引き撃ちドラゴン
| 分類 | 戦術民俗学、架空竜類、反転機動理論 |
|---|---|
| 初出 | 江戸後期の写本とされる『北辺竜陣録』 |
| 提唱者 | 戸田 清玄、メアリー・L・ウォード |
| 主な研究地 | 東京都、横須賀市、佐世保市、ロンドン |
| 象徴 | 尻尾で距離を測る竜、退却角62度 |
| 関連装備 | 反転砲架、二連火矢筒、風切り鞍 |
| 流行期 | 1987年 - 1994年 |
| 社会的影響 | 訓練教材、玩具、対人ゲームの定石 |
引き撃ちドラゴン(ひきうちドラゴン、英: Retreat-Firing Dragon)は、後退しながら射撃を行う戦術、またはその動作を体得したとされるの竜種を指す上の概念である。主にの戦記研究と文化の境界で語られており、実在の兵法書に記された用語として知られている[1]。
概要[編集]
引き撃ちドラゴンは、敵に背を見せて逃げるのではなく、一定距離を保ちながら後退射撃を繰り返す存在として描かれる概念である。もともとは末期の砦防衛術に由来するとされるが、後世の写本では竜がこの動きを真似たために、戦術と生物学が混線したと説明されている。
この語が広まったのは末期で、の古書店主・戸田清玄が、破損した兵書の余白に書かれた「引き撃ち」の注記を「引き撃ち竜」と誤読したことが発端とされる。以後、の非公式サークルや、の模型同好会がこの誤読を半ば公認し、学術と玩具の両方で独自の発展を遂げたとされる[2]。
歴史[編集]
起源と写本の時代[編集]
最古の記録は頃成立とされる『北辺竜陣録』である。同書には、沿岸で観測された「火を吐く大鰐状の影」が、敵軍を誘導しながら砂丘の斜面を後退したという奇妙な逸話が載る。後世の注釈者はこれを「竜の引き撃ち」と呼び、退却の体裁をとった攻勢の象徴として受け取った。
なお、の古文書には、同じ現象を「尻退けの火」と記した文面があり、これが近世弓術の「退き足」と結びついたという説がある。ただし、記録の筆跡は三種類混在しており、同一人物が一晩で書いた可能性も指摘されている[3]。
昭和後期の再発見[編集]
、の特別整理室で、戸田清玄が欠損本の補修作業中に「引き撃ち竜」の欄外注記を見つけたとされる。彼は当初、竜の種類名だと理解したが、隣にいたの非常勤講師・メアリー・L・ウォードが、これは「後退しながら火器を運用する陣形」を意味する軍事隠語ではないかと示唆した。
この解釈は一部の研究者に受け入れられ、の内部報告書『機動退却様式に関する覚書』でも引用されたが、報告書の付録にドラゴンのシルエットが描かれていたため、以後の研究は急速に脱線したとされる。1989年にはで「引き撃ちドラゴン展」が開催され、来場者は推定4,800人であった[4]。
ゲーム文化への流入[編集]
に入ると、引き撃ちドラゴンはの用語として再解釈された。特にの大型筐体店で流行した『ドラグーン・バックショット』という非公式攻略法が、この概念を決定的に一般化したとされる。
攻略研究家の佐伯和馬は、敵弾を避けながら後退する操作を「ドラゴンの尾をひくような動き」と表現し、これがプレイヤー間で略して「引きドラ」と呼ばれるようになった。ただし、当時の雑誌『月刊レバーと火炎』は、これを「画面端で無理に粘る悪癖」として批判しており、編集部内でも評価が真っ二つに割れていた[5]。
技法と装備[編集]
引き撃ちドラゴンの技法は、単なる後退ではなく、足運び・視線・発火間隔の三要素を同時に管理する点に特徴がある。研究会ではこれを「62度の退却角」と呼び、敵が最も追いにくい角度として実測値まで付与されたが、測定には竹尺と方位磁針しか用いられていない。
装備面では、尾部に固定する「反転砲架」が重要であるとされる。これはの払い下げ部品を転用したものと説明されることが多いが、実際には家庭用ミシン台に火薬筒を括り付けただけの簡易器具だったという証言もある。なお、同装備は安全性の問題からに一度全面回収されたが、翌年には玩具版として再販された[6]。
社会的影響[編集]
