日本国朝鮮州京城都
| 正式呼称 | 日本国朝鮮州京城都 |
|---|---|
| 対象地域 | 方面の行政資料のうち、を中心とする記録群 |
| 運用目的 | 地籍・戸籍・都市計画資料の照合 |
| 分類 | 行政区分連結型の呼称体系 |
| 関係機関 | 地方行政庁・測量局・内務系文書管理室(とされる) |
| 成立時期 | 1900年代初頭に草案が進み、制度化されたとする説 |
| 主要資料 | 境界台帳、戸籍照合票、道路網図、税帳簿(とされる) |
(にほんこくちょうせんしゅけいじょうと)は、日本の旧行政語に由来するとされる、複数の行政区分を連結した呼称体系であるとされる[1]。主に地籍・戸籍の照合や、都市計画の資料整理に用いられたと説明されている[1]。
概要[編集]
は、見かけ上は「日本国」「朝鮮州」「京城都」という三層の行政名を、書式上で“つなげて一つの単位”として扱う呼称体系であると説明されている[2]。
制度の眼目は、異なる部署が作成した資料の紐づけを効率化する点にあったとされ、特に境界・戸籍・道路整備のように、同じ住民・同じ地番でも書類の様式が違う問題を減らすために導入されたとされる[3]。もっとも、どの年に「完全実装」されたかについては資料の残存状況がばらつき、研究者の間では「局所導入が先行した」説と「統一通達が先だった」説に分かれている[2]。
また、この呼称体系は単なるタグではなく、文書の並び順・索引の規則・記号の使い分けまで規定したとされる。たとえば、照合票では「州」までを左列、「都」を右列に置き、期日欄だけを中央に寄せる、といった細則があったと記録されている[4]。この細かさが、のちの“読み替え誤作動”を生み、社会的には「資料の迷子」が減った一方で「資料の置き間違い」が増えたという、やけに人間味のある副作用が語られている[5]。
語の成り立ちと選定理由[編集]
呼称は「日本国」「朝鮮州」「京城都」をそれぞれ独立した語として成立させたうえで、帳簿の欄名として連結する運用が基本とされたとされる[6]。理由としては、当時の文書管理では、見出し語の並び(たとえば国→州→都)が、そのまま索引の順番になっていたためであると説明される[6]。
この体系を作った中心人物として、当時の文書行政を“規格化”した人物が挙げられることがある。代表例として、地方事務の合理化を掲げたの技師であるが名を連ねるが、同時に「渡辺は原案に関わっただけで、最終規則は別部署が作った」との反論もある[7]。
一方で、語の中にを含めることには、都市の計画が全国の手本として見られる、という事情があったともされる。具体的には、道路網図の様式が統一される際に、都(みやこ)単位での凡例が先に整備されたため、連結呼称の“最後の語”が京城都になった、という筋書きが語られている[8]。なお、この凡例が「縦罫は太く、横罫は細く」を徹底していたため、書類の判読が改善したとされる反面、読みづらい人ほど“定規で縦を数える癖”がついたとされ、都市文化史の観点からも話題になっている[9]。
歴史[編集]
草案期:照合票の“行間問題”[編集]
草案の発端は、測量図と戸籍照合票の「行間(ぎょうかん)」が部署によってズレていた点にあったとされる[10]。ある会議記録では、同一地番を指すはずの符号が、なぜか3行分だけずれる現象が報告されている[10]。そこで、が“州と都の連結を索引の壁にする”という発想を提案し、結果として「日本国朝鮮州京城都」という連結見出しが運用案として浮上したと説明される[11]。
この時期の資料では、連結呼称の欄幅がミリ単位で管理されていたとされる。たとえば索引カードでは、左欄が38mm、右欄が42mm、中央の期日欄が19mm、罫線の太さが0.7mm(鉛筆痕の見え方を補正するため)と記された例がある[12]。もっとも、当該記録の原本は散逸しており、「数字だけが後代の整形で盛られた」との指摘もある[12]。
なお、この草案は最初から全国制度を目指したものではなく、京城周辺の行政資料の“照合率”を上げるための局所プロジェクトとして始まったとされる[11]。その成果が“照合率91.6%→94.2%”のように細かい形で残っており、報告書の書式に従って小数点第2位まで計上されたことが、後の研究で「それっぽさ」を生んだとされる[13]。
制度化:文書管理の「三層自動化」[編集]
制度化にあたっては、内務系文書管理の出先が「三層自動化」を掲げたとされる[14]。ここでいう三層とは、国(日本国)・州(朝鮮州)・都(京城都)を、それぞれ別の係が確認して“合わなければ止める”という運用である[14]。この合わなければ止める仕組みは、ミスを隠さずに露出させるためのものだったと説明される。
運用上は、とで同じ住所以外が混ざると、連結呼称が“縦書きの最後で崩れる”仕様だったとされる[15]。具体例として、ある月の監査では、誤記が27件見つかり、そのうち24件が「州」部分の旧表記と新表記の取り違えだったと報告されている[15]。この統計の出所は同名の監査記録だが、別の文書では「24件が都部分の罫線見落とし」ともあり、数字の揺れが残っている[15]。
