新名古屋駅
| 名称 | 新名古屋駅 |
|---|---|
| 種類 | 高架一体型ターミナル(ドーム駅舎・地下通路) |
| 所在地 | 愛知県名古屋市南区(架空地番:南区光景一丁目) |
| 設立 | 49年(1974年)10月12日 |
| 高さ | 63.7メートル(時計塔部) |
| 構造 | 鉄骨トラス+双層ジオデシックドーム、耐震ブレース併用 |
| 設計者 | 渡辺精一郎建築設計事務所(主任:渡辺精一郎) |
新名古屋駅(しんなごやえき、英: Shin-Nagoya Station)は、にあるである[1]。現在では、近未来風のドーム架構とからくり時計を備えた交通拠点として知られている[2]。
概要[編集]
新名古屋駅は、名古屋の海側交通を再編する目的で計画された、ドーム型の高架ターミナルとして位置づけられている[1]。現在では、駅前広場から放射状に伸びる歩行者回廊と、入線時刻を読み上げる「反響サイネージ」によって、待ち時間の体験設計がなされているとされる[3]。
本駅の特徴は、駅舎上部に設置された「からくり時計」が、単に時刻を表示するのではなく、到着番線ごとに異なる光パターンを投影する点である[4]。この光パターンは、戦後に普及した掲示文化を“機械的に記憶する”試みとして議論され、当時の交通行政担当者の間でも話題になったとされる[5]。
名称[編集]
駅名は、当初計画で「新名古屋中央駅」とする案があったものの、行政手続の簡素化を理由に省略され、現在の「新名古屋駅」になったとされる[6]。また、地元紙では、愛称募集の際に「シンナゴ(通称案)」が同率首位になったものの、最終的に採用されなかった経緯が報じられている[7]。
名称の「新」は、旧来の名古屋駅から“新しい時刻の流れ”を接続するという意味が込められたと説明されている[8]。ただし、この解釈は当時の運輸審議会で異論もあり、「単なる開発の宣伝文句にすぎない」との指摘が残されたとされる[9]。
なお、駅舎の壁面には「Shin-Nagoya / 時刻は人のためにある」という二言語標語が刻まれているが、完成直前に追加されたため、設計図書には初期記録が存在しないとされる[10]。
沿革/歴史[編集]
構想と“からくり時刻”構想[編集]
新名古屋駅の構想は、39年(1964年)に起きた架空の「地下通路混雑計測事件」に端を発したとされる[11]。市の技術者が、歩行者の平均速度を1秒単位で再現できていなかったことが発端となり、「時計が人を行動させるなら、時計自体も設計すべきだ」という結論に至ったと説明されている[12]。
このとき、渡辺精一郎は、時刻表示を“情報量”として捉え直す必要を説き、次工程で駅舎ドームの形状まで含めた検討が進められたという[13]。具体的には、反響のための天井面を、直径約28.4メートルの反射帯として設計し、そこに微細なリブ(溝)を237本刻む案が採られたと伝えられている[14]。
建設、そして増殖した細部[編集]
建設は46年(1971年)に着工し、工期は当初36か月予定であったが、実際には41か月だったとされる[15]。遅延の主因として、ドームの“角度微調整”が何度も行われたことが挙げられており、最終的に測定誤差を0.7度以内に収めたと記録されている[16]。
さらに、駅構内の案内板には、文字サイズを平均で「徒歩距離に対して一定の読み取り倍率」になるよう調整した計算が施されたとされる[17]。一説には、表示用の白色塗料の反射率が0.84を下回ったため、塗り直しが命じられたとも語られている[18]。この“増殖した細部”が、後に駅が観光資源化する伏線になったとされる[19]。
運用初期と社会への波及[編集]
開業初年度、乗降客は約1億2,630万人に達したと報告された[20]。ただし、報告書の脚注には「投影光の視認性を理由に、遠回り導線が一部で採用されたため、実質的には“行動距離”が延びている」旨が記されているとされる[21]。
このことが、近隣商店街の回遊動線を“駅の光に引き寄せられる形”で再設計するきっかけになったとされる[22]。実際に、の街路担当課が、光パターンに合わせて店頭看板の色温度を統一する「光照合基準」を試行したという[23]。一方で、視覚刺激が強すぎるとして、当時から「夜間の目眩リスク」が論点化し、批判も一部で生じたとされる[24]。
施設[編集]
新名古屋駅の駅舎は、双層のジオデシックドームで構成されており、外層の直径が約92.0メートル、内層の直径が約71.6メートルとされる[25]。この二重構造は、雨天時の反射音を整えるとともに、冷暖房の負荷を分散させる目的で導入されたと説明されている[26]。
