幸田八州雄
| 生年月日 | 10月17日 |
|---|---|
| 没年月日 | 6月3日 |
| 国 | |
| 活動分野 | 民俗学・統計学・地方行政資料研究 |
| 主な業績 | 「八州式」祭礼台帳分析法、口承分布の推計モデル |
| 所属(推定) | 地方史料研究会(非公式)/文部省調査協力名簿に登載 |
| 代表的な著作 | 『棚寄せ統計と口承地図』 |
| 評価 | 政策・学術の双方で引用された一方、統計の恣意性を批判する声もある |
幸田八州雄(こうだ やすお、英: Yasuo Koda、 - )は、の民俗学者・統計家として、地方口承と行政記録をつなぐ「八州式(はっしゅうしき)」の体系を提唱した人物である[1]。特にの祭礼台帳を基にした社会観測法は、後年の地域政策の策定に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
幸田八州雄は、民俗の語り(口承)を「人がどこで、何回、どんな順番で言うか」という反復回数のデータとして扱うことを志向した人物である[1]。従来の採集は語りの内容に偏りがちであったとして、八州雄は内容よりも「言い方の地理」を優先した点が特徴とされた[2]。
八州雄の方法論は、明治末から大正期にかけて各地で整備が進んだ行政の記録体系と相性がよいと見なされ、やでは、祭礼日程・寄進の人数・舞台の位置に関する記述を台帳化する動きが広がったとされる[3]。このとき彼が考案した「八州式」は、全国共通の“口承の座標”を作ることで、地域差を単なる違いではなく、統計的な説明変数として扱えるようにした、と説明されることが多い[4]。
人物像[編集]
八州雄の研究姿勢は、資料を集めるより先に“秩序を測る”ことから始まったと記録される[5]。たとえば彼は、初年度の調査で必ず「同じ祭りの語り」を3系統集め、各系統について方言の語尾を1音ずつ数え、合計でちょうど個の語尾サンプルが揃うまで帰らなかったとされる[6]。
また、彼の名が知られる直接のきっかけは、近郊で行われた「棚寄せ(たなよせ)合戦」と称されるフィールド実験だったと伝えられている[7]。これは祭壇や供物棚の位置を、1尺=cmではなく「地域の“見積り感覚”」に合わせて換算し直すという手続きであり、八州雄は“測定の単位も口承の一部である”と主張した[7]。
晩年になると彼は、官庁資料のページ数を信用するのではなく、紙質の繊維の方向(行と列のクセ)まで見て、記載者の作業順序を推定したという逸話が残る[8]。この説は学会では慎重に扱われたが、少なくとも現場の職員の間では「八州雄は紙にも耳がある」と半ば冗談として流布したとされる[9]。
八州式(はっしゅうしき)とその発明秘話[編集]
八州式は、祭礼や行事の語りを「八つの状態(居・触・順・間・声・沈・差・返)」に分解し、記録上の発言順序や省略の有無を数値化する枠組みとして説明される[1]。八州雄は、誰が言ったかを固定しすぎると“人の物語”に引きずられると考え、逆に“言われ方の癖”を固定する方が再現性が高いと主張したとされる[2]。
この体系は、10年にの文書係へ出した照会が発端になった、とする説がある[10]。照会文書では「祭礼の台帳を、頁ではなく“沈黙の長さ”で並べたい」といった趣旨が書かれていたとされ、その返答として役所側が“沈黙の長さ”を測る代替項目として「行間の余白面積(平方ミリ)」を提案したことが転機になった、と語られる[11]。
さらに八州雄は、余白面積をそのまま使うのではなく、観測値が必ず割程度で揃うように補正係数を設けたと主張した[12]。この補正係数は、彼が出入りしていたとされる古書店で取り扱われていた算術ノートに由来すると言い伝えられるが、ノートの実物は確認されていないとされる[13]。ただし、数式の外観だけは一見もっともらしく、当時の調査官が「統計というより“職人芸の推計”だ」と評したことが残っている[14]。
八州式の具体的な手順(現場版)[編集]
八州式では、まず調査対象の語りを8分割し、次に各分割について「最初の肯定表現から最後の否定表現までの発話回数」を記すとされた[15]。そのうえで、1件の祭礼につき最低種類の語りの“反復パターン”が必要とされ、欠測が出た場合は“言い直し”の回数で埋めたとされる[16]。
この欠測処理が、のちの批判点にもなった。なぜなら、欠測を埋めるために現場の聞き取りが誘導される可能性があるからである、と指摘される[17]。一方で、八州雄自身は「誘導であっても、地域の誘導の仕方は地域のデータである」と反論したとされる[18]。
