宿題の民主主義
| 名称 | 宿題の民主主義 |
|---|---|
| 英名 | Homework Democracy |
| 成立 | 1958年頃とされる |
| 提唱者 | アーネスト・K・フェアチャイルド、佐伯澄江ほか |
| 対象 | 初等教育から前期中等教育まで |
| 主な方式 | 票決制、輪番制、公開レビュー制 |
| 関連機関 | 国際家庭学習憲章委員会 |
| 影響 | 宿題時間の平準化、家庭内合意形成の制度化 |
宿題の民主主義(しゅくだいのみんしゅしゅぎ、英: Homework Democracy)は、家庭学習における課題配分を学習者・保護者・教師の三者で合意形成するという教育制度の総称である。主に後半の教育改革を起点に発展したとされるが、実際にはの私立校で行われていた「提出順抽選制」が源流であるともいわれる[1]。
概要[編集]
宿題の民主主義とは、宿題の量・難易度・提出期限を一方的に教師が決めるのではなく、児童生徒の投票や保護者代表の協議を通じて決定する制度である。形式上は教育参加の拡張とされるが、実務上は「誰が最も静かに反対するか」を可視化する装置として発展したと指摘されている[2]。
この制度は、の地方教育委員会で整備されたという通説と、の進学塾が試験運用した「宿題評議会」が最初であったという異説が併存している。いずれの説でも、導入初年度に算数プリントの枚数が平均で14.2枚から9.8枚へ減少し、その代わりに家庭会議の時間が週あたり37分増加したと記録されている[3]。
歴史[編集]
前史[編集]
起源は、下京区の私立白雲学院で行われた「宿題くじ」にさかのぼるとされる。これは、当日の宿題を学級委員が抽選で一人ずつ読み上げ、外れた者ほど提出期限が延びるという奇妙な慣行で、戦後の紙不足に対する倹約策であったという[4]。
この慣行を視察した教育行政官は、宿題を配る権限が教員に集中していることが家庭内摩擦の原因であると考え、に「宿題の配分に関する意見聴取」を提案した。なお、この提案書の末尾にはなぜか、児童が好む色として「薄緑、焦げ茶、群青」の三色が列挙されていた。
制度化[編集]
制度としての確立は、で開かれた「家庭学習の公共性に関する国際会議」において、米国教育学者が「Homework should be negotiated, not assigned」と演説したことに求められる。翌年、準拠文書とされる『家庭学習と参与の憲章』が採択され、宿題を「学習者の権利章典の一部」とみなす解釈が広まった[5]。
ただし、初期の運用はきわめて不安定であった。たとえばの内12校の試験導入では、4年生が「英単語10個」をめぐって7回の再投票を行い、最終的に「英単語7個、ただし“banana”は除外」という議決に落ち着いた記録がある。これが後に「バナナ除外条項」と呼ばれるようになる。
国際的拡大[編集]
には、、へと広がり、各国で独自の変形が生まれた。フィンランドでは宿題の量を児童が指名投票で決める「静穏多数派方式」が採用され、オーストラリアでは保護者の発言力が強すぎて、実質的に宿題が「翌日までの読書感想文1行」に固定されたとされる[6]。
にはの教育研究所が「宿題の民主主義指数」を発表し、宿題1件あたりの協議回数、家庭内沈黙時間、鉛筆の消費量を総合評価した。この指数は最大100点で、85点以上の学校では保護者の満足度が上がる一方、児童の「もうどうでもいい率」も比例して上昇したという。
制度の仕組み[編集]
宿題の民主主義の基本単位は「課題案」である。教師が提示した複数案について、学級内投票、保護者代表評議、必要に応じて校長裁定の三段階で決定される。票は通常、丸シール・挙手・秘密投票のいずれかで行われるが、以降は「沈黙の同意」も一票として扱う自治体が増えた[7]。
実際の運用では、宿題の量よりも形式の交渉が重要になることが多い。たとえば作文課題は「400字以上」ではなく「“だいたい”400字」という曖昧な表現に改められ、理科の観察記録は「翌朝まで」から「朝食前に気づいた範囲」と変更された。これにより、提出物の整合性は上がったが、採点の難度は平均で23%上昇したとされる。
なお、制度の根幹には「拒否権を持つが、拒否した者が代替案を出す」という原則がある。このため、最も積極的に拒否権を行使する児童は、しばしば最も面倒な代替案を背負うことになり、制度設計者たちはこれを「参加の教育効果」と呼んだ。
社会的影響[編集]
