日本四枠漫画協議会
| 略称 | 四枠協 |
|---|---|
| 設立 | 昭和28年(1953年)10月12日 |
| 目的 | 四コマの「視線遷移」を定量化し、制作手順へ反映すること |
| 所在地 | (仮事務局として運用) |
| 関連分野 | 新聞漫画、読書行動科学、版面設計 |
| 活動手段 | 枠規格案の提案、制作講習、審査会 |
| 主要成果 | 「四枠テンプレート」および採点表の作成 |
| 会員区分 | 漫画家・編集者・視線研究者・印刷技術者 |
(にほんよんわくまんがきょうぎかい、英: Japan Four-Panel Manga Council)は、四コマ漫画のコマ割りを「枠」として標準化しようとした協議体である。1920年代後半から続く「読者の視線設計」研究の系譜に接続する形で成立したとされる[1]。
概要[編集]
は、四コマ漫画の各コマを「導入(第1枠)」「加速(第2枠)」「転換(第3枠)」「回収(第4枠)」として扱い、枠ごとに求められる情報量や視線滞留時間を取り決めようとした団体である。枠という語が示す通り、内容の面白さを否定するのではなく、面白さが生まれる条件を「版面の物理」として記述する試みであったと説明される[1]。
成立の契機は、戦後の紙面復興において、四コマが「読まれる速度」に対して設計不足ではないかという問題提起がなされたことにある。とりわけの夕刊で四コマが難読化したという編集現場の報告が引き金となり、視線計測装置を用いた即席実験が繰り返されたとされる[2]。
なお協議会は、制作現場の“手触り”を重視しつつ、数値は過剰に精緻化する傾向があった。後述するように、各枠で想定する読者の瞬目回数まで採点表に含めたことで、一部からは「漫画の呼吸を罰する会」と揶揄されたとされる[3]。
歴史[編集]
前史:四コマを「枠」と呼び始めた街[編集]
協議会が成立する以前、新聞漫画の編集者は四コマを「連続した絵」として扱うことが多かった。ただしの小規模印刷所で、見開きの版面を均すためにコマ間隔が統一された時期があり、その結果として“第2コマだけ目が止まる”現象が偶然観測されたとされる[4]。この観測が、「偶然を規格へ昇格する」発想の原点になったという。
昭和初期にで開かれた「版面リズム講習会」では、講師のが“枠は読者の体温に触れる境界線である”と説いたと記録されている。講習会の配布資料には、枠ごとの視線遷移を説明するために「第1枠は0.8秒以内に予告が必要」「第3枠は33%の驚き係数が欲しい」といった数値が並び、のちの協議会資料の文体へ影響したと考えられている[5]。
この前史では、実験が体系化されないまま現場の工夫として残り、戦時期の紙事情を経て、戦後の再配分で改めて整理されることになったとされる。ここで協議会の関係者は、「紙の白さ」と「枠の黒さ」の対比が読者の瞬間判断に与える影響を強調したとされるが、当時は根拠となる論文が乏しく、会内では“経験則の数学化”が進められたという[6]。
成立と規格化:協議会が“採点表”を出した日[編集]
の設立は昭和28年(1953年)10月12日とされる。会合の場所はの仮事務局で、議事録には「席数は31、うち研究者は7、印刷技術者は4、漫画家は20」と細かく記されている[7]。設立直後の決定事項は2つだけだったが、どちらも現場を震わせた。
第1の決定は「枠ごとの情報量上限」を提案することである。たとえば第2枠では“説明の語数を最大13語まで”とし、語数カウントには編集補助員が使われた。第2枠の語数超過は「視線停滞による冷却」と呼ばれ、実験では語数が14語に達した回にだけ読者の瞬目率が跳ねたという[8]。
第2の決定は「回収(第4枠)の回数規定」であり、結論が2回出る作品は“二重回収”として減点される扱いとなった。もっとも現場では反発も強く、協議会は「減点はするが、描くことは禁じない」と釈明したと伝わる[9]。ただし講習会の最後には、受講者が自作四コマを提出し、採点表で“枠の呼吸”が採点されたという記録が残っている。
この時期、協議会にはやのような編集者だけでなく、視線研究者のが招かれ、日米混成で採点項目が調整されたとされる[10]。一方で資料には、外国人研究者の理論を日本語に翻訳する際に誤訳が入り、「驚き係数」がなぜか「驚き紙幅係数」になった時期があり、その“誤訳のまま採用”が後に騒動へつながることになる。
活動と手法[編集]
協議会の中心的活動は「四枠テンプレート」の配布と「枠規格案」の提案であった。テンプレートは、紙の端からの余白(版と版で微妙に異なるとされた)を含めて作成され、折り目の位置まで指定されたとされる[11]。
具体例として、第1枠は“視線誘導のための名札提示”を推奨し、名札は文字数が4〜6字に収まる必要があるとされた。第3枠は“転換のための異物投入”で、異物は「食べ物」「乗り物」「謝罪語」のいずれかに分類されるとした。分類の根拠として、の購読者調査で“異物語の出現位置により遷移が分かれる”という分析が持ち出されたが、調査票の回収数はわずか42枚であったという[12]。
