棘薔薇乙女事件
| 名称/正式名称 | 棘薔薇乙女事件 / 昭和六十二年横浜臨港部連続失踪及び偽装遺留物事件 |
|---|---|
| 日付(発生日時) | 1987年11月17日 - 1987年12月2日 |
| 時間/時間帯 | 午後9時頃 - 翌午前3時頃 |
| 場所(発生場所) | 神奈川県横浜市中区山下町・新港地区 |
| 緯度度/経度度 | 35.4447度 / 139.6490度 |
| 概要 | 港湾倉庫周辺で若年女性3名が相次いで失踪し、現場近くに薔薇の棘を編み込んだ人形様の遺留物が残された事件。 |
| 標的(被害対象) | 18歳から24歳の女性3名 |
| 手段/武器(犯行手段) | 誘導、拘束、偽装遺留物の設置 |
| 犯人 | 未特定 |
| 容疑(罪名) | 逮捕監禁致死、死体遺棄、証拠隠滅等の容疑 |
| 動機 | 港湾再開発をめぐる私的怨恨と、匿名の展示性を伴う承認欲求が併存していたとみられる |
| 死亡/損害(被害状況) | 死者不明、行方不明3名、関係者27名が事情聴取を受けた |
棘薔薇乙女事件(いばらばらおとめじけん)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「昭和六十二年横浜臨港部連続失踪及び偽装遺留物事件」であり、通称では「棘薔薇乙女事件」と呼ばれる。
概要[編集]
棘薔薇乙女事件は、末の臨港部で相次いだ女性失踪と、現場に残された不可解な造花状の遺留物によって知られる未解決事件である。港湾の再開発、深夜の倉庫警備、私設ギャラリーの出入りが複雑に絡み合い、当時のが「都市型偽装失踪事案」として扱ったことでも特異であった[1]。
事件名は、現場周辺で回収された赤黒い薔薇の装飾品に鋭い棘状金属が織り込まれていたこと、並びに被害者側の一部日記に「乙女」という語が反復して記されていたことに由来するとされる。もっとも、後年の調査では、この名称は報道側が先に定着させたもので、警察内部では長く「山下町三名失踪事案」と呼ばれていた[2]。
背景[編集]
新港地区の再開発と夜間労働[編集]
当時のは、倉庫解体と観光施設整備が同時進行していたため、夜間の通行量が極端に少なかった。地元の警備会社の記録によれば、10月時点で深夜巡回は1晩あたり平均2.3名、監視灯の故障率は14%に達していたという[3]。この不安定な環境が、容疑者の接近を容易にしたとみられている。
また、周辺には半ば閉鎖状態の撮影スタジオ、輸入雑貨倉庫、個人経営の喫茶店が点在していた。これらの施設を結ぶ裏口通路は、土地台帳上は存在するが現地では柵で分断されており、捜査本部は「都市の継ぎ目」と呼称した。後にこの呼称が一部報道で誇張され、あたかも事件そのものが都市伝説化した一因とされる。
「棘薔薇乙女」と呼ばれた匿名性[編集]
被害者3名はいずれも以下の女性で、いずれも周辺の美術学校、縫製工房、深夜喫茶に関係していた。3人に直接的な交友関係は確認されなかったが、全員が同じ匿名のフリーペーパーに寄稿していたことが判明している。寄稿名は「棘薔薇乙女」の筆名で、恋愛・都市生活・夜勤を主題にした短文が掲載されていた[4]。
この筆名が事件と結びついたのは、失踪直前の投稿に「棘のある花は、夜にだけ匂いを変える」との一文があったためである。ただし、心理学鑑定では犯人の予告というより、当時流行した風の文体模倣と解釈されている。なお、同フリーペーパーの編集長は、のちに「投稿者は少なくとも7人いた」と証言しており、真の筆者は特定されていない。
経緯[編集]
第一の失踪[編集]
最初の失踪は午後10時40分頃、山下町の喫茶店「ル・アリア」で発生した。被害者Aは店を出た直後、赤いコートの人物に「倉庫前で預かり物を渡したい」と声をかけられたと同席者が供述している。徒歩5分の場所にある搬入口で目撃情報が途絶え、その後、現場近くのゴミ集積所から薔薇の棘に似せた銅線束が見つかった。
この時点ではあったが、店側は単なる待ち合わせの延長とみなし、への連絡が約2時間遅れたとされる。捜査資料には「被害者が自発的に移動した可能性」との初期判断が残っており、後にこの判断の遅れが批判された。
相次ぐ遺留物と偽装工作[編集]
第二、第三の失踪では、倉庫街の異なる地点から同一規格の遺留物が見つかった。いずれも、、、微量の香料が混在しており、法科学研究所は「手工芸と漁具の中間のような構造」と報告した。香料は当時市内で限定販売されていた「夜薔薇香」だが、流通先が16店舗に限定されていたため、捜査対象は一気に絞られた[5]。