中央改札は、反響サイネージを備えた半円形ホールとして整備されている[27]。利用者の声量を平均し、次の案内を“最も誤解されにくい音圧帯”で流す設計だとされ、初期導入の段階では測定機器が過剰に高価だったため、予算調整が行われたとも伝えられている[28]。
また、からくり時計は「反響する針」という方式を採用しており、時刻の秒針が振動するときに同調する小型スピーカーが付随する[29]。この仕組みにより、時計を見ない人にも“秒の刻み”が体感されるとして、開業当時に話題になったとされる[30]。
駅前広場には「光の回廊彫刻(全長118.5メートル)」が設置され、番線ごとに色相が変化するとされる[31]。もっとも、夜間の色相変化が派手すぎるとして、抗議文が3回提出された記録が残っているとする資料もある[32]。
交通アクセス[編集]
新名古屋駅は、高架一体型ターミナルとしてとの乗換拠点になっているとされる[33]。駅前には「停止よりも着席を早く」という方針のもと、バス停が3系統に分けられ、平均乗車時間が2分14秒短縮されたと報告された[34]。
徒歩動線は、駅舎から半径400メートル以内に3本の回廊を配置する設計であり、雨天時でも傘が不要になる“傘不要率”を97%にする目標が掲げられたとされる[35]。ただし、実測では92%にとどまったという訂正が後年になされている[36]。
自転車は、駅地下の「静音ラック群」に集約されており、サドル接触による異音を抑えるために、金属部品の硬度をHV 420前後に揃える方針だったとされる[37]。この“工学的こだわり”が、結果的に自転車利用者のマナー意識を高めたとする見解がある一方で、メンテナンス費の高さが指摘されている[38]。
文化財[編集]
新名古屋駅は、駅舎ドーム構造と反響サイネージの統合技術が評価され、の「近代交通音響遺構」として登録されている[39]。登録理由として、利用者の聴覚体験を都市計画の一部として扱った点が挙げられている[40]。
また、からくり時計機構は、機械式と音響同期の複合として珍しい事例とされ、部材の保存状態が良好であることから、に準じる扱いで保全計画が立てられたと報じられている[41]。ただし、時計内部の減速機構が摩耗しているため、将来の部品交換をどうするかが課題となっている[42]。
一部では、駅全体が“文化財のように扱われすぎている”との見方もあり、利用者が観光客対応に巻き込まれることがあるとされる[43]。このため、展示色を抑える調整が繰り返され、結果として色相が一時的に「規定よりも青寄り」になった時期があったという[44]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『からくり時刻の建築学』渡辺工房出版, 1976.
- ^ 名古屋市交通局『新名古屋駅開業報告書』第3別冊, 名古屋市, 1975.
- ^ 田中啓介「音響反射帯による案内精度の改善」『日本都市交通技術論文集』Vol.12第4号, pp.55-71, 1978.
- ^ 山崎礼子『ドーム駅舎と耐震ブレースの実務』技術評論社, 1981.
- ^ Katherine R. Morton, “Echo-Signage and Passenger Cognition in Dome Stations”, Journal of Transit Design Vol.7 No.2, pp.101-129, 1986.
- ^ 中村勝彦『駅前広場の光演出と商業回遊』中部経済研究所, 1990.
- ^ 運輸審議会『交通情報の標準化に関する調査(新名古屋案)』第◯巻第◯号, 運輸審議会, 1972.
- ^ 愛知県教育委員会『近代交通音響遺構の選定基準と例示』愛知県教育委員会資料, 2009.
- ^ S. Hattori, “Color Temperature Unification in Retail Streets: A Case of Shin-Nagoya”, Proceedings of the East-Asian Urban Systems Symposium Vol.3, pp.220-238, 2011.
- ^ 雑賀慎太郎『駅舎の高さは都市の気分を決める』新建築出版社, 1984.
外部リンク
- Shin-Nagoya Station Heritage Portal
- 反響サイネージ研究会アーカイブ
- 名古屋光照合基準メモリアル
- 渡辺精一郎アトリエ所蔵資料
- 東海環状線タイムテーブル・データベース