東原 幸樹
| 本名 | 東原 幸樹 |
|---|---|
| 別名 | 東原式植林記録法の父 |
| 生年月日 | 1897年4月12日 |
| 没年月日 | 1974年11月3日 |
| 出身地 | 長野県下伊那郡上村 |
| 死没地 | 東京都千代田区 |
| 職業 | 林業技師、行政官、著述家 |
| 主な業績 | 樹冠記憶理論、三層保水植林、風倒木可視化図式 |
東原 幸樹(とうばら こうき、 - )は、の林業技師、地方計画家、ならびに「樹冠記憶」理論の提唱者である。戦後の人工林再編に関与した人物として知られる[1]。
概要[編集]
東原 幸樹は、末期から中期にかけて活動したとされる林業技師である。特に林野試験補助員としての経歴と、のちにが採用したとされる「樹冠記憶」式の植林管理で知られる。
彼の理論は、森林は伐採と再植林の履歴を樹木の枝ぶりに蓄積し、遠目には地形のように読めるというものであった。現在では多くの研究者が比喩的表現に近いとみているが、当時のでは一部が実務指針として受け入れられたとされる[2]。
生涯[編集]
青年期[編集]
東原はの山村に生まれ、幼少期から薪炭用の雑木林を歩き回ったとされる。家業は製炭であったが、本人は樹皮の割れ方で雨の強さを言い当てる癖があり、村では「木の天気帳」と呼ばれていたという。
、農科大学の聴講生としてに出るが、正規の修了記録は確認できない。もっとも、後年の本人は「学位よりも切り株の年輪のほうが正確である」と述べたと伝えられている[3]。
林野行政への関与[編集]
、林野試験補助員としての防風林調査に参加したことが、東原の転機であった。ここで彼は、伐採後の地表に残る枝葉の散布が、その後の雪解け速度に影響することを観察し、後の三層保水植林の原型をまとめたとされる。
には林務課の嘱託となり、近郊の演習地で大規模な植栽試験を行った。東原が作成した「風倒木可視化図」は、倒木の方向を赤鉛筆で示すだけの単純な図であったが、当時の技術者には異様に有用だったらしい。
戦後の活動[編集]
以降、東原はへ移り、の委員会に出入りしながら、山林の復興計画に関わったとされる。この時期、彼は植林を「地面に木を立てる作業」ではなく「森の記憶を再編集する行為」と定義し、周囲を困惑させた。
に刊行された『樹冠記憶試論』は、本文187頁のうち実務記録が94頁、詩的な比喩が61頁、残りが鉛筆書きの図で占められていたという。なお、版元によって図版順が毎回異なるため、現在でも研究者は「どの版が本来の東原なのか」で揉めることがある[要出典]。
樹冠記憶理論[編集]
樹冠記憶理論は、森林の形状が過去の伐採・間伐・火入れの歴史を保持し、樹冠の密度と傾斜に「行政の癖」が表れるとする東原の独自理論である。彼は特にの内陸部で、風向と樹冠の偏りを照合し、村ごとの労働配分まで推定できると主張した。
この理論の特徴は、科学と民俗学のあいだを往復する文体にある。たとえば東原は「杉は法令を忘れない」と記し、別の箇所では「伐採の切り口は役所の窓口のように閉じたまま腐る」と述べたとされる。あまりに比喩が強いため、後世の解説書では理論部分だけを抜き出すと統計学、全文を読むと随筆になる。
一方で、の旧林学教室に残る試験メモには、東原の図式が実際の倒伏率とかなり一致した年があったことが記されている。特にの周辺では、彼の予測が「14地区中11地区でほぼ的中」したとされ、この件が信奉者を増やした。
三層保水植林[編集]
東原のもう一つの代表的概念が、三層保水植林である。これは高木層・低木層・地被層を同時に設計し、雪解け水を段階的にため込むという発想で、にの試験区で試みられた。
植栽密度は1ヘクタールあたり約2,480本とされ、標準よりかなり多い。にもかかわらず東原は「木が多いほど森は静かになる」と主張し、実地では風害を受けにくい帯状配置を徹底した。現地の記録では、試験開始3年後に小川の渇水日数が年平均18日から6日に減ったとあるが、測定方法が手帳の水位線だけであるため、現在も議論が続いている[4]。
この方式はやの一部自治体で模倣されたが、苗木代が高く、また「植えた翌日に鹿が会議のように食べ尽くす」問題が多発した。東原はこれを想定済みとして、鹿害対策に竹柵ではなく古新聞の束を編み込む方法を提案したが、成功率は「半々より少し良い程度」であったとされる。
人物像[編集]
東原は寡黙で厳格な技術者として語られる一方、夕方になると突然、樹齢の話を始める癖があったという。会議中に沈黙が続くと、机を指先で3回叩いてから「この沈黙は、伐採前の森と同じである」と言ったという逸話がある。
また、彼は自分のノートに樹木名を人名のように書き分けていた。例えばは「礼儀正しい北方の書記」、は「議論が長い近隣者」と記され、研究者の間では東原の比喩感覚を示す資料として珍重されている。なお、晩年はの下宿で盆栽に向かって独り言を続け、隣室からは「森林省の会議が毎晩開かれているようだった」と証言されている。
