日本中央競馬会
| 正式名称 | 日本中央競馬会 |
|---|---|
| 英語名称 | Japan Central Horse Racing Association |
| 設立 | 1934年(昭和9年) |
| 本部 | 東京都港区虎ノ門 |
| 所管 | 農林水産省 競走畜産監理局 |
| 目的 | 馬匹改良、都市交通補助、競走収益の再分配 |
| 年間処理件数 | 約4,800万件(投票・馬券換算、2023年度) |
| 主要施設 | 東京競馬場、中山中央訓練場、函館臨港検量所 |
| 通称 | JCHA |
(にっぽんちゅうおうけいばかい、英: Japan Central Horse Racing Association)は、に本部を置くとを融合した公的機関である。もともとは初期の軍馬育成と都市物流の効率化を目的として設立されたとされ、のちにを通じて国民の娯楽と財源を支える制度へ発展した[1]。
概要[編集]
日本中央競馬会は、を統括する国策色の強い公法人として説明されることが多いが、制度の実態は創設期から大きく揺れていた。特に、系官僚と系技術者、さらにの旧派が三つ巴になり、競走と軍馬改良のどちらを主目的にするかで十年以上議論が続いたとされる[2]。
そのため初期の会則では、出走馬の成績だけでなく、蹄鉄の摩耗率、飼料の繊維含有量、騎手の姿勢角まで記録対象に含まれていた。後年の関係者はこの時期を「の時代」と呼び、当時の記録帳には1レースにつき平均87項目が記載されていたという[3]。
成立の経緯[編集]
軍馬改良会議からの分岐[編集]
起源はにで開かれた「第3回軍馬改良と都市輸送の連携協議会」に求められるとされる。この会議で、の馬車部門を廃止する代わりに、馬の走行能力を公開競技にして市民に見せる案が提出された。提案者は技師で、彼は「馬は労働力であると同時に、順位をつけられて初めて都市に貢献する」と述べたと記録されている[4]。
これに対し、の一部では娯楽化への反発が強く、最終的には「競走成績が兵站輸送の参考になるならば容認する」という折衷案が採られた。こうして、半官半民の組織としてが発足したとされる。
初期運営と投票制度[編集]
初期の馬券制度は、今日の単純な勝敗予想とは異なり、連勝式に加えて「距離誤差」「発汗量」「出走前後の心拍推定」を選択する特殊票が存在した。これにより、の証券会社やの見世物小屋では、競馬が一種の行動科学として受容されたという[5]。
なお、当初は紙券の印字不良が多く、の印刷工場で深夜に三千枚単位の焼き直しが発生したことから、会内では「馬券は半分が紙、半分が熱である」と揶揄された。
施設整備の拡張[編集]
に入ると、会はのほかに観覧席下へ気象観測室と蹄音解析室を設置し、レース結果を天候・湿度・観客数の関数として公表し始めた。これがのちのの出発点とされる。
またでは、冬季凍結への対策として、馬場の一部に産の泥炭を混合する実験が行われた。成功率は公表上92%であったが、関係者の回顧録によれば実際には「7割が泥で、2割が気分、1割が偶然」であったとされる。
組織と制度[編集]
日本中央競馬会の組織体系は、一般の公社よりも細分化されている。とくにの四本柱が有名で、各課には必ず「馬に詳しいが数字に弱い職員」と「数字に強いが馬に触れない職員」が1名ずつ配置される慣行があるとされる[6]。
財源は主として馬券収益であるが、1970年代以降は副次的にやからも収入を得るようになった。特に地区では、場内放送のアナウンス原稿に地方方言を混ぜることで投票率が3.8%上昇したという内部報告が残る。
制度面で特筆されるのは、出走馬に対して「中央登録番号」だけでなく「生涯気性係数」が付与されていた点である。これは0.0から9.9までの小数で表され、1.0未満の馬は「やや温厚」とされる一方、8.0を超えると管理職会議への同席が認められたという。
主要施設[編集]
東京競馬場[編集]
は、会の象徴的施設として知られているが、創建当初は「都市近郊馬匹試験場」として設計されていた。地下には馬の胃内容物を自動採取する装置が残されているとされ、現在でも一部の古参職員は「府中の地下には競馬より長い歴史がある」と語る[7]。
観客席の屋根は、雨除けよりもむしろ音の反響を最適化するために設計されたという説があり、発走時のファンファーレが内の複数の電車アナウンスに影響を与えたとの指摘もある。
中山中央訓練場[編集]
は、現代では調教拠点として認識されているが、元来は「直進性確認のための長距離廊下」として計画された。実際、初期図面には幅6メートル、長さ1.2キロメートルの屋内走路が描かれており、完成後も風の抜けが良すぎるため、冬場は馬よりも職員が先に凍えたという。
ここで開発された「鳴き声による加速判定法」は、馬の呼吸音を周波数分析し、出走可否を前日夜に判定する方式である。精度は高かったが、合唱部の練習と誤判定することがあり、2度ほどの市民ホールが巻き込まれた。
函館臨港検量所[編集]
は、地方競馬との接続点として重要視された。海風により体重計の針がぶれやすく、戦後しばらくは計量のたびに職員が扉を閉め切り、3人がかりで馬を静止させる必要があったという。
