東京都西多摩郡山道にて発見された由来不明の立ち入り禁止区域
| 名称 | 東京都西多摩郡山道にて発見された由来不明の立ち入り禁止区域 |
|---|---|
| 別名 | 山道封鎖地帯、二度鳴り区域、N-17区画 |
| 所在地 | 東京都西多摩郡山道一帯 |
| 座標 | 35度47分台北緯・139度10分台東経 |
| 設置時期 | 昭和後期〜平成初期と推定 |
| 管理主体 | 東京都西多摩総合調整事務所(通称・西調室) |
| 立入規制 | 終日全面立入禁止 |
| 主な現象 | 羅針盤異常、標識の増殖、足跡の反転 |
| 通称の由来 | 最初の調査班が山道で方角を見失ったことに由来する |
| 関連調査 | 1987年山道境界調査、1994年夜間標識再配置事案 |
東京都西多摩郡山道にて発見された由来不明の立ち入り禁止区域は、の山間部に存在するとされる、起源不明の封鎖区域である。地形図上では長らく空白地帯として扱われ、地元では「入ると方位磁針が二度鳴る」として知られている[1]。
概要[編集]
東京都西多摩郡山道にて発見された由来不明の立ち入り禁止区域は、西部の山地において、道路改修工事の際に偶然確認されたとされる封鎖区域である。行政記録では単に「長期保全対象地」と記される一方、地元住民の間では戦前の林業監視区画、旧軍の通信試験地、あるいは私設の測量実験場であったなど、複数の説が並立している[2]。
区域の境界は鉄柵やコンクリート壁ではなく、古い警告札と赤白の竹杭によって示されていることが多い。ただし、杭の配置は調査のたびに数本ずつ変化するとされ、1989年の建設局資料では11本だったものが、1996年の再調査では14本に増えていたと記録されている。なお、杭が増える現象は担当者の記入ミスとする見方もあるが、地元では「区域が自ら境界を覚えるため」と説明されることが多い。
成立経緯[編集]
この区域の成立について最も広く流布している説は、40年代末に行われた山道拡幅工事の際、谷側斜面から古い木箱が一斉に露出し、箱内に「立入禁止」「観測中」「風上厳禁」と書かれた札が六種類も見つかったというものである。工事責任者だったは、現場写真を添えてに報告したが、翌週には現物が撤去され、代わりに同じ字体の新しい札が三倍の密度で設置されていたという[3]。
1983年にはがこの事案を半ば偶然に取り上げ、旧村役場文書の中から「山道保安帯」「夜間帰還路の封鎖」などの語を含む覚書を発見したとされる。ただし、該当文書は複写が不鮮明で、末尾の押印が式のものとも式のものとも読めるため、後年まで議論が続いた。
一方で、区域の成立を最初に制度化したのは、1986年にが発行した「山道周辺安全導線図」であるとされる。同図では、本来一本の林道であるはずの場所に二重の破線が引かれ、破線の内側に「通過可・記憶不可」と注記されていた。これが何を意味するかについては現在でも定説がなく、都市計画の失敗、心理的防災実験、あるいは地図編集者の悪ふざけだったとする説が併存している。
区域の特徴[編集]
地形と標識[編集]
区域の中心部はなだらかな尾根沿いにあり、見た目には雑木林と砂利道が続くだけである。しかし、の旧版地形図と照合すると、同じ地点に対して標高差が最大で4.7メートルずれて記されている箇所がある。これを「地図の気象疲労」と呼ぶ研究者もいるが、一般には標識の反射率が異常に高く、写真に撮ると背景が白く飛ぶことが原因とされる。
標識は赤地に白文字のものが最も多いが、夜間になると一部が青色に見えるという報告がある。1994年の協力調査では、同じ標識を10分おきに撮影したところ、位置がわずかにずれている写真が17枚中9枚得られた。もっとも、撮影班が全員で同じ角度に立っていたため、結果の解釈は保留された。
異常現象[編集]
この区域で最も有名なのは、方位磁針が北を指した直後、わずかに震えてから再び別方向を指す「二度鳴り」である。地元の古老はこれを「山が返事をする」と呼ぶが、調査班の記録では、磁針の動きはからの間に集中していた。なお、同時間帯に限って区域内のセミの鳴き声が止むという報告もある。
また、立ち入り禁止札の文面が季節ごとに微妙に変化することが確認されている。冬季は「凍結注意」の追記が現れる一方、夏季には「風圧変動のため滞在は3分以内」と書かれることがあり、しかもその文字は印刷ではなく、金属板の裏から浮き出るように見えるとされる。これに関しては地理情報学研究室が「風化と視覚誘導の複合効果」と説明しているが、研究室内でも採取標本が行方不明になったため、結論は出ていない。
地元の慣習[編集]
区域周辺の集落では、昔から「山道の入口で三回礼をすると迷わない」という慣習がある。これは観光向けの縁起担ぎとも、実際の測量補助とも言われるが、毎年9月の例祭ではこの所作を含む行列が行われ、最終的に参加者が必ず同じ茶屋へ戻ってくることで知られている。
茶屋の名はで、店主の故・は「区域に最初に名札を付けたのは役所ではなく、町の子どもたちだった」と証言していたという。子どもたちは封鎖線の代わりに色紙を木に結び、翌朝には色紙が全て白紙に戻っていたため、以後この場所を「書いても消える山」と呼んだとされる。
調査と管理[編集]
