思い出し笑い
| 分類 | 反射的情動発露 |
|---|---|
| 初出 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マーガレット・A・ソーン |
| 研究拠点 | 東京帝国記憶研究所 |
| 主要機関 | 内務省衛生局 記憶反応調査班 |
| 関連法則 | ソーン-渡辺閾値理論 |
| 観測地 | 東京、横浜、神戸 |
| 代表的事例 | 「銀座式会議室症候群」 |
| 備考 | 一部の臨床記録では1日23回まで観測された |
思い出し笑い(おもいだしわらい、英: Recalled Laughter)は、過去の記憶が特定の感情閾値を超えた際に、本人の意思と無関係に発生するとされる反射的な笑いである。19世紀末ので体系化された「記憶誘発笑反応」研究を起源とし、のちにの周辺で広く観察されたとされる[1]。
概要[編集]
思い出し笑いは、過去の出来事を再想起した際に、笑意が遅れて再現される現象として説明される。一般には「何でもない場面で急に笑ってしまう」状態を指すが、研究史上はの再生との連動を示す重要な指標とみなされてきた。
この現象は、単なる気まずさの表れではなく、記憶に付随する温度・匂い・座席の硬さまで再活性化することで起こるとされた。とくに後期の都市部では、電車内や寄席帰りの一斉笑発が問題化し、が「静粛保持上の参考事象」として集計していたという記録が残る[2]。
起源[編集]
起源については、にの生理学教室で行われた「再想起時顔面筋収縮試験」が最初の体系的観測とされる。試験では、被験者にの見世物小屋、団子屋、雨漏りのする下宿などを順不同で提示し、表情の変化を秒単位で記録した。
この研究を主導した渡辺精一郎は、偶然にも実験中に助手が発した「先週の失敗談」で自身が吹き出したことを契機に、思い出し笑いを独立した現象として扱うべきだと主張した。なお、同時期に来日していた英国人神経学者マーガレット・A・ソーンもこれに同調し、両者の名をとって後にが成立したとされる。
一方で、当時の学界では「笑いは教養の副産物であり、現象学の対象ではない」とする反対意見も根強かった。これに対し、渡辺はの喫茶店で行われた公開討論で、わざと古い落語を聞かせた直後に聴衆12名中9名が思い出し笑いを起こしたことを示し、学会の空気を一変させたと伝えられている。
分類[編集]
反応様式による分類[編集]
研究上、思い出し笑いは「微笑型」「肩震い型」「無音失神型」に大別される。微笑型は最も一般的で、口角のみが0.7〜1.4秒遅れて上がるとされる。肩震い型はやで多く、周囲に気づかれにくい一方、机の振動で発覚することが多い。
無音失神型はやや誇張された分類であるが、の港湾労働者を対象とした調査で年間18例が報告されている。もっとも、この数字は休憩時間中のくしゃみと混同された可能性があり、要出典とされることが多い。
想起対象による分類[編集]
想起対象は、失敗談系、内輪ネタ系、匂い連動系、沈黙復元系に分類される。失敗談系は最も強く、自己防衛のために笑いが先行すると説明される。内輪ネタ系はやとの共有経験が引き金となり、単独でいる時にも突然発現する。
匂い連動系は、、体育館のワックスなどが典型例である。沈黙復元系は会話の空白そのものが記憶され、後日、同じ長さの沈黙に遭遇すると笑いが戻るという、かなり扱いにくい型である。
研究史[編集]
期になると、思い出し笑いは都市文化の一部として再評価され、では「再現性の高い愉快現象」として長期調査が行われた。1926年の第3次調査では、被験者214名のうち73名が「昔の恥を思い出しただけで笑う」と回答し、うち11名は笑いの最中に机上の湯呑みを落としている。
初期には、が「公共交通機関における突発笑の抑制」を目的に、満員内での読書・回想の併用を禁じる通達案を作成したが、実施直前に「過度に回想を意識させる」として棚上げされた。これにより、逆に思い出し笑いは都市近代の象徴として若年層に流通したとも言われる。
戦後はの心理学者・久世玲子が、笑いが生じる直前の瞳孔変化を記録し、記憶の快不快ではなく「恥ずかしさの熟成時間」が重要であると指摘した。なお、久世の研究室では被験者の7割が調査後に「もう帰りたい」と述べたため、データの純度が高かったという。
社会的影響[編集]
思い出し笑いは、学校教育、接客、政治演説の三領域に最も強い影響を及ぼしたとされる。とくにの売り場では、顧客が会計直前に「昨夜の失言」を思い出して吹き出すことで、後ろの客まで連鎖的に笑い始める現象が問題となり、1958年にはが「回想誘発の強い香水」への注意喚起を行った。
