木更津新都心
| 名称 | 木更津新都心 |
|---|---|
| 所在地 | 千葉県木更津市南東部・潮浜地区一帯 |
| 種別 | 広域再編都市圏 |
| 構想開始 | 1997年 |
| 第一期供用 | 2008年 |
| 計画面積 | 約214.6ヘクタール |
| 中核機能 | 交通結節・防潮業務・宿泊・展示 |
| 特徴 | 潮汐式昇降街区、回遊型立体市場、湾岸防風庁舎 |
| 管理主体 | 木更津新都心整備協議会 |
木更津新都心(きさらづしんとしん、英: Kisarazu New City Center)は、南東部に計画された広域再編都市圏である。もともとは開通後の物流結節点として構想されたが、のちに「潮位変動を前提に街区が上下する都市」として知られるようになった[1]。
概要[編集]
木更津新都心は、沿岸の再開発史において特異な位置を占める都市計画である。一般には周辺の機能分散を目的とした新市街地と理解されているが、計画原案では潮位差を利用した「半可動式の行政中心地」として設計されていたとされる。
この構想は、後半の湾岸物流再編と、利用者の滞留時間を都市機能へ転換しようとした行政判断から生まれた。なお、初期案では「新都心」ではなく「木更津臨潮複合核」と呼ばれていたが、住民説明会で名称が長すぎるとして廃案になったという[2]。
成立経緯[編集]
構想の端緒[編集]
起点は、内に設けられた「湾岸副都心研究班」であるとされる。同班は、やの港湾再編を参考にしつつ、木更津を「通過地」から「滞留地」へ変換する必要があると報告した。報告書には、1日あたりの滞留人口を当初8,400人、将来的には最大27,000人と見積もる試算が記されていた[3]。
潮汐都市案[編集]
特に注目されたのは、高潮対策を都市デザインに転用する「潮汐都市案」である。これは街区ごとに基礎杭の長さを変え、満潮時に1.2メートル、干潮時に最大0.8メートルまで床面高さが調整される仕組みで、見た目には地味だが、行政文書上は極めて画期的とされた。実際には維持費が想定の3.7倍に膨らみ、のちに「やや気が早い実験」と総括されている。
命名の混乱[編集]
名称の決定には紆余曲折があった。、、などが候補に挙がったが、最終的に地元商工会が「新都心」という語を強く推した。理由は明快で、観光パンフレットに印字した際に最もそれらしく見えたためである。なお、一部議事録には「都心なのに海鳴りが聞こえるのは問題ではないか」という発言が残されている[4]。
施設構成[編集]
木更津新都心は、単一の中心業務地区ではなく、複数の機能核を潮位ラインに沿って配置する方式を採った。中核施設は、、、であり、いずれも「徒歩7分圏内に見えて実際は高低差がある」という設計思想で統一されている。
また、交通結節点としての高架連絡橋と、架空の都市型モノレール「潮風循環線」が計画された。後者は総延長4.9キロメートル、車両6両編成、最大勾配12.8パーセントという数字だけは妙に本格的であるが、実際には試運転でカモメの飛行高度と干渉したため、1年半で休止となった。
このほか、業務床の下に海水を通す冷却管を敷設した「低温型オフィス棟」が注目された。夏場の省エネ効果は高かったとされる一方、会議室に磯の香りが残るという理由で、金融系テナントから敬遠されたとの指摘がある。
開業と運用[編集]
第一期供用[編集]
に第一期が供用されると、平日昼間の来訪者数は1日平均11,200人を記録した。とりわけ方面からの送客が想定以上に多く、計画担当者は「買い物のついでに行政手続きができる街」として再定義する方針を打ち出した。これにより、当初は展示施設だった一部区画が、のちに臨時の住民票交付窓口へ転用されている。
市民生活への浸透[編集]
住民の間では、新都心への評価は概して分かれた。若年層は、夜間照明が湾面に反射して「近未来的である」と好意的だったが、高齢層は満潮時にエスカレーターの音が変わることを不安視した。特に、毎月第2水曜に行われた「潮位点検放送」では、館内アナウンスが妙に荘重であったため、初回は約300人が防災訓練と誤認したという。
経済効果[編集]
木更津商工会議所の試算によれば、新都心関連の直接経済効果は時点で年間約184億円、波及効果は約261億円とされた。ただし、この数値には展示会で配布された試食用アサリ汁や、視察団の土産菓子まで含まれているため、学術的にはやや楽観的である。
社会的影響[編集]