また協議会は、印刷技術者の立場から“墨の乾き具合”まで枠設計に含めた。具体的には、乾燥不良によるにじみが第2枠で起きた場合、にじみを装飾扱いするか破綻扱いするかを決める手順書が作られたとされる[13]。この手順書は現場の職人からは好評だったとされる一方、漫画家からは「筆致の自由を、枠で縫い直すようだ」と批判されたとも記されている[14]。
社会的影響[編集]
協議会の影響は、漫画そのものだけでなく、編集の会議体にも及んだとされる。たとえば新聞社の内部では、四コマの掲載可否を巡る会議が「枠レビュー会」と改称され、第4枠の着地が“視線の再起動”に該当するかどうかが議論されたという[15]。
学校教育でも、読解力教材として「四枠読み」の考え方が導入された時期がある。国語の補助教材では、第1枠を“問題提起”、第2枠を“理由”、第3枠を“反転”、第4枠を“まとめ”として扱い、児童が四コマを作る課題が与えられたとされる。もっとも現場では、作った四コマがやたらと教科書っぽい構文になったことで、協議会が想定した“笑いの即時性”から逸れたと指摘されている[16]。
さらに、協議会が提案した“驚き紙幅係数”がなぜかゲーム雑誌の広告欄でも流用され、短い広告文が「第2枠向けの語数」に合わせて削られてしまったとする逸話も残る。広告の反応率は一時的に改善したが、長期的にはブランド記憶が薄れたとして、のちに広告業界側から距離を置かれたとされる[17]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、「面白さを数値化することで、面白さが死ぬのではないか」という点であった。漫画家のは協議会の講習会で「四枠は器であって、料理ではない」と発言したとされるが、議事録はその発言を「四枠は保存性、料理は可変性」と再翻訳して残している[18]。この再翻訳が誤解を生み、青山レンは“数式礼賛者”として紹介されてしまったとも言われる。
また、協議会の採点表には要出典級の項目が混入したと指摘される。たとえば「第1枠の予告語には特定の母音が含まれていると遷移が促進される」という項目があり、根拠の文献が見当たらないまま暫定採用されたとされる[19]。講習会の受講者ノートには「母音がないと第2枠が眠る」といった書き込みがあるが、後に“比喩であって統計ではない”と訂正されたという。
さらに誤訳問題が火種になった時期がある。前述の「驚き紙幅係数」が、実際には視線計測の指標ではなく、印刷の滲み幅を指す翻訳だった可能性が指摘され、協議会内で「我々は驚きを測っていたのか、滲みを測っていたのか」と混乱が起きたとされる[20]。ただし当時の会長は「測っているものが何であれ、枠が機能しているならよい」と述べたと記録されている[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田慎介「四枠テンプレート導入期の編集運用に関する覚書」『版面科学叢書』第3巻第2号, 1955年, pp. 41-63.
- ^ 伊藤みこと「四コマの視線遷移:第1枠の予告を中心に」『日本漫画研究』Vol. 12, 1956年, pp. 101-119.
- ^ 榊田昌久「語数上限13語説の再検討」『新聞紙面技術』第5巻第1号, 1958年, pp. 7-22.
- ^ Margaret A. Thornton「Panel timing in four-frame narratives: A provisional model」『Journal of Visual Reading』Vol. 8, No. 4, 1960年, pp. 233-251.
- ^ 渡辺精一郎「枠は境界線である—版面リズム講習会資料の解題」『文化史ノート』第9巻第3号, 1962年, pp. 55-81.
- ^ 青山レン「“器と料理”の誤読—協議会議事録の翻訳問題」『漫画家通信』第2号, 1964年, pp. 12-19.
- ^ 田中正和「測定対象の同一性と枠の機能性」『日本編集工学会誌』第1巻第1号, 1966年, pp. 1-9.
- ^ 佐伯玲奈「驚き紙幅係数と広告の短文化:準実験報告」『広告表現研究』Vol. 6, 1970年, pp. 77-96.
- ^ 小林一貴「瞬目率42枚調査の統計的意味」『読解行動学会紀要』第14巻第2号, 1972年, pp. 140-156.
- ^ 藤原カナ「四枠読み教材の教育効果と副作用」『国語教育方法論』第20巻第1号, 1975年, pp. 201-230.
- ^ (書名が微妙におかしい)『四枠漫画協議会の全て:紙幅による笑いの学問』協議会出版部, 1954年, pp. 3-88.
- ^ (書名が微妙におかしい)Thornton, Margaret A. and 渡辺精一郎「Blink factor and panel boundaries」『Journal of Manga Mechanics』Vol. 1, 1957年, pp. 9-17.
外部リンク
- 四枠協アーカイブ
- 版面リズム講習会資料館
- 四枠テンプレート雛形倉庫
- 視線遷移データベース(暫定)
- 墨のにじみ運用マニュアル