制度化の副作用としては、連結呼称が索引の核になるため、逆に「核を抜くと全体が見えない」現象が発生したとされる[16]。すなわち、転記の名寄せで一箇所でも欠落すると、後続の資料が孤立し、住民にとっては“探せば出てくるが、探しに行く気にならない”状態が増えたという[16]。このため、次第に受付窓口では“抜けた核”を探すための口上(説明文)が整備され、結果として都市の行政接遇が儀礼化していったと語られる[17]。
社会的影響:都市計画と住民の「符号文化」[編集]
社会への影響は、行政資料の扱いが“符号文化”として定着した点にあったとされる[18]。たとえば、住民が手続きをする際に「日本国朝鮮州京城都の欄に揃っているか」を窓口で聞くことが、しばしば冗談半分で流行したという逸話がある[18]。
都市計画の分野では、道路網図の凡例がこの連結呼称に連動したため、建築業者が契約図面を提出する前に、自己検査として“呼称の文字列が欄幅に収まるか”を測るようになったとされる[19]。ある業界紙の記事では、検査に使われた定規の平均目盛間隔が2.4cmだったと報じられている[19]。もっとも業界紙の号数が曖昧で、記事の写しが改訂版なのではないかという疑いもあるが、説明の具体性が高いために広く引用されている[19]。
この流れは、やがて学習教材にも波及したとされる。京城周辺の文書講習では、見本として「日本国朝鮮州京城都」という文字列を、筆順のように口で唱えさせる練習が採用されたとされる[20]。しかし実際には、唱えた文字列をそのまま書くと行間のズレが起きるため、講師は“読むより先に息を整える”と指導したと伝わっている[20]。この点が、制度の合理性よりも現場の身体感覚に依存していたことを示す事例として引用されることがある[20]。
批判と論争[編集]
批判としては、連結呼称が過度に機械的になり、人間の事情(転記者の習慣、筆記具の種類)を吸収できなかったとする見解がある[21]。実際、記録では「鉛筆(硬度HB)と万年筆(インク濃度0.2)で罫線の見え方が変わるため、都欄の識別率が変動した」との注記が見つかったとされる[21]。
一方で賛成側は、連結呼称によって“探し回るコスト”が減ったと主張した。ある試算では、照合に要する時間が、導入前の平均17分42秒から、導入後は13分19秒に短縮されたとされる[22]。ただし、この数字は窓口の混雑度を補正していない可能性があるため、後年の研究では「空いている日を選んで測ったのではないか」という疑義が呈された[22]。
さらに、最も笑われた論点として「そもそも“京城都”という語が、都市の実態よりも事務の都合を優先した」という批判がある[23]。反論としては、都の語が持つ象徴性が資料を集めやすくした、とされるが、象徴を優先した結果、住民の実務ではなく“資料の見た目”が優先されるようになったのではないか、と指摘されている[23]。要出典がつきそうな類の話ではあるが、実務者の手記には「手続きの成功確率は符号の美しさで決まる、と聞かされてしまった」という一文が残るとされ、こちらも紹介されることがある[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『照合票の書式統一と連結見出し』伏見文書整理局出版部, 1913.
- ^ 佐伯弥太郎「行政区分連結の索引効果」『地方行政研究』第12巻第3号, 1918, pp. 51-73.
- ^ Margaret A. Thornton「On Concatenated Administrative Headings in Early Clerical Systems」『Journal of Archival Engineering』Vol. 4, No. 2, 1921, pp. 101-134.
- ^ 李炫洙『京城における境界台帳運用史』青海堂, 1930.
- ^ 田中岑「罫線の太さと識別率の相関」『製図と行政』第7巻第1号, 1934, pp. 12-26.
- ^ Klaus R. Feld「Paper Friction and Administrative Memory: A Case Study」『Archives & Society』Vol. 19, No. 1, 1952, pp. 201-229.
- ^ 内務省文書管理局『文書接遇の儀礼化:窓口口上集』内務省文書管理局, 1926.
- ^ 伏見文書整理局『測量局監査記録(抜粋)』伏見文書整理局出版部, 1929.
- ^ 青木善助『都市図の読ませ方:凡例の規格と教育』北辰社, 1937.
- ^ R. Yamamoto『Indexing the Impossible: A Note on “Keijō-to” Columns』Keijō Historical Review, 1961, pp. 5-19.
外部リンク
- 京城文書アーカイブ
- 地方行政書式研究会
- 境界台帳デジタル復元所
- 索引設計の歴史ミュージアム
- 筆記具と罫線の博物誌