新谷音歩
| 分野 | 音響民俗学、都市歩行研究 |
|---|---|
| 提唱時期 | 1927年頃 |
| 提唱者 | 新谷 寅次郎ほか |
| 由来 | 街路の足音を記譜する実験 |
| 主な対象 | 通勤者、行商人、祭礼の行列 |
| 関連機関 | 東京帝国大学都市音歩研究会 |
| 初の体系化 | 1934年『音歩記譜要綱』 |
| 実施地域 | 東京都、神奈川県、名古屋市周辺 |
| 通称 | ネホ式 |
新谷音歩(しんやねほ)は、のにおいて用いられる、歩行のリズムを音節として記録するための基礎概念である。もともとは末期にの周辺で試みられた街路観測の副産物として成立したとされる[1]。
概要[編集]
新谷音歩は、歩行に伴う音の連なりを、拍ではなく「音歩」として扱うための考え方である。特に、石畳、板張りの廊下など、反響の異なる場所で生じる微細な足音差を記録する際に用いられたとされる。
この概念は、当初は内の通学路調査の補助指標であったが、やがての港湾地区やの商店街にも応用された。なお、1930年代には一部の研究者が、歩行者の心理状態を音歩の間隔から推定できるとして拡張解釈を試みている[2]。
成立史[編集]
街路観測からの分岐[編集]
起源は、の下宿街でが行った「夜間歩行音の採譜」である。彼は当初、理学部の実験音響室に提出するため、下駄・革靴・軍靴の音を同一紙面上に並べていたが、同行していた学生助手のが「歩き方そのものが旋律を持つ」と指摘したことから、音歩という独立の単位が仮設された。
研究ノートには、深夜2時17分にからへ向かう人々の足音が、十七拍ごとに不自然な偏りを示したと記されている。これは当時の電車発着との巡回時刻が重なったためとされるが、のちに新谷はこれを「都市が人に歩かせる律動」であると解釈し直した[3]。
体系化と普及[編集]
、は『音歩記譜要綱』を刊行し、新谷音歩を「1音歩=半歩から3歩までの反復的聴覚単位」と定義した。もっとも、この定義は会員ごとに異なり、出身の研究者は商人の足運びを基準にし、の会派は寺院敷地の砂利音を優先したため、実務上はかなり曖昧であった。
しかし、10年代にはの地域生活調査に準じる形で、駅前広場の混雑解析や祭礼行列の整列確認に利用されるようになった。特にの雷門前で採られた1938年の記録は、雨天時に音歩が通常の1.8倍に伸びるとして知られている[4]。
戦後の再解釈[編集]
戦後になると、新谷音歩は都市計画よりも教育分野で再評価された。、の試験教材試作班が、児童に「同じ道でも朝と夕方で歩き方が変わる」ことを理解させるため、音歩図を用いた副読本を作成したのである。
この副読本はの閉架に長く残されていたが、1960年代後半に民俗芸能研究者のが偶然発見し、民謡の足拍子との共通性を論じたことで再び注目を浴びた。なお一部の研究では、音歩が人間関係の緊張や恋愛感情の変化を示すという説も提示されたが、これは会議での拍手の長さを誤読した可能性が高いとされる[5]。
理論と測定法[編集]
新谷音歩の測定には、通常のやではなく、独自の「歩間」「余韻」「戻り音」が用いられた。歩間は二歩のあいだに生じる空白、余韻は靴底や路面に残る反響、戻り音は振り返り動作に伴って増幅される再鳴を指す。
研究会では、これらを記録するために製の簡易録音機と、の文具店で特注した方眼紙を併用した。記譜者は左手で秒針を追いながら右手で線を引く必要があり、熟練者でも1時間に14件程度しか正確に写し取れなかったという。
一方で、1958年にの埠頭で行われた実地試験では、貨物荷役の規則的な振動が音歩として誤認される事故が起きた。これを受けて研究会は「歩行者の意志なき反復は音歩と認めない」という補則を追加したが、逆に定義が複雑になり、一般向け普及を妨げたとの指摘がある。
社会的影響[編集]
新谷音歩は、都市の混雑把握だけでなく、通勤者の「歩行衛生」を測る理念として広まった。後半にはの一部駅で、改札周辺の滞留時間を音歩に換算して掲示する試みまで行われ、乗客からは「妙に納得できる」と好評であったという。
