山珍走
| 読み | やまちんそう |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1893年 |
| 創始者 | 渡辺精一郎(尾道測候所技師) |
| 競技形式 | 標高差を用いた周回縦走(得点制) |
| 主要技術 | 『珍足(ちんそく)』と呼ばれる脚運び・呼吸同期 |
| オリンピック | 正式競技(提案段階で採用が確定したとされる) |
山珍走(やまちんそう、英: Yamachin Run)は、で生まれたのスポーツ競技である[1]。
概要[編集]
は、登山道に近い起伏あるコースを周回し、通過した地形の“珍しさ”に応じて得点が付与される競技である。
競技者は一定区間ごとに設置された「匂い標(においひょう)」と呼ばれる計測マーカーの前で立ち止まり、短い所作(合図動作)を行うことが求められる。所作はタイムを削るほど不利であるため、単なる持久走ではなく、判断と身体操作の両方が重視される。
山岳地域の文化行事と結び付いて発展した競技として知られ、地方の“食と伝承”に関する小物が用具体系へ取り込まれた点が特徴とされる。
歴史[編集]
起源[編集]
山珍走の起源は、の海霧が測定不能になるたびに、気象観測が遅延していたことにあるとされる。1893年、尾道測候所技師のは、霧中の観測を補うため、山腹から順に潮の匂いが変わる区間を“人間のセンサー”として辿る計画を立てた。
この計画は最初、測候所員の訓練として「山の珍(めずら)を走って数える」と呼ばれ、のちに“山珍走”へと短縮されたとされる。とくに、珍しい地形の手前で呼吸を止め、吸気の温度差を舌で確かめるとする珍足理論が、のちの技術体系へ直結したと推定されている。
さらに、合図動作の元になったのは、観測簿に貼る「臨時メモ(通称:珍札)」だったとする説もある。珍札は山腹で風が抜ける場所にだけ見つかる紙で、競技者が“札の場所”を再現できたかどうかが、自然と競争へ転化したと記録されている。
国際的普及[編集]
山珍走が国際的に普及した契機は、1931年にが実施した「移動計測競技の標準化」事業であるとされる。ここでは、走路の標高差を“距離”ではなく“匂いの段階数”として扱う観点が採用された。段階数は平均的なコースで42段階に調整され、審判の判定が統一されたとされる。
戦後には、民間のスポーツ団体が山珍走を教育プログラムとして導入した。たとえば、の山岳クラブでは、毎年4月第2土曜に「珍足模擬匂い標テスト」を行ったといわれる。この時期、競技者の安全性のために、所作を挟む時間の上限が「1マーカーにつき7.5秒以内」と細かく規定された。
なお、オリンピック競技としての扱いは、1988年の国際会議で「オリンピック正式競技」への適合が議論されたものの、競技運営が複雑すぎるとして一度棚上げされた。しかし一部の資料では、その後の調整により正式競技として採用が確定したと記されている。
ルール[編集]
試合場は、山腹から市街の境目までを模した「標高帯」から構成される。公式コースは標高差でおおむね120〜260メートル、周回は6周であるとされる。
試合時間は、合計走行時間を制限する方式ではなく、「匂い標」全通過の完了時刻によって決まる。標準競技では、予選は90分、決勝は110分の枠が設定され、各競技者は枠内で可能な限り多くの通過点を獲得する形式が採用される。
勝敗は得点制で、通常匂い標は1点、珍しい匂い標は3点、最大級の匂い標は7点とされる。さらに、所作動作の“終了判定”が早すぎる場合(副審が「身体がまだ迷っている」と判断した場合)には減点されるとされ、単純な最速戦術が通用しにくい。
的な指摘として、珍しい匂い標の判定基準が「湿度×風向×米の炊飯匂いに似ているか」へ言及する資料があるが、これについては運営側が統計学的検証を示せていないとされる。
技術体系[編集]
山珍走の中心技術は、と呼ばれる脚運びの最適化である。珍足は、足裏の接地面積を増やすのではなく、接地“角度”を一定に保つことで、登り下りの重心移動に伴う微振動を抑えるとされる。
また、呼吸は「匂い標同期(においひょう どうき)」に基づく。競技者は所作開始の1拍前で吸気を浅くし、所作の最中に呼気を一定のリズムで吐くことが求められる。理論上はこれにより、地形ごとの気流を“体感センサー”として扱えるとされる。
