新谷昌正
| 氏名 | 新谷 昌正 |
|---|---|
| ふりがな | しんたに まさまさ |
| 画像 | Shintani_Masamasa_1968.jpg |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像説明 | 1968年の社内式典で撮影された新谷 |
| 生年月日 | 1947年11月8日 |
| 没年月日 | 2011年4月17日 |
| 出生地 | 東京都中央区日本橋堀留町 |
| 死没地 | 神奈川県鎌倉市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 実業家、経営者 |
| 配偶者 | 新谷芳枝 |
| 子供 | 2人 |
| 親 | 新谷庄三 |
| 親戚 | 新谷和文(義弟) |
| 出身校 | 都立第一商業高等学校 |
新谷昌正(しんたに まさまさ、[[1947年]]〈[[昭和]]22年〉[[11月8日]] - [[2011年]]〈[[平成]]23年〉[[4月17日]])は、[[日本]]の[[実業家]]、[[経営者]]。[[新谷総合資本研究所]]創業者であり、湾岸再開発型の社内制度「反転予算制」を一代で築き上げた経営者である。なお、[[東京都]][[中央区]]の旧繊維問屋街を基盤に、[[不動産]]・[[物流]]・[[出版]]を横断した独自の企業連合を形成したことで知られる[1]。
概要[編集]
新谷昌正は、戦後の[[東京都]]において、問屋・倉庫・出版を束ねる複合企業を築いた人物である。とりわけ、在庫を「眠らせるほど価値が増す」という独自の発想から、社内に半ば儀礼化された会計制度を導入したことで知られる。
同社はのちに[[千葉県]][[湾岸地域]]の物流地帯へ進出し、1970年代末には自動仕分け倉庫と冊子流通網を一体運用する体制を整えた。もっとも、この方式は当時の大蔵省関係者から「数字がきれいすぎる」と警戒されたともされ、いくつかの記録は現在も要出典のままである[2]。
来歴[編集]
生い立ち[編集]
新谷は、繊維商を営む新谷庄三の長男として生まれた。幼少期は[[日本橋]]の帳場で過ごし、そろばんより先に伝票の裏紙で図面を引く癖があったと伝えられる。都立第一商業高等学校では簿記部に所属したが、部室では決算よりも「どの棚に置くと商品が減って見えるか」を研究していたという。
[[1965年]]に卒業後、家業を手伝う形で問屋業に従事した。のちに本人は「商売とは、倉庫の奥行きをいかに心理学で補うかである」と語ったとされるが、同発言は社内報にしか残っていない。
創業[編集]
[[1969年]]、22歳で新谷は[[中央区]]八丁堀にて新谷総合資本研究所を設立した。名目上は市場調査会社であったが、実態は繊維在庫の再評価、船舶積荷の分散管理、そして会議録の異様な長文化による金融機関対策を兼ねた組織であった。
[[1973年]]の第一次オイルショック後、同社は空き倉庫を「季節保管施設」と呼び換えて急成長した。[[1974年]]には都内3区で12棟の倉庫を管理し、売上高は推定で14億8,600万円に達したとされる[3]。この頃、後の主力商品となる「反転予算制」が導入され、年初の予算を低く見積もり、年度末に利益を倉庫稼働率へ変換する仕組みが整えられた。
事業拡大[編集]
[[1981年]]、新谷は[[千葉県]][[市川市]]に大型複合物流拠点「市川北口リファレンス・センター」を開設した。ここでは倉庫の上階に編集室、地下に保税型冷蔵庫を置くという、当時としてはきわめて奇抜な設計が採用された。
[[1986年]]には[[印刷]]・[[出版]]部門を統合し、月刊誌『在庫の思想』を創刊した。同誌は業界紙でありながら、特集記事に「棚卸しと禅」「搬入口の倫理学」などを掲載し、経営者層の一部に熱狂的に読まれた。なお、発行部数は創刊半年で7万2,000部に達したとされるが、残部の行方については確認されていない[4]。
晩年[編集]
[[2000年代]]に入ると、新谷は事業を長男に譲りつつ、鎌倉の自邸で「港湾俳句会」を主宰した。晩年は経営に関する講演よりも、倉庫の梁に吊るした風鈴の音で月末の在庫を判断する方法を好んだという。
[[2011年]]4月17日、[[神奈川県]][[鎌倉市]]で死去した。63歳没。葬儀では取引先から花輪の代わりに白い段ボールが多数届き、会場の入口に積まれたため、一般参列者の一部が誤って搬入口から入場したと伝えられる。
人物[編集]
新谷は、数字に強い経営者として知られる一方、会議を15分単位で切り上げる癖があった。理由については「16分目からは人間が倉庫化する」と説明したとされ、部下はそれを半ば社訓として暗記した。
経営哲学は一見合理的であるが、実際には儀式性が強かった。たとえば重要案件は必ず午前9時17分に始まり、机上の鉛筆を東西南北に4本ずつ並べたうえで、最後に封筒へ社印を押す順番まで決められていた。秘書室の記録では、これにより決裁速度が平均で23%向上したとされるが、社内の空気がやや神職的になったとの指摘もある。
家族・親族[編集]
父は繊維問屋の新谷庄三、母は新谷みちゑである。妻・芳枝は元百貨店の外商担当で、後年は社内の広報文案を事実上取り仕切った。長男の新谷正彦は物流部門を継ぎ、次男の新谷昌人は出版統括を担当した。
親族のうち、義弟の新谷和文は港湾設備の設計に関わり、反転予算制のための「余白率計算式」を共同開発したとされる。また、遠縁には[[神奈川県]]の寺院で金庫番を務めた人物がおり、新谷家の帳簿文化はそちらから受け継がれたという説がある。
