恐怖!怖すぎ屋敷!!
| 名称 | 恐怖!怖すぎ屋敷!! |
|---|---|
| 別名 | 怖すぎ屋敷、二重感嘆符式怪談館 |
| 成立 | 1988年頃 |
| 発祥地 | 東京都台東区下谷 |
| 分類 | 体験型興行、疑似民俗施設 |
| 主要演出 | 軋む廊下、遅れて鳴る鈴、逆さ札 |
| 運営主体 | 東日本体感文化振興協議会 |
| 来場者数 | 1994年時点で年間約18万2,000人 |
| 保存指定 | 全国疑似文化財登録第17号 |
恐怖!怖すぎ屋敷!!(きょうふ こわすぎやしき)は、末期に関東地方の貸家文化と肝試し興行が結びついて成立したとされる、体験型の演出施設である。の下町で広まったとされ、後に全国の観光地へ模倣が拡大した[1]。
概要[編集]
恐怖!怖すぎ屋敷!!は、来場者が木造の屋敷内を順路に沿って歩き、音響・照明・振動の組合せによって段階的に恐怖を体験する施設である。通常のよりも「生活空間としての屋敷」を強調する点に特徴があり、入口の玄関から台所、仏間、納戸へと進む構成が定着している[2]。
名称に二重の感嘆符が付されているのは、初代演出家のが「怖さを説明する前に叫ばせたい」と考えたためとされる。一方で、実際には看板印刷所が誤って感嘆符を一つ余計に入れたのを松浦がそのまま採用したという説もあり、現在では両説が併記されることが多い[3]。
成立史[編集]
前史[編集]
起源は後期の見世物小屋にあるとされるが、より直接的には周辺で行われていた貸座敷の再利用に求められる。戦後の空き家対策として、昭和40年代に一部の演芸関係者が「昼は倉庫、夜は怪談会場」として使用したことが、後の屋敷型演出の雛形になったとされている[4]。
特にに起きた上野駅前の夏季興行では、客の半数が途中退場したにもかかわらず、退場者の口述証言が宣伝文句として逆利用され、翌年の集客がになったという。なお、この数値は興行会社の内部報告書にのみ残り、外部には確認できない。
命名と定式化[編集]
現在の形式が確立したのは、台東区下谷の旧商家を改装した「怖すぎ屋敷第一号館」の開業時である。松浦鉄三郎は、屋敷内に「住む気が失せる程度の生活感」を残すことを重視し、食卓に冷えた麦茶を置いたり、風呂場の鏡だけを微妙に曇らせたりする演出を考案した[5]。
この方式はの民間調査でも「居住空間の不安化」として言及され、後にが「屋敷型恐怖の標準模型」と呼んだ。もっとも、同研究所の記録では模型の寸法が毎回少しずつ違っており、編集者の間では「測定担当者が毎回怖がっていたのではないか」と揶揄されている。
全国展開[編集]
に入ると、観光地の旧旅館や廃校が相次いで転用され、の山間部、の温泉街、の商店街にまで類似施設が出現した。特にの「全国怖屋敷連絡会」設立以降、演出の標準化が進み、玄関の軋み音、廊下の三段階照明、障子越しの影の三要素が「三点セット」として普及した[6]。
一方で、地方版では土地の伝承を取り込む傾向が強く、では雪女、では座敷童、では台風の通り道そのものを幽霊化する演出が行われた。これらは「地域文化の保存」と評価される反面、資料性が高すぎて本来の恐怖より行政説明会のほうが怖いと評されたこともある。
演出技法[編集]
怖すぎ屋敷の中核は、視覚的な派手さではなく、生活音の遅延にあるとされる。たとえば、来場者が障子に触れた瞬間ではなく後に裏側から鈴が鳴るよう調整されており、この「遅れ」が人間の予測を裏切る最小単位として研究された[7]。
また、床下の振動板には系の古い保守部材が流用されることが多く、畳一枚ごとに振動の位相を変えることで、歩行者に「家そのものが嫌がっている」感覚を与える設計が採用された。なお、ある年の改修では振動が強すぎて近隣の豆腐店の絹ごしが揺れたため、以後は深夜稼働が制限されたとされる[8]。
音響面では、築80年以上の木造家屋にありがちな軋み音を人工的に再現するのではなく、逆に「本物の軋み音を録音して加工する」手法が採られた。このため、録音担当者の多くが現場で一度は「音が先に怖がっている」と感想を述べたという。
社会的影響[編集]
怖すぎ屋敷は、単なる娯楽施設にとどまらず、による空き家活用政策の成功例としてしばしば引用された。特にの調査では、旧商家の観光転用案件のうち、最も再訪率が高かったのが怖すぎ屋敷系列であり、平均再訪率はに達したとされる[9]。
教育分野への波及も大きく、の地域学習では「怖すぎ屋敷の案内文を作る課題」が採用されたことがある。これにより、生徒が「歴史的意匠」「避難経路」「幽霊の出現条件」を同時に学ぶという奇妙な総合学習が生まれた。なお、当時の教育委員会は「防災教育にも資する」と説明したが、保護者からは「資する方向がおかしい」との意見が寄せられた。
