日本民主党
| 正式名称 | 日本民主党 |
|---|---|
| 通称 | 日民党、JDP |
| 結成 | 1947年 |
| 解党 | 1958年 |
| 本部 | 東京都千代田区永田町二丁目 |
| 党首 | 高瀬義一郎 |
| 機関紙 | 民主之聲 |
| 支持基盤 | 都市官僚層、中小商工業者、地方青年団 |
日本民主党(にほんみんしゅとう、英: Japan Democratic Party)は、において「民意の可視化」を目的として結成されたとされるの政治結社である。のちにの運用実験体として扱われたほか、党内での“演説の長さを議席換算する方式”で知られている[1]。
概要[編集]
日本民主党は、末期の政治再編のなかで、永田町に置かれた臨時事務局を起点に形成されたとされる政党である。結党の名目は「議会の民意回路を修復すること」であったが、実際には各地の地方議会で余った席次票を集約する独自制度を先行導入したことで知られる。
党名は一見すると穏健な議会政党を想起させるが、内部文書ではしばしば「可視化された多数派を日毎に組み替える試み」と説明されていた。なお、当時の系官僚の一部は、この党を「選挙よりも集計表に依存した最初期の大衆政党」と評したとされる[2]。
成立の背景[編集]
永田町再編会議[編集]
1947年春、周辺では複数の新党が同時多発的に現れたが、日本民主党はそのなかでも特に「統一名簿の読み上げ時間」を重視した集団であった。発起人は元秘書官の高瀬義一郎、地方新聞社主を兼ねた三浦俊策、そしてで統計学を学んだ緒方美沙子の三名である。
結党大会はの裏手にある貸会議室で行われ、出席者は公称143名、実数118名と記録されている。だが、司会の誤記により「賛成」「保留」「演説継続」の三択投票が導入され、結果として全員が党員資格を得たという逸話が残る。
党是の奇妙な定義[編集]
党是として掲げられたのは「生活秩序の民主化」であったが、これは後年になって「朝礼の順番を国政に拡張した思想」と解釈されている。党綱領第4条には、各支部が毎月1回、地元商店街の拡声器を用いて政策を読み上げることが義務づけられていた。
また、党費は現金のほか、、、未使用の切手でも納入可能であったため、1948年の会計報告には「乾物による寄付 2.7トン」と記載されている。これに対し、関係者からは「政策より棚卸しに近い」との批判が出たとされる[3]。
党内制度[編集]
演説換算議席制[編集]
日本民主党の最大の特徴は、党大会における演説時間を議席配分に反映する「演説換算議席制」である。これは、発言時間1分を0.4票として計上し、さらに聴衆の咳払い回数を補正係数とする方式で、当時の研究者のあいだで一時注目を集めた。
1949年の第2回党大会では、国会議員予定候補者27名のうち、実際に選挙区へ立ったのは19名にすぎなかったが、残る8名は「地方演説の貢献点」により名誉候補に格上げされた。この制度は、地方支部の結束を高めた一方で、党内での沈黙が事実上の除名に等しいという強い圧力を生んだ。
地方青年団との連携[編集]
党勢拡大の鍵を握ったのは、・・の青年団との連携であった。彼らは街頭演説の補助だけでなく、投票所周辺の「空気の温度調査」を担当し、気温が23度を超えると保守票が伸びるという独自の仮説を党本部に提出している。
この仮説は現在では学術的根拠に乏しいとされるが、1951年の総選挙で党が獲得した41万8,203票のうち、約3割が「夏季夕涼み演説」の成果だったという党内報告書が残っている。
政策と活動[編集]
都市生活整備法案[編集]
日本民主党は、戦後復興期における住宅不足に対応するため、「都市生活整備法案」をたびたび提出した。法案は、長屋の共同炊事場に給茶機を常設すること、路面電車の車内に時刻表掲示板を増設することなど、きわめて具体的な内容を含んでいた。
とりわけ有名なのは、の停留所ごとに「議員意見箱」を置く構想である。これは住民の要望をその場で分類し、A票・B票・C票に分けて翌週の委員会へ送付する仕組みで、当時の新聞では「行政の郵便局化」と報じられた。
農村巡回と幻の合意書[編集]
一方で農村部では、党は「巡回合意書」と呼ばれる独自文書を配布した。これは、村長、寺の住職、農協担当者、そしてたまたま通りがかった旅回り一座の座長の4者が署名すると、党の地方政策に1票が加算されるというものであった。
のある村では、これをめぐって署名欄が不足し、裏面にまで押印が及んだ結果、合意書そのものが村の掲示板に3か月間貼り出されたという。これが地域の政治参加率を押し上げたとされるが、同時に「政治が紙芝居化した」とも揶揄された[4]。
機関紙『民主之聲』[編集]
党機関紙『民主之聲』は、毎号の冒頭に政策要旨、中央面に地方支部の会食記録、末尾に献立表が掲載される独特の紙面構成であった。1952年7月号では、紙面の半分以上が「じゃがいも不足と都市倫理」の特集に割かれており、当時の編集長は「食糧政策は文字数の管理でもある」と述べたとされる。
