損じ負け
| 名称 | 損じ負け |
|---|---|
| 読み | そんじまけ |
| 英語表記 | Sonjimake |
| 分類 | 経済民俗・競技用語 |
| 起源 | 昭和18年ごろ |
| 提唱者 | 高瀬善市郎ほか |
| 主な拠点 | 日本橋魚市場、深川一帯 |
| 関連制度 | 損切り評点制度 |
| 影響 | 商習慣、将棋観戦、地方議会の答弁術 |
損じ負け(そんじまけ)は、取引や競技において、勝敗そのものよりも「どの時点で損を確定したか」に価値判断が置かれる独特の敗北概念である。主に中期の商家との市場関係者の間で体系化されたとされる[1]。
歴史[編集]
損じ負けとは、や勝負事において「負けたが、損の膨らみを最小限に抑えたため、実質的には勝ちに近い」と見なされる状態を指す俗語である。一般には単なる惜敗を意味するように見えるが、周辺の帳場文化では、最終的な負け額よりも撤退の早さと見切りの精度が重視され、これが独自の評価語として固定化したとされる[2]。
起源説と市場帳簿[編集]
損じ負けの原型は、日本橋の問屋が使用した「損じ判定表」に求められるとされる。これはにが考案したもので、商品を失った額ではなく、失うと見込まれた総額に対する回避率を百分率で評価するという、やけに複雑な帳簿術であった[4]。
高瀬は当時、乾物問屋の二代目で、帳場における失敗の格付けを「赤字」「引き分け」「損じ負け」の三段階に分けた。これにより、同じ三千円の損失でも、午前中に撤退した者は「損じ負け」、閉店間際まで粘った者は「ただの負け」と判定されるという逆転現象が生じたと記録されている[5]。
定着と競技化[編集]
ごろになると、この語は市場外にも拡散し、やの観戦記で使われるようになった。特に近くの喫茶店では、負け局面からの粘りよりも、どの手で諦めたかを競う「損じ負け審査会」が月例で行われ、参加者はを一枚失っただけで「優勝に近い損じ負け」と評されたという[6]。
同時期、ラジオの生活講座でこの語が紹介されたが、アナウンサーが「損じ負け」を「損じまい」と読み上げたため、翌週の投書欄には「むしろ高等な敗北哲学である」とする苦情と賛辞が半々に寄せられた。この一件が、語義の曖昧さをかえって強化したとする説が有力である[7]。
制度化と衰退[編集]
にはの外郭団体とされるが設立され、損じ負けの判定を標準化する試みが行われた。協議会は、撤退速度、残存資産、周囲への迷惑度の3項目からなる「三率式損じ負け指数」を発表し、満点は100点ではなく128点であったため、現場では「それだけで損じ」と揶揄された[8]。
しかしの後半になると、株式相場の専門用語と誤認されることが増え、一般にはほとんど使われなくなった。一方で、地方自治体の予算審議ではいまだに引用例があり、のある町議会では、補正予算の撤回を「見事な損じ負け」と表現した議事録が残っている[9]。
社会的影響[編集]
損じ負けは、単なる隠語にとどまらず、戦後の商慣行における撤退美学を象徴する語として扱われた。とりわけの魚問屋では、値崩れ前に仕入れを切る行為が「損じ負けの手本」とされ、新人教育の際には『損をしたことより、損をした顔をしないことが重要である』と教えられたという[10]。
また、1960年代後半には周辺の貸会議室で「損じ負け研究会」が開かれ、弁護士、会計士、将棋記者、そしてなぜか演歌歌手まで参加した。ここでは、敗北の総額よりも言い訳の短さが評価され、最短記録はの「風向きが悪かった」であったとされる[11]。
その一方で、若年層には「負けを美化する言葉」として反発もあり、にはの学生サークルが『損じ負けをぶっ壊す会』を結成した。もっとも、会の規約第4条には「撤退時は必ず三歩下がってから解散すること」と書かれており、思想の一貫性はかなり怪しい[12]。
批判と論争[編集]
損じ負けに対しては、当初から「負けを言い換えただけではないか」という批判があった。とりわけの立場からは、損失回避の速度を成果として扱うのは統計上の虚飾にすぎないとされ、のある研究者は『損じ負けは、敗北の周囲にだけ熱を発する概念である』と評している[13]。
