昭和ロマン達人事件(太鼓)
| 名称 | 昭和ロマン達人事件(太鼓) |
|---|---|
| 別名 | 浅草拍節混乱事件、ロマン達人騒動 |
| 発生日 | 1978年11月下旬 |
| 場所 | 東京都台東区、浅草六区周辺 |
| 原因 | 太鼓譜の過密化と語り部の介入 |
| 関係者 | ロマン太鼓連盟、浅草演芸保存会、警視庁生活安全部 |
| 結果 | 演目の分離、拍子規格の改定、以後の教本化 |
| 影響 | 昭和回顧ブームと達人芸の制度化 |
昭和ロマン達人事件(太鼓)は、後期にの演芸街で発生したとされる、太鼓打ちの拍節異常と即興語りが連鎖した集団的騒擾事案である。のちに史の転換点および「ロマン演出」の確立例として語られている[1]。
概要[編集]
昭和ロマン達人事件(太鼓)は、の公開実演中に、演奏者が「昭和らしさ」を過剰に担保しようとした結果、舞台進行が崩壊した出来事とされる。観客約430人の前で、太鼓、語り、口上、照明の指示が相互に干渉し、最終的に拍の数え方そのものが争点化したと伝えられている[2]。
この事件は、単なる舞台事故ではなく、という時代記号を音に変換しようとした最初期の試みとして後年再解釈された。また、関係者の証言がやけに詳細である一方、使用された太鼓の寸法や打点回数には資料ごとの差が大きく、研究者の間では「伝説化した実務記録」として扱われることが多い。なお、教育委員会の内報にのみ残る記述では、現場にいた記録係が三度も筆を落としたとされる[3]。
発生の経緯[編集]
事件の発端は、1978年夏にで開かれた「昭和回顧演芸週間」の企画会議にあるとされる。主催側は、従来の祭囃子ではなく、戦後の生活感や長屋文化を含む「ロマン調」の太鼓演出を求め、に改変譜の作成を依頼した。
このとき中心にいたのが、打ち手のと、語り手のである。白石は一打ごとに「屋根の雨だれ」「路面電車の遠音」を再現しようとし、真鍋はそれに合わせて即興で昭和家族史を挿入したため、リハーサル3日目には拍子が9/8拍と11/8拍の間を往復する状態になった。関係者は「音が感傷に追いつかれた」と証言している。
事件の推移[編集]
第一段階: 拍子の逸脱[編集]
本番第1部では、標準の二人打ちから始まったが、白石が予定にない締め打ちを7回入れたことで、舞台袖の進行表が機能不全に陥った。舞台監督は一度だけ中断を求めたが、真鍋がマイク越しに「ここで昭和は立ち止まらない」と宣言し、観客が拍手で応じたため、演目は継続された[4]。
この時点で警備担当は異常を把握していたが、太鼓の音量がの空調音と拮抗したため、退避指示が聞き取れなかったという。現場の録音には、太鼓より先に下駄の音が増幅される奇妙な現象が残っている。
第二段階: 達人宣言[編集]
第2部では、白石が「達人とは技ではなく、昭和を背負えることだ」と発言し、これが後に事件名の由来になった。これに対し、即席の研究者として参加していたの嘱託職員、が「背負いすぎである」とメモしたことが、唯一残る冷静な反応である。
ここで照明が意図せず橙色に固定され、舞台全体が夕焼けのように見えたため、観客の半数以上が内容を誤って郷愁的と認識した。結果として、会場では「見ているうちに泣いてしまった」という感想と「何が起きたか分からない」という苦情がほぼ同数寄せられた。
関係者と組織[編集]
事件後、関係者はの聴取を受けたが、行政文書上は「舞台技術の過剰表現に伴う軽微な混乱」と整理された。もっとも、実際には太鼓連盟、演芸組合、照明会社の三者が互いに責任を譲り合い、最終的に誰も完全な再現譜を提出できなかった。
白石兼蔵はのちにの厚木で指導を続け、弟子に対して「太鼓は叩くのでなく、時代を押すものだ」と教えたとされる。一方、真鍋春江は事件を契機に語りの分野へ進み、の地方文化番組で昭和口上の監修を担ったと伝えられている。なお、坂東ミツの手帳には「会場の換気が感傷に追いついていない」との記載があり、研究者の間でしばしば引用される[5]。
影響[編集]
この事件は、以後の公演において「ロマン演出」と「打点規格」を分離する契機になったとされる。1981年にはが非公式に「昭和情緒演出指針」を配布し、太鼓の余韻を2.4秒以上引き延ばす場合は口上を併用することが推奨された。
また、観客調査の結果、「技術の高さより、懐かしさの演出が印象に残る」という回答が68.3%に達したことから、以後の地方公演ではセットにを置く慣行が広がった。これは後に「昭和小道具法」と俗称され、広告業界にも影響を与えたとされる。
批判と論争[編集]
一方で、本事件を実在の騒動として扱うことには批判もある。特にの比較芸能史研究室は、1970年代末の演芸資料に当該事件の一次記録が乏しいことを指摘し、「後年の編集によって誇張された半伝承」との見解を示している[6]。
ただし、浅草周辺の私設資料館には、事件当夜のものとされる太鼓の皮片、焦げた譜面、そして「ロマンは3回まで」と書かれた紙片が保管されているとされる。真偽は定かでないが、見学者の間では最も人気のある展示である。
再評価[編集]
2000年代に入ると、事件は単なる失敗談ではなく、的身体表現の限界を示す寓話として再評価された。特に若手演出家のは、2012年の論文で「拍の暴走は共同体の記憶装置である」と述べ、事件を舞台芸術の文脈へ組み込んだ。
2019年にはで小規模な企画展が開催され、来場者の7割が「事件名のインパクトだけで入館した」と回答した。展示の最後に置かれた再現太鼓は、叩くと1拍遅れて照明が点く仕掛けになっており、子どもよりも元演芸関係者に好評であった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白石兼蔵『昭和を叩く: 太鼓と記憶の技法』西荻書房, 1982年.
- ^ 真鍋春江「口上と拍節の相互干渉」『芸能記録』第14巻第2号, pp. 41-58, 1984年.
- ^ 坂東ミツ『舞台袖の昭和史』国立芸能出版会, 1980年.
- ^ 河合俊也「浅草六区における感傷演出の成立」『比較演芸研究』Vol. 7, No. 1, pp. 12-29, 1991年.
- ^ Margaret A. Thornton, The Rhythm of Nostalgia in Postwar Japan, Eastbridge University Press, 1998.
- ^ 三浦啓介「拍の暴走と共同体」『舞台表現学紀要』第22号, pp. 5-19, 2012年.
- ^ 日本太鼓協会 編『昭和情緒演出指針 1979年度版』日本太鼓協会資料室, 1979年.
- ^ 佐伯光雄『浅草演芸ホール史ノート』台東文化社, 1987年.
- ^ Harold J. Weir, Notes on Taiko and Urban Melancholy, Journal of East Asian Performance Studies, Vol. 11, No. 3, pp. 201-224, 2005.
- ^ 高瀬一郎『ロマンは三回まで: 舞台事故の文化史』みすず芸能選書, 2017年.
外部リンク
- 台東区立下町資料館デジタルアーカイブ
- 日本太鼓協会史料室
- 浅草演芸保存会 会報データベース
- 昭和回顧文化研究センター
- ロマン演出年表研究会