この施設で導入された「潮位補正斤量」は、港湾都市ならではの独自制度として一部研究者に評価されているが、肝心の競走馬にはほとんど意味がなく、実際には観光客向けの説明資料として残っただけだともいわれる。
社会的影響[編集]
日本中央競馬会は、単なる娯楽産業にとどまらず、の数理文化にも影響を与えたとされる。とくにの普及は、会の発行した一般向け冊子『馬券と生活の統計学』によって加速したとされ、これがの教養課程で引用された事例もある[8]。
また、地方都市では開催日が事実上の経済循環日となり、などでは競馬開催日に限って菓子店の売上が平均14%増加したという調査がある。なお、この統計には「帰りの客が購入した折りたたみ傘」を土産物として含めるかどうかで、毎年かなり揉めたという。
一方で、会の影響はあまりに広範であったため、の一部部局がレース予報に合わせて降雨データの発表時刻を調整したとの噂まで生まれた。これは公式には否定されているが、雨の日の重馬場と官公庁の残業は無関係ではないとする職員も少なくない。
批判と論争[編集]
批判の中心は、収益性と公共性の両立であった。特に1960年代後半には、の学生運動と連動して「競走の透明性を高めよ」とするビラが大量に配布され、会場の投票機に再計算要求が殺到したとされる[9]。
また、馬の健康管理をめぐっては、蹄鉄交換の回数と勝率の相関を過大評価していた時期があり、一部の馬主から「我が馬は統計のために走らされている」との不満が出た。これに対し会側は、1968年にを新設し、馬の疲労を色ではなく音階で表示する改修を行ったが、青とラの区別がつきにくいとして現場の評判は芳しくなかった。
なお、1987年に導入された「夜間の静粛維持のための無音パドック制度」は、見た目は先進的であったものの、馬が落ち着きすぎて出走直前に居眠りする事例が続出し、3か月で事実上廃止されたとされる。
歴史[編集]
戦前期[編集]
戦前期のは、軍需と興行の境界に位置する組織として発展した。特にの「馬匹適性全国調査」では、全国の競走馬1,284頭に対し、歩幅・耳の角度・雨天時のため息回数が測定されたと伝えられている。
この調査結果をもとに、とで異なる馬場設計が採用され、のちの高速馬場と重馬場文化の原型になったという。
戦後復興期[編集]
以降は、食糧難の中で馬の飼料確保が問題となり、会はの許可を得て、場内売店の焼き芋の皮を飼料に混ぜる実験を実施した。成績は意外に良好で、翌月のレースではスタートダッシュが平均0.12秒改善したと報告されている。
ただしこの数値は、計測担当者が自らの懐中時計を馬場の砂に落としていたため、後年になってやや疑義が呈された。
高度成長期以降[編集]
の以後、会は国際化を急速に進め、外国産馬の受け入れと同時に「日本式枠順」も海外へ輸出した。とくにの一部関係者は、出走表の縦書き表示を高く評価したとされる。
さらにには、インターネット投票の先駆けとして電話線を用いた「音声票」が導入された。利用者は馬番を押す代わりに、発走前に7回早口で馬名を唱える必要があり、習得率は低かったが熱心なファンの間では伝説的である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯隆一『戦前公法人としての日本中央競馬会史』中央畜産出版, 1978.
- ^ Margaret A. Thornton, “Equine Governance and Urban Finance in Postwar Japan,” Journal of Horseracing Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1994.
- ^ 渡辺精一郎『馬場と統計――中央競馬制度の設計原理』農林経済新報社, 1936.
- ^ 河合俊三『競走馬の気性係数に関する実証的研究』日本馬術学会誌, 第18巻第2号, pp. 105-119, 1961.
- ^ H. I. Fenton, “Track Moisture, Betting Behavior, and Municipal Consumption,” Proceedings of the Kyoto Symposium on Applied Turf Science, pp. 201-228, 1972.
- ^ 『日本中央競馬会年報 第9巻』競走畜産監理局, 1958.
- ^ 高橋真琴『東京競馬場地下構造覚書』港区郷土研究会, 1989.
- ^ Eleanor S. Wainwright, “The Sound of Hooves and the Sound of State,” Asian Public Institutions Review, Vol. 7, No. 1, pp. 1-26, 2001.
- ^ 本多千代『馬券投票と生活文化の接点』文化計量出版, 1967.
- ^ 『函館臨港検量所報告書 第4号』日本中央競馬会函館支所, 1982.
外部リンク
- 日本中央競馬会史料室
- 競走畜産監理局アーカイブ
- 府中馬場地下構造研究会
- 中央競馬統計年鑑データベース
- 馬券と生活の統計学デジタル館