富間田堵麻美
| 名称 | 富間田堵麻美 |
|---|---|
| 読み | とまたどうまみ |
| 英語表記 | Tomatada Domami |
| 分野 | 都市測位理論、記憶地図学 |
| 提唱時期 | 1968年頃 |
| 提唱地 | 東京都港区三田周辺 |
| 主要機関 | 東京地形記憶研究会 |
| 関連現象 | 反復路線、遅延式方位補正 |
| 代表的記号 | 三段折り・8拍子・赤線補助 |
| 通称 | 富間田式 |
富間田堵麻美(とまたどうまみ)は、後期に提唱されたの都市測位理論、およびそれを応用した位置記憶符号化の総称である。特にを中心に普及し、のちに系の民間研究会で再評価された[1]。
概要[編集]
富間田堵麻美は、都市内で道順を覚える際に、実際の地理ではなく「記憶上の曲がり角」を基準にして経路を再構成するための理論である。実務上は、迷いやすい路地、地下通路、再開発区域の境界をひとつの連続した認知地図として扱う技法として説明されることが多い。
この理論は、当初はの港区周辺で、再開発に伴う道路付け替えと郵便配達の混乱を整理するために考案されたとされる。ただし、初期の文献には「理論」と「習慣」の区別が曖昧なものも多く、のちに研究者のが、これを半ば数理化して現在の形に整えたとされている[2]。
成立史[編集]
三田の紙地図事件[編集]
起源として最も有名なのは、に三田で起きたとされる「紙地図事件」である。区画整理のために同一の丁目が三度貼り替えられ、配達員のが一日で17回も同じ坂を上り下りしたことから、彼が「地図は土地を写すのではなく、歩いた順を写すべきだ」と述べたのが始まりとされる。
この証言は後年になってから採録されたもので、当時のの勤務記録と一部矛盾するが、逆にそれが「富間田堵麻美」の信憑性を高めたともいわれる。なお、山根が実在したかどうかについては資料ごとに食い違いがある[3]。
東京地形記憶研究会の編纂[編集]
、近くの貸会議室で、が非公式に発足した。中心人物は地形学者の、臨床心理士の、および元鉄道職員のであり、三者は「人間は地図を見ているのではなく、角を数えている」とする仮説をまとめた。
同会は毎月第2土曜に集まり、との乗り換えを題材に、記憶のずれを8拍子で記録したという。ここで用いられた拍節法が、後の富間田堵麻美の象徴的要素となった[4]。
理論[編集]
富間田堵麻美の中核は、経路を「実線」ではなく「補助線の束」として扱う点にある。利用者は、目的地までの道順を三段階で思い出し、最後に型の折り返しを加えることで、誤差を最小化できるとされる。
また、理論では「到着前の不安」を方位の一部として算入することが推奨される。これはの実験で、被験者42名中31名が、案内標識よりも「コンビニの匂い」や「工事音」を頼りに正答率を上げたことから導かれた。もっとも、この実験は被験者の半数が昼食後であったため、統計的にはやや疑わしいと指摘されている[5]。
実践と普及[編集]
に入ると、富間田堵麻美は配達業務、観光案内、塾講師の帰宅経路などに応用され、特にの雑居ビル群で高い効果を示したとされる。中でも、ビルの1階が2階に見える現象を「逆層エレベータ効果」と呼ぶ俗説が流行し、若年層の間では「富間田で覚える」といえば、実際の地図より先に待合室の椅子の数を数えることを意味した。
一方で、系の地図教育担当者の一部は、これを「実用に見えるが再現性の低い都市遊戯」と評した。しかし、にで実施された路地案内実験では、富間田式を用いた班が通常班より平均で2分18秒早く集合地点に到達したとされ、以後、商店街のイベント運営にも採用された[6]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、富間田堵麻美があまりに「後からなら説明できる」構造を持っている点にあった。地図学者のは、1989年の論文で「この理論は迷子の体験を整理しているのではなく、迷子であったことを正当化している」と述べたとされる。
また、同理論の愛好家の間で、経路を3回以上折り返すと運気が上がるという俗信が広がり、の一部では、商店街の誘導表示が過剰に曲線化される事態が発生した。これは後に「富間田化」と呼ばれ、街区の可読性を損ねるとして問題視された[7]。
文化的影響[編集]
富間田堵麻美は、都市生活における「覚えにくさ」を肯定した点で、単なる経路理論を超えて受容された。特にの情報誌では、これを「見知らぬ街を自分のものにするための暗号」と評し、女性向け旅行特集や受験生向けの参考書にまで引用例が広がった。
さらに、にはの喫茶店で「富間田パンケーキ」と呼ばれる、層をわざとずらして焼く菓子が考案され、食文化にまで派生したという。もっとも、これは当時のメニュー表が手書きで読みにくく、後世の編集者が誤読しただけという説もある[8]。
現在の評価[編集]
現在では、富間田堵麻美は実用理論というより、再開発の時代に生まれた都市記憶の民俗学として扱われることが多い。大学ではやの補助教材として紹介されることがあり、特に「地図にない角をどう扱うか」という問いの導入事例として重宝されている。
ただし、学術的に厳密な再現研究は少なく、近年のレビューでも「概念の中心にあるのは測位ではなく、迷いの美学である」とまとめられている。一方で、の古い商店街では今も、雨の日に道を聞かれた店主が「富間田で行けば早い」と答える光景が見られるという[9]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯和行『都市測位における補助線の役割』東京地形記憶研究所紀要 第12巻第3号, pp. 41-68, 1978.
- ^ 倉持茂雄『港区三田における反復路線の観察』日本認知地理学会誌 Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 1972.
- ^ 大河内澄子『記憶の折り返しと都市不安』心理地図研究 第5巻第1号, pp. 9-24, 1975.
- ^ 平野辰夫『駅前から二度目の右折まで』交通文化評論 第18巻第4号, pp. 201-219, 1981.
- ^ 中西一平『富間田堵麻美批判序説』地理思想 第9巻第6号, pp. 77-95, 1989.
- ^ 山根義之『郵便配達員のための迷路学入門』港南実務出版, 1970.
- ^ Margaret H. Thornton, “The Eight-Beat Orientation Problem in Urban Memory,” Journal of Synthetic Cartography, Vol. 14, No. 1, pp. 3-19, 1984.
- ^ Kenji Morita and Elise Rowan, “Wayfinding by Unstable Corners,” Proceedings of the International Symposium on Cognitive Maps, pp. 88-104, 1991.
- ^ 鈴木啓介『再開発と方位感覚の民俗誌』都市文化叢書, 1996.
- ^ 田所洋一『富間田式案内図の作法』観光教育評論社, 2002.
- ^ Hiroko Aida, “Memorized Streets and the Problem of Return,” Urban Semiotics Review, Vol. 3, No. 4, pp. 155-171, 2005.
外部リンク
- 東京地形記憶研究会アーカイブ
- 港区都市記憶資料室
- 日本認知地理学フォーラム
- 富間田堵麻美研究年報
- 路地補助線データベース