以降、区域はと、ならびに系の合同確認対象になったとされるが、実際の管理文書は部署ごとに名称が異なり、統一されていない。ある文書では「危険斜面」、別の文書では「特殊静穏帯」、さらに別の覚書では「地図訂正保留地」と記されていたため、調査班は同じ場所を三つの別案件として扱ったこともある。
1991年の現地測量では、班長を含む5名が区域南端で昼食休憩を取ったところ、再開時には人数が6名に増えていたという記録が残る。追加の1名は名前も所属も記入されておらず、写真にも写っていないが、弁当箱だけは人数分ぴったり残されていた。この事案は「補助調査員の自然発生」として内部では処理された。
2000年代以降は、封鎖の実態よりも「封鎖されているという事実そのもの」が観光資源化し、周辺自治体は案内板に「区域内への立入、撮影、好奇心の持ち込みを禁止する」といった文言を掲げるようになった。もっとも、最後の一文は住民の要望で追加されたものであり、役所側は当初、好奇心の規制は法令上困難であるとして難色を示した。
社会的影響[編集]
この区域は、の山間地域における“見えない境界”の象徴としてしばしば引用される。学校教育では直接扱われないものの、地域学習の資料集には「存在は確認されるが、定義は揺れている場所」として半ば寓話的に収録されることがある。
また、地図編集・観光案内・防災標識の三分野に影響を与えたとされ、8年頃からは「説明しきれない場所には説明板を立てる」という慣行が周辺で広まった。これにより、山道沿いにはやたらと細かな注意書きが増え、現在では「この先、地形がやや気まずい」「雨天時、記憶の個体差あり」など、意味があるのかないのか判別しづらい掲示が並ぶようになっている。
批判的な立場からは、区域の伝承が地域振興のために誇張されたものであると指摘されている。一方で、住民の間では「誇張されたとしても、毎年同じ場所で道に迷うのは事実である」との反論が根強く、両者の溝は埋まっていない。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそもこの区域が物理的に存在するのか、それとも複数の道路工事と口伝が重なって生まれた“名称だけの禁足地”なのかという点にある。の一部研究者は、現地の異常は植生と谷風の組み合わせによる錯視であると述べているが、同協会の報告書注記には、調査者が帰路で同じ地点を三度通過したことが記されている。
また、1998年に匿名で提出された意見書では、区域名に含まれる「山道」が実在の地名なのか、単に山道一般を指すのかが曖昧であり、行政文書としての適格性に疑義があるとされた。これに対し、当時の担当課長は「地名の真偽より、封鎖板がそこに立っている事実のほうが重い」と回答したと伝えられるが、この発言は会議録には残っておらず、口頭記録のみである[要出典]。
なお、区域に関する撮影やSNS投稿が増えた2010年代後半には、立入禁止札の前で自撮りを試みた来訪者が、必ず同じ角度で肩を落として写る現象が話題となった。これについては、単に照明条件が悪いだけであるとも、区域が「撮影者の気分まで整列させる」とも説明されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『山道保安帯の形成と消失』西多摩郷土研究会, 1992, pp. 41-68.
- ^ 小林友里子「西多摩山地における封鎖標識の増殖現象」『地理情報年報』Vol. 18, No. 2, 1998, pp. 112-129.
- ^ Harold M. Keene, 'Boundary Signs and Memory Loss in Peripheral Tokyo', Journal of Urban Folklore, Vol. 7, No. 1, 2001, pp. 33-57.
- ^ 西多摩総合調整事務所『山道周辺安全導線図 第3版』東京都資料室, 1986.
- ^ 松浦久仁彦『東京都西部における禁足伝承の比較民俗学的研究』青霞書房, 2004, pp. 201-244.
- ^ Margaret A. Thornton, 'The Two-Ring Compass Effect in Mountainous Restricted Areas', Annals of Applied Cartography, Vol. 12, No. 4, 2011, pp. 77-93.
- ^ 東京都建設局道路課『山道拡幅工事報告書 付録写真集』, 1978, pp. 5-19.
- ^ 中村沙耶香「『通過可・記憶不可』表記の法的位置づけ」『地方行政法研究』第9巻第3号, 2016, pp. 88-104.
- ^ Robert J. Halloway, 'A Study of Self-Adjusting Prohibition Boards in Rural Japan', Bulletin of Pacific Studies, Vol. 5, No. 2, 2009, pp. 14-29.
- ^ 大島トメ『かたつむり庵回顧録』山道文化保存会, 1989, pp. 73-81.
外部リンク
- 西多摩郷土資料アーカイブ
- 山道境界研究会
- 東京都西部怪異調査ノート
- 封鎖標識保存協議会
- 地図と伝承の部屋