ただし、同時期に現場周辺へ置かれた白い封筒が9通あり、そのうち2通には被害者とは無関係な演劇批評が印刷されていた。これは犯人が証拠隠滅を図る一方で、あえて「意味のある混乱」を残していたとみられる。捜査幹部の一人は、後年「犯行そのものより、展示の仕方が異様であった」と述べている。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
捜査一課は、に特別捜査班を編成し、延べを投入した。初動では倉庫の出入り記録、タクシー無線、港湾労働者の出退勤台帳が照合され、のちに周辺の私設通路が重要視された。なお、当時の捜査資料の一部は紙焼き写真のみで保管され、のちのデジタル化で「同じ人物が3つの別名で記録されていた」ことが判明したという[6]。
一方で、近隣住民への聞き込みは極めて広範で、最終的にが対象となった。住民の1人は「深夜に薔薇の匂いがした」と証言したが、同じ時間帯に近所の花屋が大量の切り花を廃棄していたため、証言の価値は低いと判断された。
遺留品[編集]
遺留品として最も注目されたのは、現場近くの排水溝から回収された「棘薔薇人形」である。高さ、重さ、内部に金属針を含み、胸部に小型の住所録片が縫い込まれていた。住所録には被害者3名の旧姓と、なぜかの廃校の電話番号が書かれており、のちに犯行グループの連絡網ではなく、古い舞台小道具の流用と判明した。
また、被害者のものとみられる髪留め、片方のみの革手袋、切断された切符半券が見つかったが、決定的証拠にはならなかった。鑑定担当者は「遺留物があまりにも整いすぎている」と記しており、これは犯人が偶然ではなく、半ば演出として現場を構成していたことを示唆している。
被害者[編集]
被害者とされた3名は、いずれも直接の親族関係はなく、生活圏も大きく異なっていた。Aはの夜間部に在籍し、Bは勤務、Cはのアルバイトであったが、全員が「夜の街の記録」を趣味としていた点が共通している[7]。
とくにAは、失踪の3日前に「港の棘は誰のために残るのか」という題名の短い詩を投稿していたため、後年の雑誌記事では象徴的被害者として扱われた。しかし、家族の証言では3名とも実際には事件名のような耽美趣味を強く持っていたわけではなく、当時の編集者が過剰に神秘化した可能性がある。なお、遺族会はまでに7回の説明会を求めたが、警察側の回答は断片的であった。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
本件は未解決要素を多く残したまま、一部の共犯候補についてに起訴がなされた。初公判では、検察側が「誘導、監禁、偽装工作の三段階からなる犯行」と主張し、被告側は「倉庫管理の不備と失踪は無関係」と反論した。証拠として提出されたテープ録音には、被害者名と一致する呼称が含まれていたが、音質が悪く、識別には争いが残った。
傍聴席では、連日前後が並び、報道陣は、、など計19社に及んだ。もっとも、被告人質問の場面で、ある被告が「花を作っただけである」と述べたため、法廷が一時ざわついたと記録されている。
第一審と最終弁論[編集]
第一審では、主犯格とされた元装飾業者に対しが求刑されたが、直接証拠の乏しさから監禁関与の一部のみ認定された。判決文は全に及び、うち31頁が遺留物の編み込み構造に関する説明で占められている。裁判長は最終的に「犯行の全容はなお不明であるが、現場に残された過度の整序性は通常の犯意を超える」と述べた[8]。
最終弁論では、弁護側が「被告は事件後に現場写真を収集しただけであり、犯人は別に存在する」と主張したが、の進行と証人の転居により、核心部分は立証されないまま結審した。結果として、事件名の由来となった象徴的遺留物だけが社会に強い印象を残した。
影響[編集]
事件後、は港湾地区の夜間照明を増設し、倉庫間通路の封鎖を進めた。市の報告書によれば、からまでに防犯灯は1.8倍、巡回回数は2.4倍に増加したという。これにより深夜の通行事故は減少したが、同時に「街があまりにも明るくなり、かえって不気味である」との住民意見も出た。
また、事件をきっかけに匿名投稿紙への規制議論が起こり、内の小規模フリーペーパーは編集部所在地の明示を求められるようになった。なお、これが「棘薔薇乙女」という筆名を巡る模倣投稿の急増を招き、1988年末には同名変形を含む投稿が少なくとも42件確認されたとされる。
評価[編集]