技術体系はさらに、足先の角度と視線移動をセットにした「谷見(たにみ)」という概念に分解される。谷見では、次の匂い標を真正面で見るのではなく、半歩ずらした方向に捉えることで、つまずきの確率が下がると主張される。
用具[編集]
用具は走るための装備と計測・儀礼用具が混在している点が特徴である。標準では、滑り止めを強化したトレイルシューズに加え、足首側面へ取り付ける薄型の「匂い計(においけい)」が支給される。
匂い計は実際の匂い成分を直接測るのではなく、熱交換の変化から“段階”を推定する仕組みとされる。電池寿命は公称で16時間、交換作業はハーフタイムにまとめて行う運用が一般的である。
さらに、競技中に所作の際に用いる「珍札ベルト」がある。珍札ベルトには、布製の札を差し込むポケットがあり、選手は予選前にコースの“札の位置”を覚える必要があるとされる。ただし札の素材が毎年入れ替わるため、競技者の学習負担は大きいとされる。
一部の選手は栄養補給のために、の名物とされる「山菓(やまかし)」を小袋で持参するが、審判は原則として匂い計への干渉を疑い、持ち込みを制限しているとされる。
主な大会[編集]
主な大会には、発祥地にちなんだがある。例年、予選は市内の旧港から山腹の展望台までを模したコースで行われ、参加枠は例年で128名とされる。
国際大会としては、アジア山岳連盟主催の「アジア・匂い標カップ」が知られている。ここでは、通常匂い標の比率が他大会より高く設定され、初心者でも得点機会があるように調整されるとされる。
また、競技の“儀礼性”が評価され、学校対抗の「珍札教育グランプリ」も人気がある。運営資料では、毎年の出場校数が73校とされているが、年によっては臨時枠が増減するため、正確性についての注記が付されることがある。
このほか、北米では「Yamachin Trail Festival」と称する非公式イベントが開催されており、そこで披露される珍足講習が、のちのクラブチーム結成のきっかけになったと語られることが多い。
競技団体[編集]
競技団体としては、日本国内でが統括しているとされる。協会はコースの認定だけでなく、匂い計の互換性審査や、所作動作の標準化に関わる審判養成講習も実施している。
国際面では、がルールの整合性を担当しているとされる。とくに、所作の時間計測をめぐって「最速が正義ではない」競技思想が争点になり、採点ソフトの改修履歴が公開されている。
一方で、の流れを汲むとされる歴史サークルが、技術講習を“測候の伝統”として語ることがあり、競技がスポーツと文化の境界を揺れる要因になっているとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山珍走協会編『山珍走規約(第9版)』山珍走協会, 2012年。
- ^ 渡辺精一郎「霧中観測補助としての人的追跡法」『測候工学紀要』第14巻第3号, 1894年, pp. 11-29。
- ^ 佐伯義隆『山岳縦走競技の認知科学:匂い標同期理論』共栄出版, 1978年。
- ^ International Federation of Mountain Sports, “Standardization of Odor Checkpoints in Vertical Loops,” Vol. 22, No. 1, pp. 45-63, 1989.
- ^ 中村綾乃「珍札ベルトの儀礼性と運動効率」『体育社会学研究』第41巻第2号, 2006年, pp. 102-121。
- ^ K. Hernandez, “Heat-Exchange Estimation for Non-Contact Aroma Ranking,” *Journal of Outdoor Instrumentation*, Vol. 7, Issue 4, pp. 201-219, 1996.
- ^ 農商務省山岳技術局『移動計測競技の標準化報告書』大蔵官報局, 1931年。
- ^ 尾道市教育委員会『珍札教育グランプリ運営要項:73校の記録(増減表付き)』尾道市教育委員会, 2001年。
- ^ IFMS「オリンピック正式競技の適合条件に関する審議草案」『大会運営技術資料集』第3巻第1号, 1988年, pp. 1-18.
- ^ 『オリンピック競技リスト(1994年版)』日本スポーツ政策研究所, 1994年。
外部リンク
- 匂い標データベース
- 珍足フォームライブラリ
- 尾道山珍走選手権公式アーカイブ
- IFMS審判養成講習ポータル
- 山珍走用具認証センター