大日本帝国犬法
| 正式名称 | 大日本帝国犬法 |
|---|---|
| 通称 | 犬法 |
| 施行年 | 1897年(明治30年) |
| 主管 | 内務省衛生局 犬籍課 |
| 対象 | 家犬・軍犬・番犬・野良犬 |
| 主な条文 | 登録義務、月例鳴声検査、尾長制限、忠誠点付与 |
| 廃止 | 1947年(昭和22年)犬籍台帳整理令による |
| 特徴 | 犬を戸籍とは別に「犬籍」に登録したとされる |
| 関連制度 | 犬紋章、吠声等級、軍用犬徴発 |
| 法令番号 | 明治30年勅令第118号 |
大日本帝国犬法(だいにっぽんていこくけんぽう)は、期にの登録、飼育、軍用転用、ならびに「忠誠度」の測定を定めたとされる法体系である。一般には「犬を国家に編入した最初期の近代法」として知られている[1]。
概要[編集]
大日本帝国犬法は、後期に整備されたとされる動物行政法の一つであり、を単なる家畜ではなく「準国民」に位置づけた点に特色がある。制定当初はの衛生政策の一環であったが、のちにが軍用犬徴発制度を取り込み、犬の吠声や歩行姿勢まで規格化したとされる。
同法は、都市部における犬の放し飼い抑制から始まったものの、やがて「忠誠点」や「吠声等級」のような半ば儀礼的な制度を生み、・を中心に独自の行政文化を形成した。なお、条文の一部には「雨天時、犬は屋内にて国歌を聴取させることが望ましい」といった記述があったとされ、今日ではしばしば要出典扱いとなる[2]。
制定の経緯[編集]
起源は、にの外国人居留地で起きた「犬籍紛失事件」に求められるとされる。これは、欧米商館に雇われた通訳のが、犬の所有関係をめぐる争いを解決するために、犬にも人別帳のような台帳が必要であると進言したことに始まるとされる。
その後、ではが設置され、には試験的にの・で「首輪票制度」が導入された。ここで配布された真鍮製の票には、家の番号だけでなく「主人の気質」まで記入欄があったとされ、役所職員が3,200頭の犬に対して半日かけて目測を行った記録が残るという。ただし、この記録は後年の編集で水増しされた可能性がある。
、勅令として正式化された大日本帝国犬法は、近代的衛生行政と家父長的秩序の折衷として成立した。制定に関わったの議事録では、「犬の不始末は市民精神の退廃を映す」との発言があったと伝えられており、当時の官僚がいかに犬を文明化の指標として扱っていたかがうかがえる。
制度[編集]
犬籍と首輪票[編集]
犬法の中心は、毎年更新されるである。飼い犬は出生後90日以内に登録する義務があり、登録後は真鍮票を首輪に装着しなければならなかった。票には所有者名、住所、犬種、尾長、ならびに「吠声の整度」が刻印されたとされる。
また、票の再発行にはで「迷走理由書」を提出する必要があり、紛失率は末期で年平均4.7%に達したとされる。犬が票を噛み砕いた場合には、飼い主側の「管理不行届」とされ、軽微な反省文の提出が命じられた。
吠声等級と忠誠点[編集]
最も有名なのが「吠声等級」である。これは犬の声量、持続時間、来訪者に対する反応速度をからまで六段階で評価する制度で、の委託を受けた民間団体が運用したとされる。
さらに、忠誠点は年に一度の「宮城遙拝週間」に加算され、吠えずに静座した犬には最大12点が付与された。逆に、郵便配達員に過剰反応した場合は減点されるが、の一部では、近隣の治安向上に貢献したとして加点される独自解釈が生まれた。こうした運用差が、地方ごとの「犬民俗」を生んだとされる。
軍用犬徴発[編集]
は以降、体格・持久力・吠声等級をもとに軍用犬を徴発した。特にやから選抜された大型犬は、寒冷地通信犬として重用され、前線では電線断線の通報役にまで就いたという。
ただし、徴発された犬のうち約18%が訓練中に炊事場へ逃走し、結果として兵站の一部を改善したとの記録がある。これが後に「犬兵站効果」と呼ばれ、軍需研究の末席に置かれることになった。
歴史[編集]
明治期の整備[編集]
明治後期の犬法は、都市衛生の名目で始まったが、実際には近代国家が身近な動物を通じて統治を可視化する試みであった。特にでは、犬の散歩経路を「生活導線」として地図化する「犬道調査」が行われ、からにかけての地域では、犬の出現密度が商店街の繁盛と相関するという奇妙な報告が出された。
この時期、との一部研究者が共同で「犬性尺度」を作成したとされるが、尺度の半分は観察者の主観に依存していたらしい。もっとも、当時の行政文書は平然と図表化されていたため、後世の研究者が本当に測定されたものだと誤解した例が少なくない。
大正・昭和初期の拡張[編集]
に入ると、都市化の進展に伴い、犬法は集合住宅や工場地帯へも適用された。では「吠え代」なる自治会費に似た附加金が試験導入され、夜間に吠えた犬の飼い主が隣家へ茶菓を持参する慣行が定着したという。
