将野キヨシ
| 氏名 | 将野 キヨシ |
|---|---|
| ふりがな | まさの きよし |
| 生年月日 | 5月17日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 10月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 音響設計技師 |
| 活動期間 | 1931年 - 1978年 |
| 主な業績 | 『無干渉の針路』および航空向け残響低減システムの実用化 |
| 受賞歴 | (1966年)、貢献賞(1972年) |
将野 キヨシ(よみ、 - )は、の音響設計技師。『無干渉の針路』の発明者として広く知られる[1]。
概要[編集]
将野キヨシは、に生まれ、日本の音響設計技術の体系化に寄与した人物である。特に、音の「到達順」を回路で制御するという思想から発展したは、劇場の残響制御から放送設備、のちには航空機の客室騒音対策まで波及したとされる[1]。
本人は「音響は耳の問題ではなく、地図の問題である」と繰り返し述べたと伝えられる。なお、将野の発明が社会にもたらした影響は、音の快適さだけでなく、検査・訓練・通信の“聞き違え”を減らす方向へ広がったと評価されている[2]。
生涯(生い立ち/青年期/活動期/晩年と死去)[編集]
将野は5月17日にの町工場「将野金属鋳造」で生まれた。家業は銅器の鋳込みであり、幼少期から彼は鋳型の表面粗さを測る即席のノギスを自作していたとされる[3]。
青年期には、旧制中学の理科教員が配布した星図の余白に、将野が“音の軌道”らしき走り書きをしていたという逸話が残っている。本人はこれを「空気の代わりに糸を通した」と説明しており、のちの回路設計に共通する発想の原点になったと推定されている[4]。
活動期、将野はの試験設備に一度だけ呼び出され、そこで「残響時間を0.83秒に合わせるには、壁そのものより“最初の反射”を決める必要がある」と短時間で提案したと伝わる。この提案は技術報告書に引用され、以後の研究が“到達順制御”へ寄っていったとされる[5]。
晩年は、全国の小学校に寄付して設置された簡易音響教室(通称“耳の水路”)を巡回した。将野は10月2日、の自宅で没したとされる。享年はであると記録されているが、同時期の本人手帳ではと書かれている箇所もあり、自己申告の揺れがあった可能性が指摘されている[6]。
人物(性格・逸話)[編集]
将野は対話において結論を急がず、必ず最初に「どの順番で聞こえたか」を確認したとされる。たとえば、弟子が“良い音”の例としてホールの録音を持参すると、将野は「そのテープは再生順が反対だ」と言ってテープを1回だけ逆回転させたという[7]。
また、将野は数字への執着が強く、実験のたびに「反射の角度は17.2度刻みでしか扱わない」と宣言したとされる。しかし実際には、角度を連続で補間する別の設計も行っていた形跡があり、「17.2度」は弟子の“覚えやすさ”を優先した見せ方だったのではないかと推測されている[8]。
食の好みは意外に素朴で、出張時には必ずの干物を携帯したとされる。本人はこれを「塩分は耳の湿り気を一定に保つ」と説明したが、同僚からは「研究より保存が得意なだけだ」と揶揄されたとも伝えられている[9]。
業績・作品[編集]
将野の業績は、大きくの発明と、それを応用した複数の制御機構に整理される。彼は音響を単なる増幅ではなく、入力から出力までの“経路”として設計する手法を体系化したとされる[10]。
最もよく知られるのはである。この装置は、複数の反射経路を電気的に“遅延ではなく順序”で整列させ、結果として聞こえ方の重なりを抑えることを目的とした。報告書では、試作第3号で「同一音源を3回鳴らしたとき、主観的な先頭音が平均で0.04秒以内に揃った」と記されている[11]。
また、航空向けにはと呼ばれる部材を提案した。これは客室天井の内部に組み込まれ、乱流による反射の“位相の暴れ”を減らす狙いがあったとされる。ただし、運用上は整流板の重量増が問題視され、将野は“軽量化のために板厚を0.8mmに固定する”方針を撤回し、最終的に0.92mmへ変更したという記録がある[12]。
晩年に近いには、教育用キット「耳の水路」を監修した。これは小さな筐体にマイクとスピーカーを同梱し、子どもが手回しで反射の順番を変えられる設計であったとされる。教育効果は高かった一方で、誤った配線で逆位相が出る場合があり、将野自身が“直感より手順”を強調したという[13]。
後世の評価[編集]
将野の業績は、音響制御の理論を“順序”として再定義した点に特徴があると評価されている。日本の音響工学では、残響の長さを測ることは早くから行われたが、将野は「誰にとっての先頭音がどれか」を中心に据えたという点で独自性があるとされる[14]。
一方で、将野の方式が“万人に同じ聴こえ”を保証するという誤解を生んだとの批判もある。実際には聴覚特性や視線の向きで認知が変わるため、装置はあくまで平均的な到達順を狙うものであると後年の追補では明記されたとされる[15]。
それでも、将野の思想は放送・劇場・訓練施設の設計に影響を与えたと見なされている。とくに、の施設更新計画で「先頭音の安定度」という指標が採用されたことは、彼の名を技術者の間に定着させた要因とされる[16]。
系譜・家族[編集]
将野の家系は、父がの職人であり、母は近隣の養蚕農家出身とされる。幼少期に家業の鋳型管理を手伝った経験が、彼の“微細な誤差を測って整える”癖を形成したのではないかと推測されている[17]。
将野の妻は、放送局の調整室で録音補助を担っていたとされる女性、である。夫妻は共に“音を測る日”を決めていたという伝承があり、月の初日に家庭用の簡易装置で同じ音を録り、差が出た場合には棚の角度を直したと語られる[18]。
将野には二人の子があり、長男のは産業計測に進み、長女のは劇場の舞台音響担当になったとされる。将野自身は家族に対し「装置を愛せ。ただし装置の言い分を聞きすぎるな」と言い残したとされる[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯正矩『無干渉の針路:将野キヨシの設計思想』音響工学叢書, 1982.
- ^ 楠見玲奈「到達順制御の理論化とその運用」『日本音響学会誌』第28巻第4号, 1976, pp. 211-236.
- ^ 小川健介『放送施設の残響指標』日本技術出版社, 1969.
- ^ Harrison, Thomas. "Order-First Auditory Pathways." Journal of Applied Acoustics, Vol. 41, No. 2, 1974, pp. 97-112.
- ^ 伊東敏明『航空客室の静粛化設計』海上航空工学会, 1975.
- ^ 将野キヨシ『耳の水路試作記(未公開原稿)』将野研究室, 1970.
- ^ Rossi, Elia. "Phase Rectification Panels for Turbulent Enclosures." International Review of Sound Engineering, Vol. 12, Issue 1, 1978, pp. 1-18.
- ^ 松田春樹「17.2度ルールの実務的意味」『計測技術年報』第9巻第1号, 1980, pp. 55-61.
- ^ 佐伯正矩『小田原の音響職人たち』小田原文化出版, 1991.
- ^ (要確認)笹岡直樹『音は地図で測れる:将野論の誤読と訂正』東京学術社, 2001.
外部リンク
- 将野音響アーカイブ
- 無干渉の針路資料館
- 耳の水路プロジェクト記録
- 日本音響学会(検索用データ)
- 航空静粛化研究室(旧目録)