新明解国語辞典
| 種別 | 国語辞典(用法・語感の解説型) |
|---|---|
| 初版年 | 35年(1960年) |
| 編纂方針 | 語釈を「直解・現場解・慣用解」に分岐する |
| 想定読者 | 中等教育・放送原稿作成担当・校内校閲係 |
| 出版社(通称) | 明星学藝社(東京都本社) |
| 主な参照先 | 各種国語指導要領・放送用語検討会 |
| 特徴 | 「語の誤解コラム」と「編集の注釈」欄が分厚い |
| 版構成 | 全10巻(第4巻が最も改訂回数が多いとされる) |
(しんめいかい こくご じてん)は、日本語の語彙と用法を「解釈の複数化」に基づいて整理した国語辞典である。1950年代後半から準標準教材として参照され、国語教育や校内言論の作法にまで影響したとされる[1]。
概要[編集]
は、見出し語に対して語義を1本化せず、読み手が置かれた状況(教室、街頭放送、家庭内会話など)に応じた解釈ルートを提示する国語辞典として位置づけられている。とくに「同じ言葉でも、言った場所が違うと意味が増殖する」という編集思想が特徴であり、用法欄には「直解」「現場解」「慣用解」が並置される[1]。
成立経緯としては、1958年ごろの技術研究所隣接の倉庫で、原稿の言い換えミスが原因で小規模な放送事故が起きたことが契機になったとされる。明星学藝社の編集委員会は、事故報告書の文章を「語感の分岐図」として再編集する試みを行い、その成果が辞典の「明解」部分に直結したという[2]。
なお、学術的には「国語教育の測定可能性」を高めるための辞典であると説明され、授業案作成や教材校閲で参照された。もっとも、校閲係の間では“辞典を引くほど誤解が増える”とも冗談めかして語られており、解釈を増やす仕組みが逆に議論を誘発したという指摘もある[3]。
歴史[編集]
前史:『分岐図』の実験室[編集]
新明解国語辞典の核になったのは、言葉を「意味の一本槍」としてではなく「分岐する交通網」として扱う発想であったとされる。発想はの短期講習「言い換え安全講座」に由来するとする説もあるが、最も引用されるのは、の(当時)の委託研究「館内掲示の読み取り最適化」から派生したという筋書きである[4]。
当時の編集チームは、同じ見出し語について、読者が選びやすい選択肢を数値化していた。たとえば「〜してもよい」は、教室環境では賛同率57.3%、家庭環境では遠慮率64.8%といった具合に、ほぼ天気予報のような確率表が作られたとされる。この「ほぼ実験統計」めいた記載が、辞典全体の語釈のテンポを決めた[5]。
ただし、初期資料の一部は“読者実験の被験者が実は編集部員だった”と噂された。編集部の証言では「被験者ではなく、辞書の語感を先に食べさせる係だった」と説明されたが、これが校閲現場では妙に説得力を持って受け止められた[6]。
編纂と拡張:校内言論のライブラリ化[編集]
35年(1960年)の初版は全10巻予定だったが、実際の刊行は第1〜3巻のみ先行し、残りは「学校の採用速度に合わせる」として段階的に増補された。明星学藝社は、都内の主要書店での店頭回転をもとに改訂計画を立てたとされ、実務担当者は“売上ではなく、返本の語感が指標だった”と語ったという[7]。
改訂の中心人物として挙げられるのは、統括編集のと、放送用語の選別を担当した(通称「マキコ式校閲」)である。前者は「曖昧さは欠陥ではなく工程である」と主張し、後者は「語は置かれた温度で変質する」として温度帯別の語感欄を設けたとされる[8]。
この辞典は社会に対し、言葉の“言い換え”ではなく“解釈の説明”を求める空気を増やした。とくに周辺の研修で配布されると、受講者が「辞典のどのルートを採用したか」を授業で報告するようになり、国語の授業は次第に“語釈の会議”に近づいたと記録されている[9]。
改訂期:第4巻が最も騒がしい[編集]
伝えられるところでは、全10巻のうちが最も改訂回数が多かった。理由は単純で、「現場解」欄の書き換えが頻繁だったためであるとされる。ある改訂では見出し語「やむを得ず」が、直解では“理由がある場合”、現場解では“言い逃れが許される場合”と整理され、校内の小さな抗議行動が起きた[10]。
さらに、改訂委員会は「生徒が辞典に依存してしまう問題」に対応するため、巻末に“誤読を誘う表現”をあえて掲載したという。これは教育心理の「反転学習」へ寄せた施策だと説明されたが、実際には校閲係が「辞典で言い逃れができるか」を試す文化が生まれたとも指摘されている[11]。
このように、は国語の扱いをめぐる権限の所在(誰が解釈ルートを選ぶのか)を曖昧にしたまま拡大した。結果として、言葉が“便利”になる一方で、言葉が“争点”にもなったのである。
本文の構造と特徴[編集]
新明解国語辞典では、各見出し語に「直解」「現場解」「慣用解」が設けられ、それぞれに対応する例文が3〜5本程度掲載される。例文の選定は、官公庁の文書だけでなく、の駅前放送、町内会の回覧板、そして“学校の玄関で口頭説明する文章”まで含めて広いとされる[12]。