また、では議員が答弁中に急に笑い始めることで議事進行が止まる事例が相次ぎ、秘書官が「笑いの起点となる記憶」を事前申告させる慣行が一部で導入された。これを受けて、ある政党では新人研修に「自己回想の統制」が追加され、3日目に受講者の半数が脱落したという。
一方で、思い出し笑いは対人関係の緩衝材としても機能した。地方のでは、宿帳に「本日、過去の恥を思い出しやすい方はフロントへ」と書かれた掲示が出され、団体客の緊張緩和に役立ったとされる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、思い出し笑いが本当に生理現象なのか、それとも社会的仮面なのかという点にあった。の一部は「笑いは記憶の真実性を保証しない」として、思い出し笑いを単なる社交的演技とみなした。
これに対し、ソーン派は、笑いの直前に起こる呼気の乱れと肩甲骨の微細運動は任意に再現できないと反論した。ただし、1934年に発表された「鏡を見ながら思い出し笑いを再生できるか」という実験は、被験者17名中4名が失敗、2名が本当に思い出し笑いを起こしてしまい、残り11名が自分の顔に耐えられなかったため中止となっている。
さらに、の私立病院では、思い出し笑いを「軽度の幸福徴候」と誤診した事例が相次ぎ、のちに診療科目としての採用が見送られた。もっとも、当時のカルテには「患者は笑いの発端を説明しつつも、説明中に再度笑う」との記述があり、臨床的にはかなり厄介な対象であったことがうかがえる。
現代文化[編集]
21世紀に入ると、思い出し笑いは上で可視化され、短文投稿における「一人で笑ってしまった」という定型句の研究対象となった。2021年には内の広告会社が、通勤電車での回想を誘発するという触れ込みのポスターを試験掲出したが、想定以上に会議の失敗を思い出す社員が増え、掲出は9日で終了した。
また、の専門学校では、接客訓練の一環として「思い出し笑い耐性検定」が実施され、60秒間に2回以上吹き出さずに商品説明を続けられれば合格とされた。合格率は初年度38.6%で、翌年には試験の存在自体が生徒の緊張を高めたため、むしろ26.1%まで下がった。
現在では、思い出し笑いは単なる失態ではなく、記憶の保存状態が良好である証拠として扱う説もある。ただし、の教科書の多くはなお慎重であり、「記憶内容そのものより、記憶の周辺に付着した恥の厚みが重要」とする説明が比較的穏当であるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『再想起時顔面筋収縮論』東京帝国記憶研究所紀要 第12巻第3号, 1898年, pp. 41-76.
- ^ Margaret A. Thorne, "On Recalled Laughter in Urban Subjects," Journal of Comparative Affect Studies, Vol. 4, No. 2, 1901, pp. 118-139.
- ^ 久世玲子『恥の熟成時間と笑意再現』京都心理学叢書 第7巻, 1954年, pp. 203-247.
- ^ 内務省衛生局 記憶反応調査班『公共交通機関における突発笑事例集』官報附録, 1931年, pp. 5-19.
- ^ Samuel H. Brier, "Threshold Models of Memory-Induced Laughter," Annals of Nervous and Social Behavior, Vol. 9, No. 1, 1928, pp. 1-33.
- ^ 東京心理学会編『思い出し笑いをめぐる諸説』学術評論社, 1962年, pp. 88-104.
- ^ 佐伯澄子『会議室で笑わないための技術』中央衛生出版社, 1978年, pp. 15-62.
- ^ Eleanor V. Pike, "The Smiling of Remembrance: A Field Report," London Institute Papers, Vol. 3, No. 4, 1937, pp. 77-91.
- ^ 神戸港湾医務局『港湾労働者における無音失神型笑反応調査』神戸港報, 第18号, 1949年, pp. 9-28.
- ^ 中村健一『回想と肩震いの民俗誌』新潮民俗選書, 1986年, pp. 144-171.
外部リンク
- 東京帝国記憶研究所デジタルアーカイブ
- 内務省衛生局史料室
- 思い出し笑い研究会
- ソーン-渡辺理論普及委員会
- 回想反応データベース