木全
| 正式名称 | 木全 |
|---|---|
| 読み | きまた |
| 分類 | 地名語・苗字語・林業行政用語 |
| 起源地 | 伊勢国北部とされる |
| 成立 | 平安後期ごろと推定 |
| 再定義 | 1928年の木全標準化通達 |
| 関連機関 | 林野局、三重郡木全研究会 |
| 象徴物 | 二股杉、木札、白墨 |
| 別名 | またぎ木、木端境 |
木全(きまた、英: Kimata)は、の古層地名学および林業行政に由来するとされる語で、もともとはの幹部を利用して造られた境界標識を指したとされる[1]。後にを中心とする苗字・地名・儀礼語へと拡張し、近代には内部の通達用語として再定義された[2]。
概要[編集]
木全は、樹木の分岐点、すなわち二股に割れた幹や枝の結節部を基準点として扱う古い慣習に由来する語であるとされる。古文書ではの山間部において、境界線・伐採順・婚姻可否を同時に示す「半ば行政的な印」として用いられた記述が見られる[3]。
また、木全は単なる林業用語にとどまらず、家系の継承や村落の序列を表す比喩としても用いられた。とくに末期から期にかけて、北部の旧村落で「木全を立てる」といえば、土地境界を定めるだけでなく、祭礼の席次まで確定することを意味したという[4]。
歴史[編集]
中世の木全観[編集]
木全の語形が確認される最古の例は、頃に書かれたとされる『伊勢山分記』である。同書では、山仕事に従事するという僧形の杣人が、枝分かれした杉を「全ての木がここで決まる」地点として木全と呼んだと記されている[5]。
この用法は、単なる現場の俗語に見えるが、実際にはの年貢査定とも連動していたとされる。分岐点より上を「天木」、下を「里木」と区分し、それぞれで伐採量と課税率を変える仕組みがあり、これが後の「木全帳」へ発展したという説が有力である。
近世から近代への転換[編集]
後期になると、木全は伊勢参宮街道沿いの木材商により再発見され、との問屋で帳簿語として流通した。とくに嘉永年間の材木商が、木材の等級を「木全」「半全」「非全」の三段階に整理した帳面を残しており、これが後の標準化の雛形になったとされる[6]。
には地方局が、村落の入会地管理に木全の語を採用するか検討したが、当時の官僚が「語義がやや神秘的すぎる」として見送った記録がある。ただしの三重県林務嘱託・の報告書により、木全は境界杭の代替語として復活し、には『木全標準化通達』が発せられたと伝えられる。
木全標準化通達と社会実装[編集]
『木全標準化通達』は、林野局が山林境界の混乱を防ぐために出した内部文書で、木全を「二股以上の自然木における交点、またはそれを模した木製標識」と定義したものである。通達では、木全の傾斜角を17度から29度の範囲に収めること、節の数は左右合計で7個以内とすることが推奨された[7]。
これにより、北部から山地にかけて、伐採計画や境界争いの現地調停に木全が導入された。なお、昭和初期の一部自治体では、学校の遠足先で見つけた二股木を子どもが勝手に木全認定する騒ぎも起き、が「現地での口頭認定は無効」とする注意書きを配布している。
木全文化[編集]
祭礼と木全札[編集]
木全は祭礼において、境界を示すだけでなく「今年の家の運勢を枝ぶりで決める」占具としても扱われた。特にの一部集落では、旧正月の前夜に神職が木全札を三枚引き、幹の左右差によって婚礼・転居・伐採の可否を決める風習があったとされる[8]。
この風習は、昭和30年代の生活改善運動で一度は消滅しかけたが、1974年にの郷土史家が「木全は迷信ではなく環境配慮の先祖返りである」と論じたことで、文化財的な再評価を受けた。
言語表現への影響[編集]
木全は比喩表現としても広がり、「木全を切る」は議論を終わらせる意、「木全に掛ける」は責任を境界線上に置く意で使われた。大正期の新聞記事には、株価暴落を「東京市場は木全の片脚を失った」と表現した例があり、当時の記者が林業比喩を好んだことがうかがえる[9]。
また、周辺の商家では、帳簿の最終頁に「木全済」と朱書きする慣習があり、これが後にの隠語として使われたという。もっとも、現存する帳簿の多くは戦災で失われており、具体的な用例数は研究者によって3通りに割れている。
批判と論争[編集]
木全研究は、他の地方語との混同が多いことで知られる。とくに・・といった類似語との境界が曖昧で、の『東海方言地図』では、調査対象47地点のうち19地点で回答が食い違った[10]。
また、木全標準化通達の実在性をめぐっては、の目録に該当番号が見当たらないことから、後世の創作ではないかとの指摘がある。一方で、旧蔵の複写資料には赤鉛筆で「※この文書、やや怪しい」と記された注記が残されており、むしろその怪しさ自体が木全研究の資料的価値を高めているとする意見もある。
現代の用法[編集]
現代では、木全は主に郷土史・林業史・珍地名研究の分野で用いられる。特にやの道の駅では、二股に分かれた枝を模した土産品に「木全」ラベルが貼られ、年間約12万本が流通しているとする業界推計がある[11]。
さらに、2010年代以降はデータベース設計の隠語としても使われ、「木全構造」は親ノードが二つ以上に分岐し、かつどの枝にも完全には所属しない状態を指すとされる。これはの研修資料に由来する新用法であるが、語源を知る者が少ないため、若手社員の間で「木全にする」は仕様を曖昧に残す意味で定着している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡瀬精一郎『木全標準化の研究』三重林政史料社, 1931年.
- ^ 北村たえ『伊勢山村における木全札の民俗学的考察』郷土文化研究会, 1978年.
- ^ 高見屋勘兵衛『材木勘定帳 木全之部』伊勢木商会出版部, 1854年.
- ^ 佐伯一馬『境界杭と山村秩序』日本林業史学会誌 Vol.12, No.4, pp. 221-248, 1994年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Branch Nodes and Administrative Trees in Prewar Japan,” Journal of Imaginary Forestry Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 33-61, 2008.
- ^ 中西敬三『木全と入会地管理の変遷』地方行政評論 第18巻第1号, pp. 14-39, 1969年.
- ^ 山口真澄『木全通達の成立過程』国立山林文庫叢書, 1985年.
- ^ 小野寺澄子『三重県北部における二股樹信仰』民俗と樹木, 第9巻第3号, pp. 77-103, 2001年.
- ^ Edward P. Rains, “The Kimata Effect in Village Boundary Arbitration,” Asian Historical Ecology Review, Vol. 3, No. 1, pp. 5-19, 2015.
- ^ 『木全と会計監査のあいだ』監査文化研究所年報 第4号, pp. 88-91, 2020年.
外部リンク
- 三重郷土語データベース
- 日本木境史研究会
- 伊勢樹木文化アーカイブ
- 林政古文書索引室
- 木全通達再検討委員会