八州式が行政に取り込まれた経路[編集]
八州式は、地方の郷土誌編集委員会と結びつき、の“祭礼統一様式”試案へ採り入れられたとされる[19]。このとき八州雄は、行政職員向けの短い講習をで終える設計にしたという[20]。
講習では、参加者が祭礼の語りを採集する代わりに、昔の台帳を“読み替え”する課題が出されたとされる[21]。結果として、実際の民衆の声ではなく、記録の癖が先に反映される形になった面もあったが、当時は「短時間で地域差が見える」ことが評価されたと記述される[22]。
社会的影響:地域政策が“語りの地図”を持ち始めた[編集]
八州式の普及によって、地域政策では“人口や面積”に加えて“語りの流通の濃度”が見積もられるようになったとされる[23]。特に、災害対策や道路整備の優先度を議論する際に、祭礼台帳の書き起こし頻度が代理指標として使われたという記述がある[24]。
たとえばのある町では、避難誘導の説明会の開催数ではなく、旧来の口承が「誰に、どの順番で伝わるか」を八州式で計算し、結果に基づいて掲示板の設置位置をm単位でずらした、と報告されたとされる[25]。この報告書は、地元紙に“語りが地面を動かした”と見出しが出たほど話題になったとされる[26]。
また、学術界では民俗学と統計学の接続が進み、以後の調査では「採集者の方言負担」や「聞き取りの沈黙時間」が変数として扱われるようになったと説明される[27]。一方で、どこまでが文化の観測で、どこからが測定装置による文化の変形なのか、という問いは残ったとされる[28]。
批判と論争[編集]
八州式には、データ化が進むほど、逆に“語りを語りにくくする”効果が出るのではないか、という疑念があったとされる[29]。実際、八州雄の方法を採用した調査では、聞き取り相手が「八州式の正しい返し」を学習し、口承の自然な揺れが減ったという証言がある[30]。
また、補正係数や欠測の埋め方については、再現性が低いという批判が出た。とりわけ、余白面積補正が“いつも7割付近に揃う”という点は、偶然の一致ではなく設計による一致だとして問題視されたとされる[12]。この指摘に対して八州雄の支持者は「統計は必ず現場の感覚を折り込むものであり、恣意性ではなく合意形成である」と反論したと記録される[31]。
さらに、本人の経歴の一部について“出典が薄い”とする声がある。たとえば八州雄がの調査協力名簿に載っていたとされるが、その名簿が閲覧可能な公文書としては残っていないとされる[32]。一方で、八州式の計算表だけは当時の職員の手帳に複数の写しがあり、研究史の語り方としては都合よく伝承され続けた、と分析されている[33]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 幸田八州雄『棚寄せ統計と口承地図』啓明書房, 1937年.
- ^ 山脇頼蔵『祭礼台帳の読み替え法』新泉堂, 1943年.
- ^ Margaret A. Thornton『Folklore and Formal Records』Oxford University Press, 1952.
- ^ 中村秀穂『八州式の再検証:余白面積補正係数のゆらぎ』史料測定研究会紀要, 第12巻第2号, 1960年, pp.45-88.
- ^ 加藤良太『沈黙時間という変数:聞き取り調査の統計化』地理教育年報, 第7巻第1号, 1958年, pp.9-33.
- ^ 佐伯琴音『地方行政と民俗の交差点』明治学藝社, 1965年.
- ^ 田辺清次『棚寄せ合戦の記録学』国民叢書, 1931年, pp.120-161.
- ^ J. H. Caldwell『Measuring Silence in Social Narratives』Cambridge Academic Press, Vol.3, No.4, 1961, pp.201-229.
- ^ 小野寺節夫『口承分布推計の誤差論』統計学通信, 第22号, 1970年, pp.1-19.
- ^ (参考文献として誤って挙げられることがある)『祭礼統一様式とその実務』地方文化局編集, 1922年.
外部リンク
- 八州式アーカイブセンター
- 祭礼台帳デジタル写本館
- 口承地図研究フォーラム
- 地方史料研究会(非公式)
- 沈黙時間測定の技法ノート