小場
| 分野 | 都市・民俗・知識史 |
|---|---|
| 体系 | 場の記述学(Kobology)と呼ばれることがある |
| 主な用法 | 地名・呼称・制度名への接頭/接尾 |
| 発生時期(仮説) | 江戸期後半(諸説) |
| 関連概念 | 小場地図/小場帳/境界踊り |
| 代表的な手法 | 短距離行動観測と口承記録の併用 |
小場(こば)は、で用いられる語で、主に「局所的な場(ば)」を指す呼称として解釈されてきた。都市計画や民俗観察の周辺領域で特に用いられたとされるが、語源は複数の流派に分かれている[1]。
概要[編集]
は、単なる「小さな場所」という意味以上のものとして扱われることがある語である。特定の共同行為(荷役・市・祭礼・講など)が反復される“局所のふるまい圏”を指し、視認可能な境界線ではなく「人の流れの癖」で区分する考え方が付随しているとされる。
この呼称は、近世の村落における細かな生活圏の観察記録が、やがて記述の様式(帳面・図式・口承)へと整理されていく過程で広がったと説明される。一方で、同じ語が地名として残る地域もあり、地名由来か学術的用法由来かで解釈が割れている点が特徴である。
学術文献ではは「場の縮尺が極端に小さいほど規範が強くなる」性質を持つ概念として記述されることが多い。実務では、を単位にした避難動線の“癖”の把握、あるいは商いの回り方の再現に応用されたとされる。ただし、この応用が実際にどこまで有効だったかについては、後述のように批判も存在する[2]。
歴史[編集]
語源と成立:『小さく刻む』技術としての小場[編集]
語源については、最初期の説として「小場=小さく刻まれた場」という語義が挙げられることがある。江戸後期、岡山藩の検地技術が余剰になった結果、測量具の校正が“人の歩幅”を基準に行われるようになった、という説明があるのはそのためである。この話では、藩の役人が「田畑の境界は正確に書けるが、祭礼の境目は書けない」として、歩行の反復回数を数える帳面を作ったことが起点とされる。
この帳面は『小場帳』と呼ばれ、ある写本では「同一人が同一道筋を反復する回数」を刻みで記録したとされる[3]。ただし写本の筆跡が複数確認されており、実際には測量係と、口承を集める講談師が共同で編集した可能性が指摘されている。なお、この“回数”の単位が、のちに「小場の強度」を表す数式として再利用されたとされる点が、歴史叙述としては妙に説得力を持つ。
また、長崎の港湾記録では、荷役の作業場を「人が迷わない長さ」として定義し、該当する範囲を勝手にと呼ぶ癖が共有されたという。ここでは小場が地理ではなく行動の規格として扱われたと説明される。後代の研究者は「小場という語が、行政と芸能の両方の語彙にまたがった」ことが普及の決定打だったと述べている[4]。
制度化:都市改造と『境界踊り』の流行[編集]
明治期以降になると、は“制度の単位”へと近づいたとされる。特に周辺では、道路拡幅の際に「拡幅される前の人の迂回癖」を損なわないよう、仮設の通り道を配置する実験が行われたとする記録がある。この実験を主導したのは、の技術官として知られる(架空の官名としても研究史で語られる人物)で、通路を「小場格子」で区分したとされる。
その際に提案されたのが、通行者の移動を“踊り”として観測する手法である。これがと呼ばれ、交差点の手前で足が止まる角度、次の一歩の長さ、視線の滞留秒数などを、実に細かい数字で記録したとされる。たとえば『小場格子要録』では、観測は「一人につき秒以内」「足踏みは回までを標準」といった“上限”が設けられたと書かれている[5]。
もっとも、この制度化には副作用もあった。短期間で統計が集まるため、役所が「踊りを矯正すれば通行が改善する」と早合点し、住民の動作に介入し始めたと批判されるのである。結果として、一部の地域では通行が不自然に整い、逆に商売の回遊性が落ちたともされる。ここに概念の社会的影響の“甘さ”がにじむと指摘される。
現代への残響:小場地図と民間の記述競争[編集]
大正から昭和にかけて、は学術よりも民間の記述競争の中で生き残ったとされる。戦後、復興の現場で「誰がどこに集まり、どこで口論し、どこで笑いが起きるか」を素早く把握する必要があったため、調査票ではなく、紙の地図に“癖”を描く文化が広がった。これがである。
は、国土地理院の正式な地図記号とは別に、誰が見てもわかる抽象記号が採用されたとされる。たとえば“渋滞しないが揉める場所”には黄色の円ではなく「半径メートルの楕円」が置かれた、という具体例がある[6]。この楕円の意味は、作成者によって異なり、後から追記された赤字の注釈によって統一されていったという。
一方で、情報が個人の癖に依存するため、地図の価値が議論となった。記述者の間では「小場を正確に描ける人ほど、観測者の権威が強い」という暗黙の序列が生まれたとされる。結果としては“社会の見方”を作る技術として残りつつ、同時に「誰の癖が正しいのか」という問いを内包する概念にもなったとまとめられている[7]。
批判と論争[編集]
研究は、実測に強いように見えながら、実際には記述の恣意性が免れないと批判されてきた。特にのような手法は、観測者が意図的に「止まるべき地点」を決め、結果として住民の行動が矯正されてしまう可能性が指摘されたのである。
また、数値化の過程で“切り捨て”が起こったともされる。たとえば『小場格子要録』では足踏み回数が回を標準としていたが、ある再調査では標準より倍以上の回数を行う群が確認されたとされる[8]。この群が「例外」で片づけられたのか、「標準がそもそも誤っていた」のかについては、当時の記録が複数の編集によって改変された疑いがある。
さらに、地名としてのが存在する地域では、概念の由来が学術ではなく土地の歴史にある可能性があると主張され、逆に学術側は「地名が概念を後追いした」と反論したとされる。ここに“後から意味がつく”現象の問題があり、記述学としての評価は分かれた。なお、笑い話としては、ある地方議会で「小場の半径がメートル以上なら税収が増える」と真顔で提案された結果、公式議事録にだけ数字が残り、後に誰も説明できなかったという逸話が伝えられている[9]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『場の縮尺論 小場帳の系譜』博文館, 1913.
- ^ Hiroshi Tanaka『Micro-Field Narratives in Late Edo Administration』Journal of Spatial Anecdotes, Vol.12 No.3, pp.41-58, 1998.
- ^ 【小場】研究会『小場格子要録の復元』東京学芸出版, 1957.
- ^ Margaret A. Thornton『Boundary Dance and Administrative Memory』Urban Folklore Review, Vol.7 No.1, pp.9-27, 2006.
- ^ 鈴木正和『回遊性と観測の倫理:小場地図の再検討』建設史叢書, 第4巻第2号, pp.110-134, 1972.
- ^ K. van der Meulen『Cartographic Habits of the Commons』Proceedings of the International Society for Quirky Mapping, Vol.2, pp.77-96, 2011.
- ^ 小林円之介『記述競争としての民間地図文化』中央地図学院出版, 1939.
- ^ 伊藤清蔵『港の口論と作業場の癖 長崎記録の読み替え』海事社会学会紀要, 第19巻第1号, pp.201-226, 1944.
- ^ 田中雄一『小場の強度:再調査報告(要出典)』地方技術年報, Vol.33, pp.5-19, 1986.
- ^ マリア・エルナンデス『When Numbers Become Rules: The Policy After the Walk』Osaka Academic Press, 2015.
外部リンク
- 小場地図アーカイブ
- 境界踊り映像記録庫
- 場の記述学・研究会
- 小場帳写本データベース
- 都市改造と民俗の相互参照