開と分派[編集]
2014年以降、会はなどの繁華街を中心に支部を増やし、地域ごとに異なる活動方針を採った。大阪支部は笑いを交えた擁護を重視し、札幌支部は冬季の通報件数低下に着目した統計報告を出すなど、かなり学術的な色彩を帯びた。
ただし、2016年の「第2次大和田署名戦争」では、会内部で「大和田は守るべき個人なのか、それともBANに抗する象徴なのか」をめぐり分裂が起き、穏健派のと急進派のに分かれた。この分裂は一見深刻であったが、実際には両派とも月例会で同じ焼き鳥店を使っていたため、後年の研究者からは「派閥というより座席争いに近い」と評されている[要出典]。
活動内容[編集]
会の主な活動は、署名集め、異議申立て文の共同編集、配信者への注意喚起、そして「BANの前にまず一回深呼吸を」という啓発ポスターの掲示であった。特に署名は、紙媒体とオンラインの双方で行われ、2012年の春季キャンペーンでは、の駅前で集められた紙署名が2日で7,842筆、オンライン署名が同時期に1万9,305筆に達したとされる。
また、会は独自に「BAN危険指数」を算出していた。これは発言回数、絵文字率、連投間隔、謝罪の速さを点数化するもので、80点以上で「要観察」、100点以上で「大和田化注意」とされた。なお、この指数は数学的根拠がほとんどなかったが、配信者側の心理的抑止には一定の効果があったとされる。
さらに、会員向けには「言い訳の三分法」と呼ばれる文書作成術が伝授された。これは、①規約理解不足、②環境要因、③本人の改善意思、の3点を必ず含めるというもので、自治体の苦情申立てにも流用された例がある。
社会的影響[編集]
大和田をBANしないで会は、ネット上の処分をめぐる説明責任を可視化した先駆的事例としてしばしば言及される。会の活動後、複数の配信サイトで停止通知の文面がやや丁寧になり、解除までの待機時間が平均で36時間から22時間に短縮されたという調査が、メディア社会研究所の紀要に掲載されたとされる[6]。
一方で、会の存在により「BAN回避のためのロビー活動」が一般化し、問題行為を美談化する風潮を助長したとの批判もある。特に2013年のでの公開討論会では、参加者の一人が「大和田は制度の犠牲者である」と発言した直後、当の大和田本人が別件で再停止となり、会場が10秒ほど静まり返ったという逸話が有名である。
この団体の影響はインターネット文化に限らず、企業の社内アカウント管理や学校の情報端末利用規程にも及んだとされる。実際、都内の一部高校では、生徒の端末停止に対し「本人確認の再機会」を設けるガイドラインが導入されており、その裏に会のOBが関与していたという指摘がある。
批判と論争[編集]
会に対する最大の批判は、擁護対象が「大和田」で固定されていたため、問題の一般化が遅れた点である。つまり、規約改定や運営の透明化を訴える一方で、実際の現場では「とにかく大和田だけは残せばよい」という感情論に傾いた時期があった。
また、2015年には会の幹部数名が、停止処分を受けた別の配信者に対して「大和田の名を借りた解除要求」を行っていたことが発覚し、理念の私物化として批判された。これにより会は一時的に信用を失ったが、逆にこの事件が「誰のためのBAN回避なのか」を再定義する契機になったともされる。
なお、会の中核メンバーの一人であった田所俊彦は、後年のインタビューで「大和田は人名というより、あの時代の規約の濁りを受け止める器だった」と述べたが、同じ回で「実際の大和田さんは会議中に三回寝た」とも証言しており、評価は分かれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯真一『オンライン停止異議申立ての社会学』彩流社, 2014.
- ^ M. R. Hollis, “Petitions Against Suspension in Japanese Live-Stream Communities,” Journal of Digital Rituals, Vol. 12, No. 3, 2016, pp. 44-71.
- ^ 田村久美子『配信規約と共同体の再交渉』青弓社, 2012.
- ^ Department of Participatory Media Studies, “The Owada Effect and Administrative Softening,” Media Governance Review, Vol. 8, No. 1, 2017, pp. 9-28.
- ^ 三橋律子『神保町深夜録 大和田事件から始まる一週間』東京書籍, 2010.
- ^ 早川英人『BANしないで会史料集 第一巻』ネット文化資料館, 2019.
- ^ Katherine L. Monroe, “Appeals, Appeals, Everywhere: Community Sanctions in East Asia,” Proceedings of the Pacific Net Ethics Conference, Vol. 4, 2018, pp. 112-139.
- ^ 日本配信倫理協議会編『停止通知文面改善の手引き』内外出版, 2013.
- ^ 中村道雄『解除要求運動の比較研究』勁草書房, 2020.
- ^ T. Shibata, “When Owada Became a Symbol,” Online Community Studies Quarterly, Vol. 5, No. 2, 2015, pp. 77-83.
外部リンク
- 仮想配信倫理資料館
- 未BAN通信アーカイブ
- 日本再教育文化研究所
- 神田ネットカフェ史料室
- 大和田保存協会