晴
| 分類 | 気象・民俗・暦法 |
|---|---|
| 成立 | 18世紀末ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、久保田玄庵ほか |
| 主要地域 | 関東地方、瀬戸内沿岸、東北南部 |
| 関連制度 | 日和番付、晴天税、祭礼安全基準 |
| 基準雲量 | 3.7分雲量以下 |
| 運用機関 | 内務省測候局旧天象課 |
| 俗称 | 晴れ目、青抜け |
晴(はれ)とは、のとの境界領域で用いられる、空の視界が安定し、雲量が一定基準を下回った状態を指す概念である。古くは後期のによって、祭礼の成否を左右する「日和判定」として体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
は、単に天候の良否を表す語ではなく、に入るまで、、の三分野で別々に扱われていた現象を、後に統一的に記述した制度概念である。とくにの町役人の間では、朝の空の色をもとにその日の市場価格を決める慣習があり、これが晴の定量化を促したとされる[2]。
一方で、晴は単なる「よく晴れた状態」ではなく、雲の切れ目から差す光の角度や、洗濯物の乾燥速度、さらには犬の散歩回数まで含めて判定する複合指標であった。旧資料には「晴は視覚現象にして社会現象である」との記述があり、現代の研究者からは、当時の行政が天候を統治可能なものとして扱おうとした痕跡とみなされている。
歴史[編集]
成立以前の「日和」概念[編集]
の原型は、年間に経由で伝来した式の観測帳に見られる「好天」「快霽」の和訳語であるとされる。これをがの比率に置き換え、雲の面積を十六分割して記録したことが、晴の数値化の端緒になった[3]。
ただし、同時代のでは「晴」という語はむしろ借金返済の見込みを指す隠語として使われており、商人たちは「今月は三度ほど晴れる」と言って入金予定を示していた。後年、この用法が天候の晴れと混同され、帳簿上の「晴天日」が増えるという珍事があったと伝えられる。
晴天基準の制定[編集]
、の通達により、に設置された旧で「晴天判定基準」が定められた。中心となったのはで、彼は長さ一尺の銅板に黒布を張り、空にかざして背景の青を比較する装置「晴見板」を考案したという[4]。
この装置は、晴天の日にだけ板の端がわずかに反ることから信頼性が高いとされたが、実際には湿気でたわむだけであったとも指摘されている。にもかかわらず、の印刷所ではこれを採用し、朝刊の一面見出しに「本日、晴の可能性九割八分」と掲載したところ、翌日から購読が1.6倍に増えたという。
大衆化と「晴」の社会制度化[編集]
期になると、晴はの屋上広告、運動会の開催判断、さらにはのダイヤ改正にまで影響を及ぼすようになった。特にとを結ぶ沿線では、晴が二日続くと行楽客が急増するため、駅長が独自に「晴抑制札」を掲げたという逸話が残る。
には内の非公式組織として「晴日調整委員会」が設けられ、晴の日数を年間で183日から176日へ抑える目標が示された。これにより夏季の水不足は改善したとされるが、同時に洗濯業界から強い反発を受け、全国の晒し場で「晴を返せ」と書かれた幟が掲げられた。
定義と判定方法[編集]
晴の判定は、現在でも一部の民俗気象研究で引用される「三層判定法」に基づく。すなわち、第一に肉眼での雲量、第二に地表温度の上昇率、第三に周辺の子どもの外遊び時間である。これらのうち二項目が基準を満たすと、晴と認定される。
なお、初期には「空が青ければ晴」という単純な基準が広まったが、では潮の反射により曇天でも青く見えることがあり、判定に地域差が生じた。これを受けてに発行された『晴天判定便覧』第3版では、「青さは晴の必要条件に非ず」と太字で追記されている。
社会的影響[編集]
晴の制度化は、単なる天気の話にとどまらず、とにも波及した。戦前のでは、晴の日にのみ融資審査を行う「晴窓面談」が行われ、窓から差す自然光の強さで申請者の誠実さを測ったとされる。もっとも、曇天続きの期には面談が滞り、地方では「晴が来るまで待つしかない」として事実上の審査停止になった。
また、学校教育ではの開催可否を巡って晴の知識が重視されたため、以降、の補助教材『天気と生活』には「晴れの三条件」が載った。ここで初めて、晴は「生活を前に進める許可証」として子どもに教えられたが、都市部の児童の一部はこれを国家資格のようなものだと誤解したという。
批判と論争[編集]
晴の研究は、当初からの恣意性をめぐって批判されてきた。特に、の元嘱託であるは、晴天日数の増減が観測者の昼食内容に相関しているとする論文を発表し、学界に混乱を招いた[5]。これに対し旧側は「昼食相関は偶然である」と説明したが、再現実験は3回中2回までしか成功しなかった。
さらに、を導入すべきだとする地方議会の提案も論争を呼んだ。これは晴の日にだけ広告収入が増える事業者に課税する制度案であったが、結果としてが「晴は公共財である」と主張し、むしろ晴の無料配布を求める署名運動へ発展した。なお、署名簿の最終集計は18万4,203筆とされるが、うち約7%は雨の日に書かれたものである。
文化的受容[編集]
やにおいて、晴はしばしば希望、回復、再開の象徴として用いられた。とくにの地方紙には「今日は晴れ、明日も晴れ、だが借金は晴れず」といった見出しが散見され、語義の二重性が巧みに利用されている。
また、の一部寺院では、年に一度の「晴供養」が行われ、前年に雨で中止となった法要の太鼓を再演する慣習がある。これは本来、梅雨の長期化で失われた音の記憶を呼び戻す行事であったが、現在では参拝者に晴天のお守りを配る観光行事として定着している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『晴天判定法試論』内務省測候局刊, 1881年.
- ^ 久保田玄庵『和算における雲量分割の研究』京都天象研究会, 1793年.
- ^ 石橋礼二「昼食内容と晴天率の相関について」『気象民俗学雑誌』Vol.12, No.4, 1971年, pp. 41-58.
- ^ 中村佐和子『日和と晴の境界』東都書房, 1938年.
- ^ Margaret A. Thornton, The Social Weather of Tokyo: Hare and Urban Regulation, University of New Albion Press, 1996, pp. 113-129.
- ^ 佐伯光太郎「晴見板の構造と誤差」『測候局研究紀要』第7巻第2号, 1902年, pp. 5-19.
- ^ 小野寺一真『晴日調整委員会議事録抄』非売品, 1927年.
- ^ Hiroshi Kisaragi, Notes on Clear Skies and Public Finance, Vol. 3, No. 1, 2008, pp. 9-27.
- ^ 藤村奈緒子『晴供養の民俗誌』京都民俗文化研究所, 2015年.
- ^ 『晴天判定便覧』第3版、気象教育出版局, 1934年.
- ^ Robert L. Fenwick, The Politics of Fair Weather, Cambridge Meridian Studies, 1989, pp. 201-226.
外部リンク
- 日本晴天学会
- 旧測候局アーカイブ
- 晴日調整委員会資料室
- 民俗気象図書館
- 東京空模様史料館