本事件は、無差別性と演出性が混在した末期の都市犯罪として、犯罪社会学の分野でしばしば参照される。特に法社会学研究室の一部研究では、犯人の目的を「暴力そのものより、都市空間の記号化」とする説が提示されている[9]。
一方で、捜査資料に残る不自然な欠落や、証言の一部が後年に同一文体へ統合されている点から、事件像そのものが報道と警察発表の相互作用で増幅されたとの指摘もある。要するに、事件は発生したのであるが、どこまでが実害で、どこからが都市の想像力であったのかは今なお明確ではない。
関連事件/類似事件[編集]
類似事件としては、で起きたとされる「夜灯文庫失踪事案」、の「白糸マリオネット置物事件」、およびの「三面鏡香水連続遺留事件」が挙げられる。いずれも若年者を対象とした失踪や遺留品の演出が共通しているが、棘薔薇乙女事件ほど記号性の高い名称は残らなかった。
また、海外ではの「Vine Sister Case」との比較がなされることがあるが、こちらは実際には失踪ではなく美術品盗難であったと後年判明しているため、比較の妥当性には議論がある。
関連作品[編集]
事件を題材にした書籍としては、『港の棘と三つの影』、『乙女の不在: 横浜臨港部の記録』などがある。いずれもノンフィクションを標榜しつつ、実際には証言の再構成が大きく、専門家の間では半ばルポルタージュ小説として扱われている[10]。
映画ではの『Roses in the Dockyard』、テレビ番組では「消えた三人と赤い糸」が知られる。とくに後者は再現映像にの薔薇を使ったことで話題となり、再放送時に「美術が事件を食っている」と評された。
脚注[編集]
[1] 神奈川県警察本部『昭和六十二年横浜臨港部連続失踪及び偽装遺留物事件 捜査概報』1988年.
[2] 佐伯達也『港湾事件命名史』関東法政出版, 1994年.
[3] 港湾セキュリティ合同調査室『新港地区夜間警備実態報告書』Vol. 12, 1987年, pp. 44-49.
[4] 横浜臨港文化研究会『フリーペーパー「棘薔薇乙女」復刻集』第3巻第2号, 1992年, pp. 7-18.
[5] M. Thornton, "Night Rose Perfumes and Urban Traceability", Journal of Forensic Pattern Studies, Vol. 8, No. 4, 1991, pp. 201-233.
[6] 神奈川県警察資料編纂室『山下町三名失踪事案 画像台帳総覧』1996年.
[7] 宮原澄子『乙女の不在: 横浜臨港部の記録』海鳴社, 1998年.
[8] 横浜地方裁判所判決要旨『平成二年(ワ)第114号 監禁等被告事件』1990年, pp. 1-31.
[9] 渡辺精一郎「都市の記号化と未解決事案」『法社会学年報』第14巻第1号, 2001年, pp. 55-79.
[10] 佐々木真理子『事件を読む: 昭和末期ルポの文体分析』東京大学出版会, 2007年, pp. 112-141.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 神奈川県警察本部『昭和六十二年横浜臨港部連続失踪及び偽装遺留物事件 捜査概報』1988年.
- ^ 佐伯達也『港湾事件命名史』関東法政出版, 1994年.
- ^ 港湾セキュリティ合同調査室『新港地区夜間警備実態報告書』Vol. 12, 1987年, pp. 44-49.
- ^ 横浜臨港文化研究会『フリーペーパー「棘薔薇乙女」復刻集』第3巻第2号, 1992年, pp. 7-18.
- ^ M. Thornton, "Night Rose Perfumes and Urban Traceability", Journal of Forensic Pattern Studies, Vol. 8, No. 4, 1991, pp. 201-233.
- ^ 神奈川県警察資料編纂室『山下町三名失踪事案 画像台帳総覧』1996年.
- ^ 宮原澄子『乙女の不在: 横浜臨港部の記録』海鳴社, 1998年.
- ^ 横浜地方裁判所判決要旨『平成二年(ワ)第114号 監禁等被告事件』1990年, pp. 1-31.
- ^ 渡辺精一郎「都市の記号化と未解決事案」『法社会学年報』第14巻第1号, 2001年, pp. 55-79.
- ^ 佐々木真理子『事件を読む: 昭和末期ルポの文体分析』東京大学出版会, 2007年, pp. 112-141.
外部リンク
- 横浜臨港史料アーカイブ
- 神奈川事件資料データベース
- 都市犯罪研究フォーラム
- 港湾文化と記号の会
- 未解決事案レビュー