栄典・受賞[編集]
新谷は[[1989年]]に「日本複合物流振興賞」を受賞し、[[1994年]]には[[東京都]]商工功労章を受章した。さらに[[1998年]]、[[経済同友会]]の特別表彰を受けたが、表彰状の肩書が「倉庫思想家」となっていたため、本人は終生たいへん気に入っていたという。
一方で、[[2002年]]に授与されたとされる「港湾整理文化勲章」は公的記録に見当たらず、社内展示室にのみ掲げられている。新谷自身は「勲章は倉庫の奥で輝くものが本物である」と述べたとされる。
著書[編集]
新谷の著書には、『棚卸しの倫理』([[1987年]])、『反転予算入門』([[1991年]])、『港を読む経営学』([[1999年]])などがある。いずれも実務書の体裁を取りつつ、章末に謎の俳句が挿入されていることで知られる。
とくに『棚卸しの倫理』は、[[日本経済新聞社]]の書評欄で「会計の皮をかぶった宗教詩」と紹介され、初版2万部が3か月で完売したとされる。また、未完の草稿『倉庫はなぜ夜に歌うか』は、遺族の意向により非公開資料となっている。
出演[編集]
新谷は[[NHK]]の経済番組『月曜経営図鑑』、[[テレビ東京]]の『朝まで倉庫』などに出演した。いずれも本業の説明というより、倉庫の床を指し示しながら未来の需給を語る映像が視聴者の印象に残った。
[[1995年]]の特番では、[[東京都]][[江東区]]の冷蔵倉庫前で「経営とは温度差の統制である」と発言し、当該回の平均視聴率は11.8%を記録したとされる。なお、本人は出演後に「照明が明るすぎて在庫が恥ずかしがった」と感想を述べたという。
批判と論争[編集]
新谷の手法は、合理化された在庫操作として評価される一方、過度に演出された財務報告を生んだとして批判も受けた。とくに[[1990年代]]後半には、反転予算制が「実態よりも余白を売る制度」として[[大蔵省]]関係者の調査対象になったとされる[5]。
また、同社が倉庫内に編集室を設置した件については、労働安全上の問題や、原稿用紙に結露が生じる点が指摘された。もっとも、新谷は「湿度は校正の味を深くする」と反論し、社内ではそのまま採用された。
脚注[編集]
[1] 新谷総合資本研究所社史編纂室『反転予算史料集』1988年、pp. 14-29。 [2] 田村一志「戦後倉庫業における儀礼化会計の成立」『経営史研究』Vol. 41, No. 2, 2004年, pp. 88-91。 [3] 八木橋俊也『湾岸物流と都心問屋の転換』中央経済社, 1977年。 [4] “Circulation and the Poetry of Storage,” Journal of Applied Warehouse Studies, Vol. 7, No. 1, 1990, pp. 3-19. [5] 小宮山礼子「反転予算制の制度的限界」『会計と余白』第12巻第4号, 1999年, pp. 201-224。 [6] 新谷昌正講演録編集委員会『倉庫の声を聴く』新谷出版部, 2001年。 [7] “The East Tokyo Logistics Myth,” Pacific Business Review, Vol. 19, No. 3, 2002, pp. 55-67. [8] 佐伯篤『港湾経営と段ボール文化』日本港湾研究会, 2008年。 [9] “On the Administrative Uses of Empty Shelves,” Asian Journal of Corporate Rituals, Vol. 2, No. 4, 2010, pp. 117-130. [10] 新谷芳枝『社長の机はなぜ東を向くか』私家版, 2012年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 新谷総合資本研究所社史編纂室『反転予算史料集』新谷出版部, 1988年.
- ^ 田村一志「戦後倉庫業における儀礼化会計の成立」『経営史研究』Vol. 41, No. 2, 2004年, pp. 88-91.
- ^ 八木橋俊也『湾岸物流と都心問屋の転換』中央経済社, 1977年.
- ^ 小宮山礼子「反転予算制の制度的限界」『会計と余白』第12巻第4号, 1999年, pp. 201-224.
- ^ 新谷昌正講演録編集委員会『倉庫の声を聴く』新谷出版部, 2001年.
- ^ 佐伯篤『港湾経営と段ボール文化』日本港湾研究会, 2008年.
- ^ “The East Tokyo Logistics Myth,” Pacific Business Review, Vol. 19, No. 3, 2002, pp. 55-67.
- ^ “Circulation and the Poetry of Storage,” Journal of Applied Warehouse Studies, Vol. 7, No. 1, 1990, pp. 3-19.
- ^ 池内真澄『在庫の思想史』東京商工出版会, 1993年.
- ^ “On the Administrative Uses of Empty Shelves,” Asian Journal of Corporate Rituals, Vol. 2, No. 4, 2010, pp. 117-130.
外部リンク
- 新谷総合資本研究所アーカイブ
- 湾岸物流史デジタル博物館
- 日本反転予算学会
- 都心問屋文化研究センター
- 港湾経営口述史ライブラリー