ほかにも、の投書欄では、主婦層から「うちの夫は毎晩損じ負けばかりしている」との投稿が相次ぎ、語が家庭内の言い逃れとして普及したことが問題視された。これに対して協議会側は、損じ負けは「浪費を防ぐための高度な生活技法」であると反論したが、同じ説明が4回繰り返されたことで、かえって煙に巻いた印象を与えた[14]。
なお、に刊行された『現代敗北語彙辞典』では、損じ負けの項目がわずかしかなく、しかも末尾に「用例不足のため保留」と付されていた。これが逆に熱狂的な愛好家を生み、後年の再評価運動へつながったとされる。
現代における扱い[編集]
現在では、損じ負けは主としてレトロ商業文化やネット上の比喩表現として生き残っている。特にやでは、早めに損切りできた投稿に対して「これは立派な損じ負け」とコメントされることがあり、必ずしも侮蔑ではなく、むしろ半ば称賛に近い用法である[15]。
またの古書店街では、昭和期の帳簿や市場メモに付された赤鉛筆の書き込みが収集対象となっており、なかでも「損じ負け」の朱書きが残る帳面は、一冊あたりで取引されることがある。もっとも、その価格の半分は物語性であり、残り半分は店主の気分で決まるともいわれる[16]。
近年は上で「損じ負け思考」という派生語も見られるが、意味は人によって大きく異なる。早く逃げる知恵を称える場合もあれば、ただの言い訳として自虐的に使う場合もあり、この揺れ幅こそが語の生命力であると指摘されている。
歴史[編集]
高瀬善市郎の私案[編集]
高瀬善市郎は、帳場での失敗を記録する際、赤字の大きさよりも「どれだけ早く逃げたか」を重視した。彼はの私家版小冊子『損と撤収の心得』で、負債を抱えたまま粘ることを「正面敗北」、早期撤退を「損じ負け」と区別し、後者にのみ小さな丸印を付す方式を提案している[17]。
喫茶店文化との接続[編集]
やの喫茶店では、相場談義の場でこの語が流行した。とくにの冬、ある店で出されたコーヒーがぬるかったため、客のひとりが「この温度で切り上げるのが損じ負けだ」と言った逸話が残っており、語の拡散に小さくない役割を果たしたとされる[18]。
放送メディアでの誤用[編集]
の生活番組では、アナウンサーが発音を取り違えたことで、視聴者の間に「損じ負け」は正式な経済用語であるという誤解が生まれた。これが後年の辞書掲載につながった一方、実際の定義は各地でかなり異なり、ある地方紙では「惜敗を讃える語」、別の紙面では「早退の美称」と説明されていた[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬善市郎『損と撤収の心得』高瀬商店出版部, 1949年.
- ^ 村田篤志『戦後市場語彙考』日本経済民俗学会, Vol.12, No.3, pp.44-61, 1968年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Early Withdrawal and Social Prestige in Urban Wholesale Markets," Journal of Applied Folklore, Vol.7, No.2, pp.101-128, 1971.
- ^ 渡辺精一郎『帳場における敗北の美学』中央相場研究所, 第2巻第1号, pp.5-19, 1958年.
- ^ 佐伯みどり『聞き書き・深川の商い言葉』岩波書店, 1982年.
- ^ T. K. Haskins, "The Sonjimake Index and Its Cultural Afterlife," Pacific Review of Economic Anthropology, Vol.19, No.4, pp.233-250, 1994.
- ^ 中野義隆『昭和語の誤読と定着』新潮社, 1991年.
- ^ 全国損切り評点協議会編『三率式損じ負け指数 1962年度報告』外郭団体刊, 1962年.
- ^ 青木里美『市場と喫茶店のあいだ』東京堂出版, 2004年.
- ^ 『現代敗北語彙辞典』編集委員会『現代敗北語彙辞典』勁草書房, 1981年.
- ^ 佐藤恒明『なぜか高等な言い逃れ』筑摩書房, 1976年.
外部リンク
- 日本敗北語研究センター
- 東京損得アーカイブ
- 昭和市場言語資料館
- 全国損じ負け愛好会
- 深川商語デジタルライブラリ