早稲田政経仮面浪人
| 名称 | 早稲田政経仮面浪人 |
|---|---|
| 別名 | 政経カメラマン、馬場隠密、二重学籍志望 |
| 発祥 | 1987年ごろ |
| 主な活動地域 | 東京都新宿区・高田馬場 |
| 関連組織 | 早稲田大学、都内予備校連絡会 |
| 象徴的行動 | 1限出席・午後自習・夜間に再受験科目の暗記 |
| 制度化の契機 | 1989年の通称「馬場三者協定」 |
| 標語 | 在学は名目、志望は別にある |
| 現在の状況 | 公然の伝統としては衰退したが、ネット上で再話題化 |
早稲田政経仮面浪人(わせだせいけいかめんろうにん)は、のに在籍しながら、表向きは現役学生として振る舞いつつ、私的には他大学受験を継続する者を指す俗称である。主に周辺の予備校文化と結びついて発展したとされ、1980年代後半には独自の生活規範を持つ準制度的存在として知られる[1]。
概要[編集]
早稲田政経仮面浪人は、のに籍を置きながら、翌年以降の再受験を目指して学内外で活動する学生層を指す概念である。一般には単なる受験戦略とみなされがちであるが、実際にはの予備校、下宿、喫茶店、そして学内の少人数ゼミが複雑に結びついた生活様式として成立したとされる[2]。
この語は1980年代末にの学習塾関係者が用い始めたとされるが、当初はむしろ蔑称であり、のちに当事者らが自称として引き受けたことで定着した。なお、当時の受験誌には「政経に入ったのに政経を見ない者」という奇妙な説明が載った例があるが、これは編集部が語感の面白さを優先したためとされる[3]。
成立の背景[編集]
1980年代の内では、いわゆる「受験の保険」として私立大学に一旦入学し、翌年に国立大学や上位学部へ再挑戦する行動が珍しくなかった。ただしは講義時間帯の自由度が高く、さらにから沿線の予備校へ移動しやすかったため、仮面浪人の拠点として異様に適していた。
とりわけ1987年から1989年にかけて、沿いの喫茶店「珈琲ロジック」(現在は閉店)に、参考書を4冊以上重ねて座る学生が増えたことが確認されている。店主の証言によれば、彼らは注文したブレンドを20分で飲み切り、同じ卓でとの答案構成を往復していたという[4]。
歴史[編集]
前史[編集]
前史としては、50年代後半のいわゆる「受験通学生」文化が挙げられる。これは、大学に籍を置きながらもの大手予備校に通う者たちのことで、彼らは学内では沈黙、学外では過剰に語るという二面性を持っていたとされる。
当時のの内部資料には「W-π層」と記されたメモが残っているとされるが、これは「Waseda Politics Economics + private examination」の略であるという説と、単に職員の落書きであるという説が併存している[5]。
定着期[編集]
定着期は1990年代前半である。この時期、周辺の下宿業者が「午前ゼミ・午後自習・夜再受験」という三部制の生活リズムを前提とした賃貸プランを作り、家賃とは別に参考書棚の幅まで規定する物件まで現れた。
また、1992年には学生有志が「政経仮面浪人互助会」を結成し、模試の自己採点ミスを防ぐために毎週土曜日に近くの集会室で答案交換会を開いていたとされる。会の規約第7条には「合格発表までは髪型を変えない」とあるが、これは実際には一人が失恋したことをきっかけにできた条文だという[6]。
衰退と再解釈[編集]
2000年代以降、や推薦制度の拡大により、伝統的な仮面浪人の数は減少したとみられる。一方で、SNS上では「仮面浪人していたのに講義にだけは真面目だった人物」が美談化され、かえって神話的存在として再構成された。
2018年にはの周辺企画で、仮面浪人経験者を招いたトークイベントが行われたとする記録があるが、登壇者の3人中2人が実際には編入経験者だったため、当日会場で軽い混乱が起きたという[7]。
生活様式[編集]
早稲田政経仮面浪人の生活は、一般の受験生よりも時間管理が細かいことで知られる。典型例では、1年生春学期にの再履修を取りつつ、同時にの過去問を10年分解き、さらに学食で「見た目だけは普通の学生」を演じる必要があった。
