有浜駅
| 所在地 | 石川県能登地方沿岸部 |
|---|---|
| 所属事業者 | 北陸沿岸臨海鉄道(架空) |
| 開業 | 1938年(仮駅として) |
| 駅構造 | 地平駅・単式1面2線 |
| ホーム有効長 | 78m |
| 備考 | 高潮対策のため改札が2段式 |
| 駅番号 | AH-06 |
| 愛称 | 潮鳴りの駅 |
(ありはまえき)は、の海岸線において冬季の強風を避けるために設計されたを起源とするである。のちにの海浜防災計画に組み込まれ、駅舎そのものが潮位観測装置としても機能する特殊な駅として知られている[1]。
概要[編集]
有浜駅は、の沿岸にあるとされるである。元来は漁港の荷揚げ場と防波堤の中間に設けられた臨時停車場であり、潮汐と強風の両方に左右される日本でも数少ない「気象連動駅」の一つとして扱われてきた。
駅名は、かつてこの一帯に存在した砂浜地形「有浜岬」に由来するとされるが、実際には末期の地形図には記載がなく、地元では後から地名だけが駅に引き寄せられたのではないかとも言われる[2]。なお、駅舎はの港湾観測施設と共同利用されており、列車の到着時刻より先に波高計の警報が鳴ることで知られている。
歴史[編集]
仮設停車場としての成立[編集]
有浜駅の起源は、の前身である海浜輸送研究会が、冬季のみ運行される貨物列車のために設けた木造の仮設ホームに求められる。建設費は当初と見積もられたが、実際には防潮杭の追加でまで膨らみ、当時のの小学校1校分の校舎予算に匹敵したという。
初列車はの発であったが、強風により停車位置が毎回30cmほどずれたため、駅員が白線を手描きで修正していた記録が残る。これがのちの「有浜方式」と呼ばれる微調整文化の始まりである。
潮位連動改札の導入[編集]
には、港の満潮時にホームが一部冠水する問題を受け、改札口を上下二段に分ける工事が行われた。上段は通常乗車用、下段は高潮警報時の避難動線を兼ねており、結果として駅員の業務が「きっぷの確認」から「潮位の監視」へと拡張された。
この改修を主導したのは、当時の技術課に所属していた技師である。彼は海軍の測深記録を参考にしながら、ホーム床板の下に木製フロートを仕込む方式を提案したが、最終的には予算の都合で空の酒樽が12個埋め込まれたという。これにより駅舎は満潮時にわずかに浮上し、乗客から「礼をする駅」と呼ばれた。
観光駅化と現在[編集]
の改元前後からは、沿岸観光ブームの影響で一日平均利用者数がからへ増加した。特に冬季に行われる「防風幕の開閉実演」は有名で、列車到着のたびに駅員がで幕を巻き上げる競技化された運用が話題になった。
近年は無人化の対象候補に挙がったものの、駅舎2階に設置された潮位日誌が以降一度も欠測していないことから、地元の保存会が反対運動を展開した。結果として有浜駅は、鉄道駅であると同時に「沿岸記録装置」としても存続している。
駅構造[編集]
駅は地平構造で、単式ホーム1面と行違い用の副本線1線を持つ。もっとも、副本線は通常ダイヤでは使用されず、毎月第2木曜日にだけ防潮板の格納検査として貨車1両が入線する。
駅舎は木造平屋建てであるが、海側の壁面だけがコンクリート補強されており、外から見ると半分だけ建築基準法が違うように見えるのが特徴である。改札脇にはの寄贈による風速計が置かれているが、実際には駅員が傘の開き具合でその日の強風等級を判断している。
ホーム端には「潮止め石」と呼ばれる赤い標柱が1本あり、ここを越えると改札外に出られないとされる。なお、地元ではこの石をまたぐと海鳴りの音が一瞬止むという言い伝えがあり、観光客向けの説明板にはなぜかの測量図が添えられている。
運行と利用[編集]
有浜駅に停車する列車は、日中の普通列車が上下合わせて、冬季の増発臨時列車がである。朝7時台の上り列車は通学客よりも海苔の出荷業者が多く、駅の実態は通勤駅というより市場の前室に近い。
利用者のピークはの「渚祭り」開催時で、1日平均を記録した年もある。ただし、この数字には駅前の足湯を見に来ただけの来訪者が含まれるため、鉄道利用実態との乖離が大きいと指摘されている[要出典]。それでも、改札を抜けた直後に潮の匂いが強くなるため、観光パンフレットでは「到着した瞬間に夏休みが始まる駅」と紹介されることが多い。
文化的影響[編集]
文芸と映画[編集]
有浜駅は、40年代の地方映画ブームでしばしばロケ地に用いられた。とりわけ公開の映画『潮待ちの午後』では、駅員が時刻表より先に波音で発車を告げる場面が印象的で、以後「波で発車する駅」という誤解が全国的に広まった。
また、詩人のは駅舎の待合室で一夜を過ごした経験から「有浜駅は、旅の途中で海が荷物を預かってくれる場所である」と書き残している。この一節は地元の中学校国語教科書に採用され、現在でも入学式のあとに朗読されることがある。
地域行事[編集]
毎年には「駅舎洗い」が行われ、地元消防団と保存会が駅舎の外壁をホースで洗浄する。この行事は本来、防潮幕の点検作業であったが、いつしか「駅を清めると翌年の漁が安定する」という説が定着し、参加者は例年前後にのぼる。
なお、洗浄の際に使われる水圧はと定められているが、過去に1度だけで実施され、駅名標が曲がったまま20年間戻らなかったことがある。これは有浜駅における最も有名な「軽微な事故」とされる。
批判と論争[編集]
有浜駅をめぐっては、保存価値を重視する住民と、維持費の高さを問題視する行政側との間で長年対立が続いている。特に潮位観測装置としての機能維持にを要することが判明した以降、駅の必要性を巡る議論が活発化した。
一方で、駅の歴史の多くが口伝に依存しており、初代駅長とされるの実在性すら確認できないという指摘がある。ただし、保存会は「確認できないからこそ鉄道文化である」と反論しており、この論争は現在も決着していない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦義之『沿岸駅舎の防潮設計とその派生効果』鉄道土木学会誌 Vol.14, No.3, pp.112-129, 1957.
- ^ 篠原徳次『海鳴りと時刻表』北陸交通評論社, 1941.
- ^ 石田久美子『有浜駅の潮位記録に見る地域共同体』地方史研究 第22巻第4号, pp.41-58, 2008.
- ^ A. Thornton, “Tidal Platforms and Passenger Anxiety in Coastal Japan,” Journal of Railway Anthropology Vol.9, Issue 2, pp.77-104, 2016.
- ^ 金沢市史編さん室『港と駅の境界史』金沢市文化資料刊行会, 1999.
- ^ 松本一郎『仮設停車場から保存駅へ』交通史叢書第7巻, pp.203-236, 1988.
- ^ K. Hayashi, “The Floating Ticket Gate of Arihama,” East Asian Transit Studies Vol.3, No.1, pp.15-31, 2004.
- ^ 有浜駅保存会『駅舎洗い実施記録集 1956-2023』有浜駅資料室, 2024.
- ^ 『潮待ちの午後』上映委員会『ロケ地資料とその後の誤解』渚映画社, 1975.
- ^ 中村志保『駅名標が曲がった日』海岸文化出版, 2011.
外部リンク
- 有浜駅保存会公式記録庫
- 北陸沿岸臨海鉄道アーカイブ
- 潮位観測連絡協議会
- 渚映画資料館
- 有浜駅を守る会