また、の間では、客足が鈍る季節に音歩の長いポスターを掲出すると滞在時間が延びるという経験則が共有された。ただし、のある映画館で行われた実験では、上映前の案内放送が長すぎたため来場者の音歩が崩壊し、以後この手法は「過度な音歩操作」として自粛された。
1970年代以降は、やが継承し、観光地の回遊性評価にも使われた。特にの小町通りでは、土産物店の軒先ごとに異なる音歩が生じるとして、3年間にわたり観測が続けられたが、最終報告書の半分以上が「雨の日は全部変わる」で終わっていた[6]。
批判と論争[編集]
新谷音歩に対しては、当初から「測定単位が感覚に寄りすぎている」とする批判があった。特にの生理学者は、音歩は文化的所産であって自然科学的単位ではないと論じ、研究会側と紙上論争を繰り広げた。
また、1930年代後半には、一部の政治学者が音歩を「群衆統制の指標」として軍事転用すべきだと主張したため、研究会は急遽「音歩は民間の歩行観察に限る」との声明を出した。もっとも、この声明が掲載された『都市音歩通信』第12号は発行部数が87部しかなく、実効性はほとんどなかったとみられる。
さらに、1990年代以降の再評価の過程で、創始者とされる新谷寅次郎の実在性そのものが疑問視された。現在では、複数の下宿生・大学助手・地方記者の記録が混線して形成された「共同名義」である可能性が有力とされているが、研究会の会員名簿には最後まで一人分として記載されていたため、結論は出ていない[7]。
受容と文化史[編集]
新谷音歩は学術概念としては周縁的であったが、文学や放送の分野では妙に愛好された。の深夜番組では、街頭録音の合間に「今夜の音歩」が紹介され、聴取者から寄せられた投稿が毎週200通前後に達したという。
の前年には、案内標識の歩行動線を検証するために音歩図が試用されたと伝えられる。実際にはごく短期間の試験で終わったが、のちに都内のデザイン関係者のあいだで「歩行に余白を与える設計」として神話化された。
なお、期のポッドキャスト文化では、駅から駅へ移動しながら収録する番組が「音歩配信」と呼ばれたことがある。これは新谷音歩の直接の継承ではないが、歩行のリズムを編集単位にする発想として、研究者の一部は関連を認めている[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 新谷寅次郎『音歩記譜要綱』都市音歩研究会、1934年.
- ^ 岡村ミサヲ『街路における足音の反復』東京帝国大学出版部、1931年.
- ^ 戸田一枝「歩拍と民謡の接点」『日本民俗音響学雑誌』Vol. 8, No. 2, 1968, pp. 41-59.
- ^ Eleanor M. Grant, Urban Footfalls and Acoustic Units, Cambridge Civic Press, 1952.
- ^ 宮地栄造「音歩概念の自然科学的限界」『京都大学生理学紀要』第14巻第1号, 1939, pp. 3-21.
- ^ 田所俊彦『通勤者の律動とその社会学』岩波書店、1959年.
- ^ H. K. Llewellyn, The Measure of Walking Sounds, Journal of Municipal Acoustics, Vol. 11, No. 4, 1971, pp. 201-228.
- ^ 新谷音歩研究会編『都市音歩通信 総目次』私家版、1982年.
- ^ 鈴木百合子『歩行衛生の理論と実践』中央公論新社、1998年.
- ^ Thea J. Morrison, Notes on Neho Rhythm in Postwar Japan, East Asian Urban Studies Review, Vol. 6, No. 1, 2007, pp. 77-95.
- ^ 藤原義信『新谷音歩とその周辺の奇妙な実地調査』港区文化資料室、2015年.
外部リンク
- 都市音歩研究会アーカイブ
- 日本民俗音響学会年報データベース
- 歩行文化資料館オンライン目録
- 東京街路観測史料集
- 港区近代音歩研究センター