木更津新都心は、地方都市の再開発が「単なる箱物整備」から「気象条件を含む統合演出」へ移行する契機になったと評される。以後、やでは、会議資料に潮位グラフを添付する慣行が生まれ、自治体の企画書における波高の記述率が一時的に上昇した。
また、全国の都市計画担当者のあいだでは、「新都心なのに通勤者より見学者が多い」モデルとして半ば揶揄されつつ研究対象となった。なお、の内部メモには「都市の魅力は必ずしも平面上にのみ成立しない」と書かれていたとされるが、文書の所在は確認されていない[要出典]。
一方で、地元では潮風対策のために植えられたが過剰に繁茂し、商業施設の正面から海が見えなくなった時期があった。このため、2015年の再整備では「海が見えること」より「海が見え隠れすること」を景観コンセプトとする方向へ修正されている。
批判と論争[編集]
木更津新都心には、初期から少なくない批判があった。第一に、潮汐に合わせて床面を調整する装置が高価すぎるという問題である。第二に、「新都心」を名乗りながら中心機能がやや分散しすぎており、来訪者が3つの案内板を見ても現在地を失うという構造的欠点があった。
また、完成後しばらくしてから「木更津新都心の正式名称が長すぎるため、サインの改修費が年間1,900万円に達した」とする地元紙の報道があり、これが住民投票の争点になった。結果として略称「きさらづNCC」の使用が推奨されたが、アルファベット表記だと湾岸倉庫群と区別がつかないとして定着しなかった。
さらに、計画の一部を担当したとされる建築家は、竣工記念講演で「都市とは機能ではなく、潮目に対する姿勢である」と述べたが、聴衆の半数以上は意味を取れなかったと記録されている。
後年の評価[編集]
都市計画史における位置づけ[編集]
後年、木更津新都心は期湾岸開発の「過剰に真面目な実験」として再評価された。特に、やと比較される際、木更津はより生活実感に近い細部が多いとして、研究者から好意的に扱われている。もっとも、その多くは「都市の未来を少しだけ先取りしすぎた例」としての評価である。
観光資源化[編集]
以降は、会議施設の一部が観光案内と防災学習を兼ねる展示へ転用され、修学旅行や自治体視察の定番コースとなった。特に、満潮時のみ点灯する床面誘導灯は人気が高く、撮影スポットとしてSNS上で拡散した。なお、ある旅行誌は「最も説明しにくい新都心」と評し、見出しの末尾にだけ小さく「しかし癖になる」と添えている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤明彦『湾岸副都心の潮位設計』都市研究出版社, 2009.
- ^ 木更津新都心整備協議会編『木更津新都心計画史資料集 第1巻』千葉港湾出版, 2011.
- ^ Margaret L. Fenton, “Tidal Urbanism in Chiba Bay,” Journal of Coastal Planning, Vol. 18, No. 2, 2013, pp. 44-67.
- ^ 渡辺精一郎『新都心と交通結節の再配分』日本都市学会出版部, 2008.
- ^ Harold K. Sweeney, “The Rise of Floating Civic Centers,” Urban Review Quarterly, Vol. 7, No. 4, 2010, pp. 112-139.
- ^ 木更津市史編纂室『木更津市史 通史編 第5巻』木更津市, 2015.
- ^ 中村由里『防潮と商業のあいだ――湾岸都市の実務メモ』港湾経済社, 2012.
- ^ N. B. Calder, “When Seawalls Become Plazas,” Proceedings of the East Asian Planning Forum, Vol. 11, 2016, pp. 9-28.
- ^ 石井隆一『潮風循環線の技術的検証』交通施設評論, 第12巻第3号, 2014, pp. 15-31.
- ^ 木更津新都心広報課『きさらづ新都心便り 第28号』木更津市役所, 2021.
- ^ 小林和真『都市はどこまで上下するか』新潮地理選書, 2018.
- ^ Eleanor P. Marsh, “The Problem of Too-Many Signs in New Towns,” North Pacific Civic Studies, Vol. 5, No. 1, 2019, pp. 70-88.
外部リンク
- 木更津新都心公式アーカイブ
- 湾岸副都心研究会デジタル年報
- 潮浜地区都市観測センター
- 千葉湾岸計画資料館
- 新都心景観点検ネット