宿題の民主主義は、家庭内コミュニケーションの改善に寄与したと評価される一方で、「夕食後に議事進行表を読む家庭が増えた」との批判もあった。特にのでは、宿題をめぐる家庭会議が長引きすぎて、児童が就寝前に議長、書記、採決係を兼任する事例が相次いだ[8]。
また、教育現場においては、教師の裁量権を奪うものではなく「裁量を見える化する儀式」であるとの解釈が定着した。ある校長は「民主主義とは、宿題が少なくなることではない。少なく見せるために、みんなで同意書を書くことである」と述べたとされ、教育雑誌で小さく話題になった。
一方で、宿題の民主主義が過度に進んだ地域では、漢字練習帳の巻末に「反対意見欄」が設けられ、児童が『画数が多い』と記したところ、翌週から筆順そのものが住民投票に付された例がある。これは制度の到達点であると同時に、終着点でもあった。
批判と論争[編集]
批判の多くは、学習効果よりも会議コストの肥大化に向けられた。とくにの教育学会では、宿題の民主主義は「家庭の平和を装った小型議会制」であるとする報告が提出され、会場の一部で拍手が起きた[9]。
また、制度の透明性をめぐっては、投票結果が毎回同じ生徒に有利に働く「静かな多数派バイアス」が問題視された。さらに、保護者の学歴が高い家庭ほど代替案の文面が長くなる傾向があり、最終的に宿題が「課題」ではなく「意見書」へ変質したとの指摘もある。
もっとも、擁護派はこうした批判を「民主主義の副作用」として受け止めた。彼らによれば、子どもが宿題を嫌うのは自然であり、その嫌悪を制度として管理することこそ教育の成熟であるという。
主要人物[編集]
制度の普及には、複数の人物が関わったとされる。フェアチャイルドは理論面を、佐伯澄江は行政実務を整え、は宿題投票用の「赤・青・黄」三色票札を考案した[10]。また、の教諭は、児童が宿題案を互いに修正し合う「相互改稿制」を導入し、提出物が最終的に3倍の厚さになったことで知られる。
これらの人物はしばしば「宿題の三原則」を掲げたとされる。すなわち、第一に課題は見えること、第二に異論は紙に書かれること、第三に最後に残った者が消しゴムを集めることである。第三原則は半ば冗談として語られたが、なぜか多くの学校で定着した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯澄江『家庭学習と参与の制度史』東都教育出版, 1964.
- ^ A. K. Fairchild, "Negotiated Homework and Civic Formation", Journal of Comparative Pedagogy, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1960.
- ^ 山岸正彦『宿題合意形成論』みすず学術書房, 1978.
- ^ Elena Volkova, "Colored Tokens in Primary-Class Voting Systems", Scandinavian Review of Education, Vol. 8, No. 1, pp. 5-19, 1972.
- ^ 国際家庭学習憲章委員会編『家庭学習と参与の憲章』第2版, ジュネーブ文書局, 1961.
- ^ 中村久志『学級自治と宿題配分の実証研究』教育社会学会紀要, 第17巻第2号, pp. 113-129, 1987.
- ^ Margaret L. Hargrove, "Silent Consent and the Rise of Homework Deliberation", Educational Governance Quarterly, Vol. 21, No. 4, pp. 201-230, 1989.
- ^ 佐伯澄江『薄緑・焦げ茶・群青の教育心理』白鴎社, 1951.
- ^ The Copenhagen Proceedings on Domestic Learning, Vol. 1, pp. 3-88, Nordic Institute Press, 1959.
- ^ 田所一雄『民主主義と宿題のあいだ』岩波書店, 1993.
- ^ Peter J. Millburn, "Homework Ballots and the Banana Clause", International Journal of School Rituals, Vol. 5, No. 2, pp. 77-96, 1995.
外部リンク
- 国際家庭学習史研究会
- 宿題評議会アーカイブ
- 北欧教育儀礼資料館
- 家庭学習民主化推進協議会
- 白雲学院校史室