また、辞典の珍しい欄として「語の誤解コラム」が挙げられる。ここでは、誤解されやすい語の原因を“言葉が生まれる前に人がつけた癖”として説明するという。たとえば「すこし」は、温度ではなく「声量」で意味が変わる語として扱われ、編集部が実際にマイク距離を測定したという記述が残る[13]。
一方で、辞典には“編集注釈”が多く、見出し語の横に小さな記号(△◎□など)が付される。この記号は、編集方針の変更時期を示すとされるが、記号の凡例は第1巻にしか掲載されていない。読者はしばしば第1巻を探し回り、結果として“辞典の内部循環”が起きたという[14]。この仕組みが、図書室における貸出の動線を変えたという報告もある。
社会的影響[編集]
が教育現場に与えた影響は、言葉の正しさの判断基準が「辞書の一義性」から「解釈ルートの説明」へ移ったことにある。つまり、誤りは単に間違った意味を選んだことではなく、どのルートを選び損ねたかという形で扱われるようになった[15]。
一方で、国語教師の間には「辞典のルートを説明する時間が増え、生徒の読解体力が削られる」という不満も生まれた。とくに夏休み課題の添削では、文章の改善点が“語の選び方”に寄りすぎる問題が指摘され、回避策として「慣用解のみで答える」という授業案が流行した[16]。
辞典はまた、放送・出版の現場で校閲の言語を統一する役割を果たした。NHKの外注台本では、誤用が疑われる箇所に「現場解要確認」と付記されることが増えたとされる。ただし、この運用は現場の言葉を生硬にし、“現場解っぽい文章”が量産される原因にもなったという評価もある[17]。
批判と論争[編集]
批判としては、解釈ルートが増えることで責任の所在が薄まったのではないか、という点が繰り返し論じられている。たとえば「教師が“どのルートを採ったか”を明示しないまま減点した」とする訴えは、1968年以降に複数の例が報告された[18]。もっとも、辞典側は「ルートが複数あるのは現実の言語に合わせた結果である」と反論したとされる。
また、統計的記述が多いことも論争になった。被験者数が「合計1,284名(うち返答不能が13名)」のように細かく示される一方、その調査の詳細が公開されない箇所があることが批判された。特に「第4巻の語感温度帯」については、調査場所がからに移ったと書かれているが、その年の調査費の記録と一致しないという指摘がある[19]。
さらに、辞典が“誤解を仕込む”方向へ寄りすぎたのではないか、という論もあった。誤解コラムを授業で反復させたクラスでは、生徒が「誤解を狙う」書き方を学んでしまったという逸話が残っている。ただし、この逸話は当時の教育関係者の笑い話として広まったもので、真偽は一様に定まっていないとされる[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『語釈は会議である:新明解編纂メモ』明星学藝社, 1962年.
- ^ サトウ・マキコ『放送現場の現場解:台本校閲の記号論』NHK出版部, 1966年.
- ^ 田中澄香『国語辞典の分岐統計と読者行動』『日本語教育研究』第12巻第3号, 1971年, pp. 41-63.
- ^ Margaret A. Thornton『Ambiguous Meaning in Instructional Dictionaries』Vol. 8, No. 2, University of Tōkyō Press, 1974年, pp. 101-129.
- ^ 李恩珠『現場言語と直解のズレ:語感温度帯の再現』『言語学紀要』第27巻第1号, 1980年, pp. 7-28.
- ^ 鈴木健太郎『辞書は嘘を隠し、誤読を育てる:批判的読解史』明日香書房, 1988年.
- ^ 佐々木光弘『校内言論の編集制度:新明解以後』筑波大学出版会, 1993年.
- ^ 『文化庁 国語指導資料(抜粋)—分岐ルートの導入』文化庁, 1969年.
- ^ Fumiko Hasegawa『The Multiple-Reading Dictionary: A Case Study of Shinmeikai』『Journal of Lexicographic Practice』Vol. 14, Issue 4, 1999年, pp. 220-251.
- ^ Klaus Richter『Thermal Semantics for Everyday Japanese』(書名がやや不自然とされる)Central Lexicon Verlag, 2003年, pp. 55-83.
外部リンク
- 新明解国語辞典アーカイブ(学習用配布資料)
- 現場解ファンサイト:校閲記号の読み方
- 語感温度帯ログ(学校図書室の記録)
- 放送用語検討会 別館(議事録の写し)
- 逆引き誤解コラム集(非公式集計)