引き撃ちドラゴンは、軍事史の珍説にとどまらず、教育・玩具・地域振興にまで波及した。特にでは、商店街が「後退しながら前進する街」を標語に掲げ、毎年秋に反転行進パレードを開催したとされる。参加者は推定で延べ1万2,000人に達し、地元紙『長崎北部新報』はこれを「子どもが背中で学ぶ兵法」と評した。
また、のクラブ活動では、弓道部と科学部が合同で「引き撃ち実験」を行い、紙飛行機の後退飛行に成功したという報告がある。もっとも、実験の実施要領に「風を読めば竜になる」とだけ書かれていたため、教育委員会からは再提出を求められた[7]。
批判と論争[編集]
引き撃ちドラゴンをめぐっては、当初から史料解釈の妥当性に疑義が呈されてきた。とくにのエリナー・P・グレイは、問題の「竜」は実際には欄外の書き損じであり、「引き撃ち」は弓兵の後退指示を示すだけだとする論文を発表したが、日本側の研究会はこれを「竜の足音がしないだけである」として退けた。
一方で、の民俗学者・西園寺光治は、史実性よりも「後退しながら撃つ」という身体技法の象徴性に価値があると擁護し、結果として議論は史料批判から姿勢矯正の講習会へとずれていった。これにより、学会では「引き撃ちドラゴン論争」をきっかけに、発表者が壇上で一歩後退しながら話す慣習が一部で定着したとされる。
現代における位置づけ[編集]
以降、引き撃ちドラゴンはネットミームとして再評価されている。動画配信者のあいだでは、FPSで不利になると「ドラゴン化した」と実況する文化が生まれ、戦術用語としての意味は薄れたが、逆に「不格好だが妙に強い動き」の代名詞になった。
にはのイベント会場で、等身大の発泡スチロール製「引き撃ちドラゴン」像が展示され、来場者が尾部の車輪を押すと口元のLEDが後退しながら点滅する仕掛けが話題となった。なお、展示説明には「史料に基づく復元」とあったが、監修者の一人は後日、完成直後に竜の向きが逆だと気づいたと証言している[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 戸田清玄『北辺竜陣録補注』神田古書研究会, 1988年, pp. 14-29.
- ^ Mary L. Ward, "Retreat Firing and the Imagined Drake", Journal of Military Folklore, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-224.
- ^ 佐伯和馬『弾幕と退却の美学』電波社, 1993年, pp. 77-105.
- ^ 西園寺光治『竜をめぐる身体技法』京都民俗叢書刊行会, 2001年, pp. 33-68.
- ^ Eleanor P. Gray, "The Margin Note Problem in Edo-era Tactical Manuscripts", East Asian Historical Review, Vol. 8, No. 2, 1997, pp. 55-73.
- ^ 長崎北部新報文化部『反転行進の街:佐世保市民と引き撃ち文化』長崎北部新報社, 1994年, pp. 4-11.
- ^ 防衛庁研究班『機動退却様式に関する覚書』内部資料, 1989年, pp. 3-17.
- ^ 小野寺久美『引き撃ちドラゴン玩具史』玩具と生活社, 1995年, pp. 88-97.
- ^ Richard T. Bell, "Tail Angles in Pseudo-Dragon Kinematics", Proceedings of the London Symposium on Invented Zoology, Vol. 4, 2004, pp. 9-26.
- ^ 『月刊レバーと火炎』編集部『バックショット論争総覧』月刊レバーと火炎社, 1992年, pp. 1-19.
外部リンク
- 神田古書研究会デジタルアーカイブ
- 防衛史民俗学会
- 横須賀模型文化資料室
- 月刊レバーと火炎オンライン別冊
- 千葉県展示イベント記録室