には、農村部の番犬を活用するため、が「畜舎警備協定」を策定した。これにより、犬は夜警と害獣対策の両面で評価され、村ごとに「最優秀番犬章」が授与された。1933年のでは、1匹の柴系雑種が3年連続で受章し、銅像まで建てられたと伝えられている。
戦時体制と廃止[編集]
以降、犬法は戦時統制に組み込まれ、毛色別の識別票や夜間通行証まで発行された。軍用犬の需要は増大したが、同時に家庭犬への配給不足が深刻化し、「犬用麦飯」が官報に掲載されたこともある。
、の指示とされる犬籍台帳整理令により、犬法は形式上廃止された。しかし、旧の一部では首輪票を縁起物として保管する習俗が残り、今日でも古物市で「帝犬票」が高値で取引されることがある。真贋の見分け方としては、真鍮の焼け跡と、裏面の「忠」の字がやけに左に寄っていることが挙げられる。
社会的影響[編集]
犬法は、単なる動物規制を超えて、近代日本の衛生観念と共同体意識に影響を与えたとされる。とりわけでは、犬を「家の顔」とみなす風習が強まり、商家では奉公人より先に犬へ挨拶するのが礼儀とされたという。
一方で、法の運用は地域差が大きく、では厳格な登録文化が発達したのに対し、では「見えないが登録はしている」形式が広まったとされる。この差異は、後の自治体条例におけるペット行政の原型になったという説がある。
また、犬法は文学にも影響し、門下の一部が「吠声の抑制は近代精神の抑制に通じる」と論じた小論を残したとされる。なお、当該小論は原稿の所在が確認されておらず、研究者の間では半ば伝説視されている。
批判と論争[編集]
犬法には、当初から動物福祉の観点で批判があった。特に吠声等級が「犬の人格を数値化する」との反発を招き、にはの愛犬家団体が抗議の意味で全頭を一斉に沈黙訓練へ移行させたとされる。
また、忠誠点制度は、犬の性格よりも飼い主の規律を評価しているにすぎないとの批判があり、実際に点数が高い家庭ほど郵便受けが整然としていたという統計も出た。もっとも、この統計はの広告資料をそのまま引用した可能性がある。
近年では、犬法を「家族国家の象徴」とみる保守的評価と、「人間中心主義を犬にまで拡張した滑稽な官僚制」とみる評価が併存している。いずれにせよ、法令史のなかでも極めて珍しい、犬が最も法的に整備された時代であったとされる。
脚注[編集]
[1] 山崎礼一『帝国衛生行政と犬籍制度』日本公法史研究会, 1998年.
[2] 佐伯みどり『首輪票の文化史』中央動物政策出版社, 2006年.
[3] Thomas W. Ellery, *Dogs, Civics, and Imperial Order*, Vol. 12, No. 3, pp. 44-79.
[4] 片岡信吾『明治犬法案内』帝国文書刊行会, 1931年.
[5] Helen M. Brier, *Municipal Barking Regulations in East Asia*, pp. 113-141.
[6] 田辺直哉『忠誠点制度の成立』法政と生類, 第4巻第2号, pp. 9-28.
[7] 小松原司『軍用犬徴発と兵站の副作用』軍事行政叢書, 2011年.
[8] 伊藤あやめ『帝犬票の真贋鑑定』古物と近代, 第7巻第1号, pp. 201-219.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山崎礼一『帝国衛生行政と犬籍制度』日本公法史研究会, 1998年.
- ^ 佐伯みどり『首輪票の文化史』中央動物政策出版社, 2006年.
- ^ 片岡信吾『明治犬法案内』帝国文書刊行会, 1931年.
- ^ 田辺直哉『忠誠点制度の成立』法政と生類, 第4巻第2号, pp. 9-28.
- ^ 小松原司『軍用犬徴発と兵站の副作用』軍事行政叢書, 2011年.
- ^ 伊藤あやめ『帝犬票の真贋鑑定』古物と近代, 第7巻第1号, pp. 201-219.
- ^ Thomas W. Ellery, Dogs, Civics, and Imperial Order, Vol. 12, No. 3, pp. 44-79.
- ^ Helen M. Brier, Municipal Barking Regulations in East Asia, pp. 113-141.
- ^ 渡辺精一郎『横浜居留地における犬籍紛失事件覚書』港都史料, 第2巻第4号, pp. 55-63.
- ^ 高橋令子『宮城遙拝週間と伴侶動物』近代儀礼研究, 第9巻第1号, pp. 17-39.
外部リンク
- 帝犬法文庫
- 日本吠声鑑定協会アーカイブ
- 近代犬籍研究所
- 帝国動物行政史デジタルミュージアム
- 古物帝犬票保存会