特に重要とされたのは「二重の所持品」である。片方の鞄には大学ノート、もう片方には予備校テキストが入り、前者にはのレジュメ、後者にはの赤本が入っていた。なお、1988年頃の調査では、対象者の約63%が両方の鞄を左肩で持ち替え続けた結果、肩の高さに左右差が出たと報告されている[8]。
社会的影響[編集]
この現象は、の古書店街や予備校経済にも影響を与えた。中古参考書の回転率が上がり、特に「政経を捨てて外部受験に賭ける」層向けのマーケットが形成されたことで、では赤本の背表紙の色だけで客層を見分ける書店員が現れた。
また、仮面浪人を題材にした短歌やエッセイが学内誌に掲載され、1995年には『仮面のまま春を待つ』という匿名投稿集が300部限定で頒布された。表紙はの装丁家が担当し、なぜか背表紙だけが極端に分厚く、図書館員から「内容より重い」と評されたという[9]。
批判と論争[編集]
批判としては、在籍大学への帰属意識を弱めるという指摘がある一方で、むしろ「どこにも完全には属さない態度」こそがらしいと擁護する声も存在した。とりわけの一部教員は、授業中に予備校のノウハウをそのまま持ち込む学生に対し、「実践的ではあるが、板書が二重帳簿のようだ」とコメントしたと伝えられる。
2006年には、ある卒業生がテレビ番組で「仮面浪人は青春の最適化だった」と発言し、学内外で賛否が分かれた。もっとも、その人物が実際には留年もしていないことが後に判明し、議論は「経験談ではなく比喩だったのではないか」という方向へずれ込んだ[10]。
文化的表象[編集]
文学や映像作品では、早稲田政経仮面浪人はしばしば「意識の高い敗者」として描かれてきた。1990年代末の深夜ドラマ『馬場で朝を待つ』では、主人公が前のベンチで赤本を抱えたまま寝落ちする場面が象徴的であった。
また、の新作『仮面政経』では、学歴を隠したまま合コンに参加した男が、自己紹介のたびに志望校だけが増えていくという筋立てが採られた。これは実話をもとにしたとされるが、噺の後半で急にが受験相談に現れるため、史実性には疑義がある[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所裕也『高田馬場受験文化史』青弓社, 2004, pp. 118-139.
- ^ M. Thornton, "Masked Ronin and Urban University Ecology," Journal of Japanese Student Studies, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 44-67.
- ^ 小林理恵『仮面浪人の社会学』ミネルヴァ書房, 2011, pp. 201-229.
- ^ 佐伯直人「早稲田政経層における二重学籍志望の形成」『教育社会学研究』第61巻第2号, 2008, pp. 77-96.
- ^ Harold E. Finch, "Cram Schools and Parallel Lives in Tokyo," East Asia Review of Education, Vol. 8, No. 1, 2001, pp. 5-28.
- ^ 渡辺精一郎『受験と喫茶店――戦後東京の学習空間』東京大学出版会, 1996, pp. 52-75.
- ^ 「馬場三者協定とその周辺」『新宿地域史資料集』第4巻第1号, 新宿区郷土資料館, 1990, pp. 14-19.
- ^ Eleanor J. Pike, "The Politics of Pretended Enrollment," Comparative Student Cultures, Vol. 5, No. 4, 2016, pp. 301-320.
- ^ 高橋真央『参考書の背表紙を読む』筑摩書房, 2018, pp. 9-33.
- ^ 山内光彦「仮面浪人の肩こりと答案交換会」『保健と教育』第29巻第6号, 1993, pp. 211-218.
外部リンク
- 早稲田受験文化アーカイブ
- 高田馬場学生史研究会
- 仮面浪人口述記録データベース
- 新宿学術散歩マップ
- 政経仮面浪人互助会OB会