社会的影響[編集]
行政への波及[編集]
東原の理論は、戦後復興期の林政において、帳簿上の植林本数だけでなく斜面方位や積雪滞留日数を重視する流れを作ったとされる。特にの内部資料では、彼の図表が「複雑だが現場で役立つ」と評価された。
一方で、あまりに独自性が強かったため、各地の役所では東原式を採用するかどうかでしばしば紛糾した。あるの担当者は「紙の上では森が増えるが、現地では道も増える」と評したという。
文化的受容[編集]
1960年代後半になると、東原の文章は林業関係者よりもむしろ建築家や舞台美術家に読まれるようになった。とくに『樹冠記憶試論』の挿図は、都市の緑地配置の参考資料として引用され、の周辺の緑化計画をめぐる座談会でも話題になったとされる。
また、東原の「森は忘れるが、伐採跡は覚えている」という一節は、後年の環境運動家に好んで引用された。もっとも、原文の前後には「忘れるのが早いのは人間である」と続くため、しばしば意味が逆転して紹介されている。
批判と論争[編集]
東原理論への批判は大きく二つに分かれる。第一に、樹冠記憶は観察者の心理投影ではないかという批判である。第二に、彼の図表が美しすぎて、現場の失敗まで成功例のように見えてしまうという批判である。
とくに、で開かれた林政研究会では、ある若手研究者が「東原式は地形学ではなく、地形を題材にした文学である」と発言し、会場が半日静まり返ったと伝えられる。東原本人はこれに対し「文学で森が育つなら、それもまた行政である」と返したというが、発言録の原本は欠落している。
また、晩年の東原が監修したとされる『北方林相配置図集』には、数値が頁ごとに1桁ずつずれている箇所がある。編集ミスと見る説もあるが、東原が「誤差もまた風景である」と言って修正を拒んだという説もあり、現在も決着していない[要出典]。
死後の評価[編集]
東原はに没したとされるが、死後しばらくは「最後の調査旅行に出たまま戻らない」と言われ、関係者の間では消息不明説まで流れた。実際にはの病院で亡くなったとする記録がある一方、の山寺に隠棲していたという説も根強い。
以降、彼の資料は森林史、地方行政史、そして奇書研究の三方面から再評価された。特にに残る自筆ノート『風が先か、木が先か』は、林学者よりも編集者に人気が高く、現在でも複写請求が比較的多い資料である。東原が本当に何を目指していたかについては、いまだに「森林の最適化」説と「役所を森っぽく見せるための演出」説が併存している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東原幸樹『樹冠記憶試論』北方林業叢書刊行会, 1951.
- ^ 渡部清一『戦後北海道の林政と技師群像』北海道大学出版会, 1986, pp. 122-149.
- ^ Margaret A. Thornton, "Canopy Memory and Administrative Topography", Journal of Northern Forestry Studies, Vol. 7, No. 2, 1963, pp. 41-58.
- ^ 佐伯俊雄『植林図式の思想史』日本林学会出版局, 1972, pp. 9-36.
- ^ Kazuo Endo, "Windthrow Visualization in Hokkaido Prefectural Records", Asian Journal of Rural Planning, Vol. 12, No. 4, 1978, pp. 201-219.
- ^ 高橋真一『森の忘却と記憶』青土社, 1994, pp. 88-113.
- ^ Eleanor B. Morrow, "The Three-Layer Water Retention Method in Subarctic Afforestation", Forestry and Society Review, Vol. 19, No. 1, 1981, pp. 5-27.
- ^ 三浦和也『東原幸樹ノート抄 風が先か、木が先か』国会図書館叢書, 2003, pp. 57-64.
- ^ 本田良介『北方林相配置図集解題』緑林社, 2011, pp. 15-22.
- ^ 林野庁史料編纂室『昭和林業技術者名鑑』林野出版協会, 1968, pp. 301-304.
- ^ Jean-Pierre Lemoine, "Forest Memory as Bureaucratic Aesthetic", Revue d'Écologie Historique, Vol. 4, No. 3, 1970, pp. 77-91.
外部リンク
- 北方林業史アーカイブ
- 東原幸樹研究会
- 樹冠記憶データベース
- 林政文献デジタル館
- 地方技師奇譚索引