また、同紙は一時期、のラジオ欄と同じ大きさの広告枠を獲得したが、広告主の多くが豆腐店と学習塾であったため、後年の研究では「中間層の自己紹介媒体」と位置づけられている。
歴史[編集]
隆盛[編集]
1950年から1953年にかけて、日本民主党は都市部の中規模選挙区で着実に議席を伸ばした。とくにとでは、党の「通勤者優先政策」が一定の支持を受け、朝の満員電車対策を訴えた候補者が連続当選している。
1953年の党勢最盛期には、地方支部が全国で312、準支部が487あったとされる。なお、準支部の定義は「公民館にマジックで党名を書ける場所」とかなり緩かったため、実数はもっと少ないとの指摘もある。
統合と分裂[編集]
1955年の政界再編では、党内に「連立継続派」と「暖簾分け派」が生じ、後者は『日本民主新党』を名乗って分離した。分裂の直接原因は、党大会における座席配置をめぐるもので、議長席から3列目までを「国政優先区」とする案が否決されたことにある。
その後、両派は一時的に選挙協力を行ったが、ビラの色が似すぎていたため、有権者のあいだで「同じ党なのに名前だけ違う」と混乱が広がった。1958年には形式上の解党が決議され、多くの地方支部は系の後援会に吸収されたとされる[5]。
社会的影響[編集]
日本民主党は、短命でありながら戦後日本の政党運営にいくつかの奇妙な遺産を残した。第一に、会議の長さを重視する党文化を一般化させ、のちので「発言時間の見える化」が流行したとされる。
第二に、党が採用した支部会計の簡便さは、中小団体の政治参加を促進した。とくに商店街単位での寄付・票読み・会食を一体化した運営は、1950年代後半の地域組織論に大きな影響を与えたという。
ただし、党の活動が「政治を生活相談所に近づけすぎた」との批判も根強く、各紙ではしばしば「民主主義の定食屋化」と表現された。もっとも、党幹部の一部はこの表現をむしろ気に入り、会合で自ら使ったと伝えられている。
批判と論争[編集]
日本民主党をめぐっては、結党当初から「政策よりも集計技術が先行している」との批判があった。とくに1948年の地方代表選出で、得票が同数となった2候補のうち、より丁寧な字で申請書を書いた者が当選した件は、長く論争の的であった。
また、党本部が一時期の古書店街で中古の黒板を大量購入し、議事録をチョークで管理していたことが発覚すると、「公党としての記録保存がきわめて不安定である」との指摘がなされた。これに対し党側は「消せるからこそ議論が前進する」と反論している。
なお、1954年の党大会では、来賓の焼き芋屋が壇上に上がり、政策討論の途中で売り切れを告げたため、採決が15分早まったという。これは現在でも党史研究者のあいだで「偶発的効率化」と呼ばれている[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬義一郎『可視化される多数派―戦後政党組織論序説』中央政治出版, 1954.
- ^ 緒方美沙子「演説時間と議席配分の相関」『政治と計量』Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1952.
- ^ 三浦俊策『永田町の裏会議室』麹町書房, 1956.
- ^ James H. Whitmore, "Party Minutes and Public Mood in Postwar Japan" Journal of Asian Civic Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 113-149, 1961.
- ^ 田所栄一「地方青年団と票読みの実務」『地方自治研究』第5巻第1号, pp. 7-29, 1953.
- ^ M. A. Thornton, "The Sandwich Bureaucracy: Food Donations in Japanese Party Finance" The Pacific Review of Politics, Vol. 4, No. 4, pp. 201-223, 1957.
- ^ 佐伯晴夫『民主之聲編集日誌』東京文化社, 1960.
- ^ 『日本民主党史資料集 第一巻』日本民主党史編纂室, 1964.
- ^ 秋山一郎「合意書と村落政治の紙面化」『社会記録学報』第9巻第2号, pp. 88-104, 1958.
- ^ R. K. Bellamy, "Electoral Silence and the Rise of Debate Metrics" International Journal of Parliamentary Curiosities, Vol. 2, No. 1, pp. 1-19, 1959.
外部リンク
- 国立永田町政党文書館
- 民主之聲デジタルアーカイブ
- 戦後政党史研究会
- 麹町公会堂旧記録保存室
- 日本議会制度奇譚集