批判と論争[編集]
批判の中心は、恐怖演出と文化財保護の境界が曖昧である点にある。とりわけの近くで行われた移設計画では、外観保存を名目に内部だけを徹底改造したため、「外から見るとほぼ文化財、中に入るとほぼ胃薬が必要」と評された[10]。
また、には「怖さの標準化が地域固有の怪談を均質化している」として、民俗学者のが批判文を発表した。これに対し運営側は、恐怖の均質化ではなく「再現性の確保」であると反論したが、同文書の末尾に「ただし、夜間の納戸だけは毎回少し違う」と注記されていたため、かえって議論が拡大した。
さらに、一部施設で使用されていた霧装置が近隣の梅干し工場の熟成庫に干渉し、製品がやたらと「怖い酸っぱさ」になった事件もある。これは後に「梅干し恐怖化事故」と呼ばれ、業界では半ば伝説化している。
派生文化[編集]
怖すぎ屋敷の成功後、「怖すぎ商店街」「怖すぎ銭湯」「怖すぎ図書館」などの派生企画が多数生まれた。中でも版は、返却期限を過ぎた本の背表紙だけが少し湿る仕掛けが話題となり、貸出率が上昇したという[11]。
また、インターネット上では「怖すぎ屋敷帰りの人は靴下の左右が必ずずれる」という都市伝説が広まり、帰宅後の確認行動を促すミームとして定着した。これは元々、館内の床材が柔らかすぎて靴下がねじれやすかったことに由来するとされるが、何度説明しても「やはり呪いではないか」と受け取られる傾向がある。
以降はVR化も進み、内の試験施設ではヘッドセット装着者のが「最後の部屋で自宅の間取りを思い出した」と回答した。開発側はこれを恐怖反応として成功と評価したが、利用者の一部は単に帰りたくなっただけではないかと証言している。
脚注[編集]
[1] 松浦鉄三郎『屋敷恐怖演出史序説』東都怪談出版, 1996年.
[2] 佐伯真理『体験型怪談の民俗学』民間文化研究社, 2004年.
[3] 長谷川冬彦『看板と感嘆符の近代史』上野書房, 2001年.
[4] 渡会健一『戦後興行と空き家利用』東京郷土研究会, 1998年.
[5] 杉本玲子『生活感を残す演出技法』日本体感芸術協会紀要, Vol.12, 第3号, pp.44-59, 2007年.
[6] 全国怖屋敷連絡会編『怖すぎ屋敷標準化資料集』連絡会資料室, 1994年.
[7] H. Thornton, “Delayed Bell Response in Wooden Corridors,” Journal of Applied Fear Studies, Vol.8, No.2, pp.101-118, 2011.
[8] 田宮一郎『振動板と周辺産業への影響』関東民俗工学, 第21巻第1号, pp.7-23, 2009年.
[9] 総務省地域活用調査室『旧商家転用事例の実態』調査報告第17号, 2002年.
[10] 有馬久美子『保存と恐怖の境界線』民俗建築評論, Vol.5, No.1, pp.12-28, 2013年.
[11] 山路歩『貸出率を上げる軽度の怪異』図書館経営季報, 第9巻第4号, pp.88-90, 2019年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦鉄三郎『屋敷恐怖演出史序説』東都怪談出版, 1996年.
- ^ 佐伯真理『体験型怪談の民俗学』民間文化研究社, 2004年.
- ^ 長谷川冬彦『看板と感嘆符の近代史』上野書房, 2001年.
- ^ 渡会健一『戦後興行と空き家利用』東京郷土研究会, 1998年.
- ^ 杉本玲子『生活感を残す演出技法』日本体感芸術協会紀要, Vol.12, 第3号, pp.44-59, 2007年.
- ^ 全国怖屋敷連絡会編『怖すぎ屋敷標準化資料集』連絡会資料室, 1994年.
- ^ H. Thornton, “Delayed Bell Response in Wooden Corridors,” Journal of Applied Fear Studies, Vol.8, No.2, pp.101-118, 2011.
- ^ 田宮一郎『振動板と周辺産業への影響』関東民俗工学, 第21巻第1号, pp.7-23, 2009年.
- ^ 総務省地域活用調査室『旧商家転用事例の実態』調査報告第17号, 2002年.
- ^ 有馬久美子『保存と恐怖の境界線』民俗建築評論, Vol.5, No.1, pp.12-28, 2013年.
- ^ 山路歩『貸出率を上げる軽度の怪異』図書館経営季報, 第9巻第4号, pp.88-90, 2019年.
外部リンク
- 全国怖屋敷連絡会資料館
- 東日本体感文化振興協議会アーカイブ
- 下谷旧商家保存と演出の会
- 怖すぎ屋敷研究会紀要
- 民間怪談体験施設年鑑